NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [解説] はじめに 

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 明治天皇は地方行幸・巡行を97回行いましたが、そのうちの明治5年(1872)から明治18年(1885)にかけて6回の大規模な巡行を行いました。これを6大巡行という。
 「6大巡行で天皇は政府中枢の高官等とともに地方を廻り、府・県庁で府・県治報告を受け、学校・産業施設・軍事施設等を視察し、各地の物産・古器物等を見、社会的功労者の表彰や災害被災者の救恤などを行った。」(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』(長谷川栄子 熊本出版文化会館 2012年)
 戦前は巡行先だった地方で明治天皇の聖徳を偲ぶ記念展が開かれたり、記念誌が刊行されたり、聖跡を巡る修学旅行が行われました。
戦後、1966年に色川大吉が巡行と自由民権運動との関係を示唆して以来、この六大巡行の意義について、次のような多くの研究が発表されている。
 ◇六大巡行は政治支配のシンボルとして支配の正統性と仁恵的天皇イメージを民衆の中に定着させるための国家的プロパガンダであった。(田中彰)
 ◇「民情を知り、民の生活の苦しみを問う」ことを標榜して行われた巡行の民衆政策としての重要性を指摘した。」(遠山茂樹)
 ◇天皇を見せることによる威光の効果をねらった心理的作戦が巡行であり、六大巡行により民衆が天皇を恐懼して仰ぎ見るような関係が全国に浸透していった。(多木浩二)
 ◇近代化を進める明治初年の政府が庶民の不満をなだめるために「仁君」としての天皇の存在を民衆に認識させて忠誠心を培養するための政治的手段(牧原憲夫)