NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善光寺独案内 [翻刻] 

 長野街      画像1
善光寺独案内
 近傍名所
 
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長野細見
近傍名所
善光寺
独案内
 
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日本大
乗界本
師如来
前一歩
清浄地
 
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皆徃安
楽国
歳在丁酉
春二月上浣
梧竹頓《レン》

 
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  標符
◎長野停車場ヨリ善光寺ニ至ル本
 通リノ町ナリ。
○外ノ方エ行町ナリ。
 
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善光寺独案内
    豊斎如真編輯
各位善光寺まゐりをなされるに、  現代訳
何処のステーシヨンより乗車せら
るゝとも、着所ハ長野停車塲
なり。切府を渡し出て、正面ノ町ハ
末広町といふ。
◎末広町 又一線路共云。
     町一丁余。右卜左ハ
 対旭館と五明館の支店なり。
 其外各旅舎会社の支店多し。
 此右にある町ハ
 二線路卜いひ、
○石若町 長サ壱丁余。
     諸会社の支店
 多し。中にも中牛馬会社、およひ
 通運会社、日夲運輸会社等は、
 著しき繁多なり。
 新聞丸上商店ハ此町なり。
○千歳町 末広町より石
     若町を貫通し
 て、右ヘ一直線の町なり。五丁あり。
 ステーシヨンの入ハ、則五丁目なり。
 
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◎石堂町 末広町を行あたり  現代訳
     て、南北の町なり。
○米屋町 末広町を行あたり、
○荻原町 石堂町を小(ママ)し上りて
     左りへ行町なり。
 是を行ハ、相生橋を通り、安茂里村
 及村々の用路、大町街道なり。
苅萱山寂照院西光寺 石堂町
          にあり。
 苅萱法師及石堂丸の開基なり。
本尊地蔵菩薩 二体あり。是
       苅萱法師及
 石堂丸一刀三礼の御作なり。則ち
 かるかや親子地蔵といふ。
苅萱法師此処に居を卜し、善光寺へ
日参す。あるとき如来夢中の御告
に依て、両僧この尊像を彫刻あり。
善光寺如来衆生済度の御姿也。
我影を拝さんと思ハゝ、此尊像を拝せ、との
おほせありし
尊像なり。
世栄観世音菩薩
 行基菩薩の御作。東京本郷区駒込肴町
        酒井八右エ門寄附。
成田山不動明王 祐天大僧正十四歳ノ作。  現代訳
 東京々橋区新富町仮名垣魯文寄附。
  什物
 
   (改頁)
 
 ・飛鉦皷 ・桔梗八ッ花形鏡
 ・苅萱上人の法衣
 ・親鸞聖人御山入真影
 ・名体不二の名号 其外多し
          卜云トモ畧す。
常念仏 苅萱石堂の石牌、
    九重の宝塔あり。
布引坂 石堂町西光寺前の坂
    をいふ。又袖引坂トモいふ。
虎跡堂観世音 曽我五郎致宗の妾
       虎法尼の開基なり。
栗田家系譜ニ曰、芹田村に小形群司
直秀といふ郷士あり。栗田家に仕へ、
忠勇の士なり。長篠合戦の時、武田の
軍勢にありて、栗田鶴寿と共に戦死
す。其妻スミ、出浦氏の息女なりしが、
同村に閑居したり。ある時布をさら
し居たるに、牛来りて角に布を
引かけ行けり。女はら立、追かけ行
けるに、此坂に来りし頃ハ日ハ西山に
入、うすくらき頃なりしが、この坂
にてすてに布をとらんとせし
に、牛ハふたゝび飛いだし、つゐに
善光寺の本堂のほとりにて牛を見
うしなひけり。女本堂に入て、牛の
行衛、又かの布を取かえさん事を
如来にいのり、つやいたし居たり。
 
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其夜おなし処につやせし人
の信心のはなしにより心を直し、
明日布の行衛をも打捨かえり
しに、此坂の観音堂に其布ハあり。
是ハ近所の人布をひろひ、昨日女の
牛を追かけ行し布なり、返し
得させんとて預ケ置しなり。
是により女ハ布を得て、弥々菩提
の道に心を入、かの牛ハ此観音の
化現なりとて、西光寺蓮了上人の
弟子となり、髪を切尼となりて
法名を妙蓮尼といへ(ママ)、此虎跡堂の
観音の元に住けるなり。此尼の石
脾ハ西光寺にあり。猶尼の詠歌なり
とて、同寺の什物にあり。妙蓮尼
うしとのミ思ひ
  はなちそ菩提てふ
  道に入へき
   おのが心を
此虎跡堂ハ弘化四年の震災に罹り、
苅萱西光寺にうつし、今の布引
観世音の尊像則是なり。
因ニ曰、人口に膾炙す小県郡の邪見の
老婆といふハ、小形小県相似たるより
あやまれるものか。布引山ハ佐久郡
なり。小県郡に布に縁ある観音見へ
ずとかや。
 
