NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

4.地域の記録

■安曇・筑摩両郡旧俗伝 [解説] 

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 「信府統記」は、享保9年(1724)12月、松本藩主水野忠恒の家臣であった鈴木重武と三井弘篤が編述したものです。「信府統記」の編さん事業は、藩主水野忠幹の発意にあり、その主導によって開始されました。
 水野家は、寛永19年(1642)7月28日、その祖である忠清の時、旧領4万5000石に2万5000石を加封されて、三河国吉田から信濃国松本城に移され、安曇・筑摩両郡において7万石を領しました。以来、その子孫忠職・忠直・忠周が家を継ぎます。忠周の子忠幹は、享保3年11月20日、その遺領を継ぎますが、忠清以来、安曇・筑摩両郡を領すること80年の長きにおよびながら、領地内の地誌・政譜を集成したもののないのを残念とし、藩政の参考に資するため、領内および信濃国一円の地理・歴史に関する諸件を集録しようとし、同7年9月、鈴木重武・三井弘篤に命じて、その草案をつくらせました。しかし、その業の終らない同8年5月10日、忠幹は25歳で亡くなります。
 同年7月5日、忠幹の遺領を継ぎ松本城主になった弟の忠恒は、兄忠幹の遺志をつぎ、前記両人に命じて、編さんの継続を命じ、完成させました。
 「信府統記」の名称の由来は、「此書ヲ信府統記ト名ツクルコトハ、松本ノ城ハ信州ノ府中タルニ依リテ、コレニ本ヅキ、国中ノ諸城ヲ初トシテ、統ベテ見聞ノ及ブ所ヲ記セル故ナリ、」と「凡例」で説明しています。