NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之四 

   画像53左  翻刻
 8丁ほどの間が、にぎやかな町通りになっている休息所です。
 有明山のふもとで、姨捨山は西に見えます。上戸倉の苅谷原を右に見て、さらに進むと笄(こうがい)の渡し場(注8)があります。また、横笛と称するのは村上氏の古城です。山の腰は岩石が屏風を立てたように険しく、右は千隈川(ちくまがわ)の急流が渦を巻き、目がくらむほどです。冠着山(かむりきやま)は西に相対します。
 ここに、松尾芭蕉の句碑があります。
   横笛や駒もいななく雪あらし
 これは、芭蕉の句ではなく、加賀藩の者の句であるともいわれています。
 横笛坂を下ると、左の谷に高さ5尺の石仏があります。つるし仏といっています。むかしは、直径2尺5寸ばかりの鍋蓋くらいの鉄に観音の像を鋳着け、鎖で木の枝に吊るしてありましたが、いまは、坂木宿の入口にある西仙寺に納めてあるといいます。その跡に石仏を建てたので、つるし仏という地名が付いたといいます。むかし、刑場があったところだそうです。
 


(注8)天文22年、武田信玄に敗れた村上義清の奥方と姫は、越後に落ち延びようとして、この渡しを渡ろうとしましたが、渡し賃を持っていなかったので、髪にさしてあった笄を船頭に渡して通ったという伝承があります。江戸時代には、坂木と力石・上平とを結ぶ重要な渡し場があった地です。現在は通称「もぐり橋」という低い橋が架かっています。