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◎新田町 石堂町次坂の北  現代訳
     ヨりいふ。
南八幡川 新田町を貫通し、
     二又に分流ス。
載(ママ)松院 新田町右かハにあり。
        南八まん川の二又の
 中にあり。曹洞宗なり。俗に是を
 島の寺といふ。
傘松 銘木なり。傘のかた
   ちなる故なり。
○原町 八まん川の際を左りへ行町。
    旧西河原にて、大町街道なり。
八幡川 新田町と後町の間を
    流れる川に添て、左右
 に町あり。右へ行ハ黴毒病院ニ至り、
 千歳町に通ず。左ハ西河原町なり。
◎後町 八まん川より上をいふ。
    新田後町中程迄ハ右側を
○問御所といふ。
紫雲山十念寺 後町左り側にあり。
       浄土宗なり。
本尊あミだ如来 源頼朝公の開基
        なり。建久八年八
 月三日善光寺参詣の時、如来旭山の方に
 現れ、紫の雲に乗し十念をさつけ給ふ
 と夢見給ふに依、公寺を建、寺号を奉
 て、仏殿の額ハ則頼朝公御直筆なり。
大仏殿 大仏御丈弐丈一尺余。
    座像なり。西亰大仏殿
 
   (改頁)
 
 の堂形を写したる堂なり。
 観世音菩薩 脇士、三十三番の尊像在。
秋葉社 社殿美麗なり。  現代訳
 祭神 火之迦具土命
長野学校南支校 十念寺の上に
        入口あり。
○菊屋小路 右側千歳町へ通ス。
 此所に菊屋卜云酒造家あり。故に字と成。
 旧家なり。山崎氏といふ。
○権堂小路 後町より千歳町に通。
宮内省御用の。 有名  鳥飼
芳雪堂菓子店  なる 上角にあり
長野米穀取引所 千歳町ニあり。
        権堂小路行当。
第六十三国立銀行 後町左り側にあり。
長野郵便電信局 仝所次にあり。
        前に県町へ
 通する町あり。電信横町と誦す。
 行あたりハ
○県町 本通りの西の町なり。
    県庁よりステーシヨンヘ通ス町。
犀北館 県町にあり。郵便電信局
    前より行あたりなり。
 館ハ近山与五郎卜云旅舎なり。
長野県議事院 犀北館の側より
       行あたりにあり。
 
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月輪殿正法寺 後町左り側にあり。  現代訳
       真宗西派なり。
太子堂 聖徳太子運慶の作。
    善光寺七院ノ内なり。
鐘鋳川 後町と大門町の間を
    流れる川なり。
 此川より上を大門町といふ。川に
 添て左りへ行町を諏訪町といふ。
 右へ行ハ鐘鋳川端といふ。
逢《ライ》橋 鐘鋳川にかけし
    はしなり。古かへりはしといふ。
 此はしを嫁入、むこいり等に渡る事
 を忌なり。是かへりはしと云故なり。
 是ハあやまりなりと云トモ、今猶其
 習《カン》不止。其昔建久八年八月四
 日、右大将源頼朝公善光寺へ御
 参詣の時、此はしを渡りかけて、権
 堂往生院の池の蓮の花を馬上
 ながら見かへり給ふにより、公のかへり
 見給ふはしと云しを、漸次単に
 かへりはしと云習しなりと。
○諏訪町 逢《ライ》橋より左へ
     行町なり。二丁行て右、
長野県師範学校附属小学校
○桐畑 附属小学ノ前をいふ。
 
   (改頁)
 
○旭町 桐畑ヶの西四ッ辻ヨリ橋を  現代訳
    渡り、上へ行町なり。是を
 行ハ長野県庁の前にいたる。
信濃毎日新聞社旭町にあり。
○県町 桐畑ヶ西辻より下ル町なり。
    直行するも同誦なり。
長野大林区署 右側にあり。
長野県監獄署 仝所次にあり。
 此辺県町なれとも、監獄前と別誦ス。
○妻科本郷
曹洞宗学林 村入口にあり。僧呂(ママ)
      学文所なり。
善松寺 曹洞宗なり。
妻科神社 延喜式内の社なり。
     長野町大半の産神也。
 祭神 八坂刀売命
 相殿 健御名方命
    彦神別命
 延喜式神名帳ニ曰
 妻科神社
 三代実録二ノ巻ニ曰
 清和天皇貞観二年二月五日、信ノ国
 
