NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善光寺道名所図会 [翻刻] 善光寺道名所図会 巻之二 

   画像3左  現代訳
宮本神明宮[宮本村にあり、仁科六十六郷神明の惣社なり、社領黒印廿三石、除地五石、社内東西四丁十二間、内大門二丁四十九間、南北四丁二十間なり、]
末社祭神[国常立尊 児屋根命 瓊々杵尊 太玉命]四柱相殿
 末社[○一ノ宮 ○ニノ宮 ○武山大明神 ○上諏訪 ○下諏訪以上本社の右にあり、○すのこ明神 ○三島 ○八幡 ○鹿島 ○春日 ○熊野 以上本社の左に並ふ、]
   右玉垣の内なり、[○稲荷 ○伊豆権現 ○子安 ○白山 ○九頭竜 ○天満宮 ○南宮 ○疱瘡神 以上ニノ鳥居内にあり、]
拝殿[本社の前廻廊に続、] 神楽[同く前にあり、] 絵馬殿[同西にあり、] 御供所[同東にあり、] 
三ノ鳥居、以上瑞籬内なり、篭屋[下段の西にあり、] ニノ烏居
[本社より一ノ鳥居迄四十三間余、此間敷石大石垣なり、石壇都合三ヶ所] 一ノ鳥居[仁科街道の並に立、ニノ鳥居より是迄二丁四十九間、駒除あり、] 
境内老杉百七十二本[周り七尋半より段々、] 大檜百六十本 大槻[廻り十一尋、其外大樹森々たり、] 
神宝 鵜ノ丸の太刀 鏡一面 霞ノ鞭 以上宝永四亥年の改なり、
 
 
   (略)
  
  
   画像5右  現代訳
△例祭 ○御戸開[正月十一日]. ○祈念祭[二月九日] ○御戸開[十二月十六日]其外正五九月十
四日に国家安穏五穀豊饒の祈躊怠なし、
神主一志検校菅原茂興[代々黒印預]小野左衛門 横沢権頭 
志水右近 [神子]一人[若狭]其外小祝十二人、八乙女八人みな此村にあり、
夫当社は仁科六十六郷の惣社として、嘉承二巳年伊勢より勧請ありし也、
一志検校の家ハ其時勢州より供奉の家筋なり、外六ヶ所ハ[麻続・苅谷沢・潮・仁熊・会田、
上生坂、]以上七ケ所同し時に勧請ありしとなり、此宮本村は往古より村中
 
   (改頁)
 
みな社家にて、今に至るまで諸役免許なり、慶安のころ迄ハ一村三十五軒
なりしが、物かハり星うつりて、今は百軒余となれり、いつの頃よりか社家と百
姓と別れけるにや、今も婦人月次の障にハ百姓とても別火する事古しへより
の風俗とそ思ハれける、
○清音の滝[常光寺村横川氏が裏の山にあり、] 吐口の険巌に仏像の形あり、苔むして鮮には見え
侍らず、俚俗滝の入観音と称して信濃二十一番の札所なり、即前の内大臣
家の御歌あり、板に写して滝の傍に建つ、本書は横川氏に蔵む、