NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之五 

   画像28中央  翻刻
 小諸へ2里半、8丁ほどがにぎやかな町通りで、民家が多くあります。間(あい)の宿となっています。海野と田中は半月ごとに宿役を交替して務めています。
 田中を出て左に摺臼宮というところがあり、木立が茂っています。ここでは、むかし、洪水があり、山が崩れ、村々を押し流しました。そのとき、すり臼の下がここで止まり、上臼は下の沢に流れて止まりました。その両方に樹木が茂ったので、そこに諏訪様を勧請して、するすの宮ということにしたのです。
 右に流れる千曲川のむこうに、布引観音が見えます。左は浅間山のふもとになります。
 このあたりに祢津という山城があります。そこは、源頼朝の頃、根津甚平の居住地でした。根津甚平が鷹術の名手であったことは、木曽路名所図会に出ています。そこを見てください。
 加沢・朴屋・芝生田・深沢(この村に橋があり、そこから先は佐久郡(注2)になります)と進みます。左の田の中に獅子岩があり、右に兜石があります。花川の沢から松の大木までの小坂を富士見といい、晴れた日には富士山が見えます。
 諸村から5丁ほど西に、さかさ藤があります。これは源頼朝が挿した藤が、いま盛んに茂っている、と伝えられています。
 ここから南7町ほどのところに、南殿の桜という大きな桜の木が3株あります。そのかたわらに、市神の祠があります。ここに、星見の井があり、この井戸をのぞめば、昼でも星の影が見えるといいます。また、鳴子橋という一枚石の橋があり、その上を通ると金物のような音が鳴ります。前述した花川の沢の橋の流水は安産に効くといい、遠くから来た人は、この水を紙にひたして持ち帰るそうです。
 西原村を越えると小諸の城下になります。
 


(注1)東御市本海野北屋敷の白鳥神社は、千曲川の北岸、海野宿の東の入り口にあります。祭神は日本武尊ですが、海野氏の祖を合祀しています。「源平盛衰記」に木曽義仲が丸子の依田城で挙兵し「信濃・上野両国の勢催集メ、二千余騎ヲ相具シテ、白鳥川原ニ陣ヲトル」とあります。ここに記された白鳥川原は、白鳥神社前の千曲川原であると推定されています。
(注2)現在は小諸市と東御市の境です。