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松代案内   33   尼巌山浄福寺
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浄福寺浄福寺
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尼巌山浄福寺(にがんざん じょうふくじ)


宗派/曹洞宗 本尊/本尊/釈迦牟尼如来

尼巌の山号のとおり尼巌山のふもとに建つ古刹。文明三年(一四七二)尼巌城主東条氏の室・春日の尼の遺命で「浄福庵」が造られた。当初は尼巌山麓長礼の地にあったが、中興開基須田満親が、文禄元年(一五九二)この地に移し「浄福寺」と改名、寺料二十石を寄進した。また、文治年間(一一八五~一一九〇)にこの地に移ったとも伝わる。江戸時代は幕府から朱印領十石を受けている。境内に立つ高さ一六一cmの五輪塔は、須田満親の墓といわれるもの。幸村(信繁)が上杉の人質として赴いたとされる海津城は、満親が城代をつとめていた。豊臣秀吉にも重用され、朝鮮の役にも活躍したが、上杉氏の会津移転の際、急死した。本堂は安政年間(一八五四~一八六〇)に再建、その後焼失したが、明治期に入り本堂と庫裡を、大正十五年(一九二六)開山堂を建立した。本堂前には神聖な白皮松が生い立つ。藩御用商人・豪商八田家の墓地がある。