NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善光寺道名所図会 [翻刻] 善光寺道名所図会 巻之二 

   画像33右  現代訳
六町程相対して巷をなす、其余町裏に散在す、稲荷山宿へ三里、
此間猿ケ馬場といふ峠あり、
宿の入口左側に仏眼山法善寺[曹洞派、寺領八石]の黒門の脇に庚申の祠反
古塚等あり、又宿中程北裏の山手に麻績山光明寺[天台宗]といふ
寺有り、此は麻績式部太夫が城趾なり、[式部太輔甲州へ属して、十騎の軍役たりし、]
 
   (改頁)
 
宿の出郷宮本村に神明宮立給ふ、白鳳十二年酉二月九日
勧請なり、豊受皇太神を祀る、[神領十二石、]神事正月朔日、二月九日、六月
十七日、八月十四日、神主宮川雅楽亮[宮下帯刀・宮川豊後・宮下日向・寺沢近江・宮下織部]
此宿を立出て十八町行一の川村、是猿が馬場の登り口なり、暫く
登りて左側に、弘法袈裟掛松とて一古松あり、麓に清泉涌出る、蟹
清水といふなり、掛茶屋一軒[一の川より出る、]傍に芭蕉翁句碑あり、表に芭蕉、
塚裏に   さゝれ蟹足はい登る清水かな    はせを
嶺に水茶舗あり、又右に夜が池、東西二丁計、南北四丁半程、水湛へて
浸々たり、此巓は木もなく笹原にて平山なり、此池より五、六丁下りて
小池の上に馬塚といふあり、是筑摩郡・更科郡の境なり、右に猿飛とて
大岩二ッ三ッ見ゆる、十八丁下りて燧石に茶屋あり、名月屋寅蔵といふ、座
敷の床に大岩を作り込で壁の代に用ひたり、小石を以て是を叩くに
 
   (改頁)
 
   画像35右  現代訳
 
火の出ること速なり、往昔八幡宮の神燈及び神供を調るに、此所の石を以て火を改むる事なりし故、今に至る迄燧石の名残れりとそ、