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 正六位上妻科地神授従五位下云々。
 仝四の巻ニ曰  現代訳
 同五年二月十四日丁未、信濃国妻科神
 八櫛等并授従五位上云々。
夫木集ニ曰
 艸深き野中の森の妻社こや花すゝき
 穂にいする神 よミ人不知
例祭 十月一日 長野大祭の内
 摂社 白山社
  祭神 伊邪那美神
 摂社 粟嶋社
  祭神 玉依姫命
 仝 大姥神
  祭神 磐長媛命
 摂社 聖徳森議事院後に
 あり。長野弥栄神社祭典に、此処にて
神霊を天降し給ふなり。
○大門町 逢《ライ》橋より上の町也。
     町巾広し。右ハ
○鐘鋳川端 仝所より右に入町なり。
      是を行ハ東町及
 権堂町にいたる。
名産 まんちう
東洋館 大門町左ノ側ニあり。
    三層造りなり。
 
   (改頁)
 
 館ハ山屋喜兵衛卜云旅舎なり。
○新小路 東洋館の真向を東  現代訳
     町へ通ふ町なり。
○前坂町 新小路中程より
     かねゐ川端へ通ス町也。
○花屋小路 東洋館より四五軒
      上を左りへ行町なり。
 是を行ハ西町及長門町、行当りハ
天満天神社長野天神卜云。
 祭神 菅原真実(ママ)
 摂社 琴平大神
 祭神 崇徳天皇
名産 杏鑵詰 西町四ッ角室川氏
       営業す。
○若松町 大門町より長野県
     庁への夲道なり。
電燈会社
○西町 大門町の西の町なり。
    北南に通ふ町なり。
○長門町 西町四ッ辻より少行て、
     左りの方へ下ル町なり。
○旭町 県庁前より下ル町なり。
    是を行ハステーシヨンにいたる。
長野県庁 左り側にあり
 
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長野県尋常師範学校 県庁の  現代訳
          西にあり。
仝体操塲 師範学校の西にあり。
     是ヨリ西長野にいたる。
長野県中学校 体操塲の西にあり。
○下堀小路 大門町中程より右へ
      行町なり。是を行ハ
○東町 大門町の東の町なり。四辻より
    東ハ武井町といふ。田町に至。
武井神社 武井町にあり。長野
     東部の産神なり。
 祭神 健御名方命 例祭八月二十七日
末社 松尾大神 二社あり。本社の左右に。
   天神社  本社ノ東ニあり。
   金刀比羅社 仝
   稲荷社 仝
   三峯社 仝
   猿田彦大神 本社ノ西にあり。
   田ノ神 仝
○広小路 若松町ノ上を、大門町より
     左りへ入。行あたりハ
安養山西方寺 西町にあり。
       浄土宗なり。
 本尊 阿弥陀如来
随勝院 西方寺門前にあり。
    浄土宗。
 
   (改頁)
 
五明館 長野ホテルト云。  現代訳
    大門町にあり。四層又三層
 造、美事に立列たるハ、皆人長野の花
 と誦す。館ハ扇屋金四部卜云旅
 館なり。
○上堀小路 五明館の前より東
      町へ通する町なり。
信濃協盛社 東町にあり。上堀
      小路行あたりなり。
魚市 協盛社及外店にも毎朝立、
   にぎわしき市なり。
対旭館 大門町右側にあり。三層造。
    是又長野ホテルトいふ。
 館ハ旧本陳にて、ふぢや平五郎卜云
旅館なり。
◎二天前 大門町上の辻をいふ。
     此辻中央を元標辻と
 して、長野ヨリ諸方へ里程のもり
 だしなり。
長野県元標 辻の東北に立たり。
 此処よりステーシヨンの方へ行にハ、是
 まで右と記したるハ東にて、則ち左り
 なりと心意へし。総て此町上りハ
 北へ向ふなり。ステーシヨンの方へ行ハ
 下りにて、南へ行と心得べし。
 此辻より北ハ善光寺境内なり。
 境内の道路ハ敷石あり。右の方ハ
 山内中衆といふ坊舎なり。
 
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定額山善光寺  現代訳
 二天前より正面に見る本堂まで四丁。
 上り口左りにハ
善光寺々務職大本願
 代々皇家より御住職まし/\て、
 寺務御執りあそハされるなり。当
 御住職ハ
久我宮殿下誓円上人
 副住職ハ 
勧修寺唯心上人
本誓殿 御持仏三尊あみだ如来。
    黄金仏なり。
 御法会諸事此所にて頼ふべし。
光明閣 御宝物拝礼の所なり。
 
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見真大師御旧跡 石階の際の  現代訳
        堂照坊なり。
笹の葉の名号 仝坊の什物なり。
見真大師御歯 八十四才の御抜歯也。
  其節の御詠歌
 いつのまにかみに霜をき一は落
 身にしみてこそ南無あミた仏
二王門 今ハ焼跡のミなり。北に辻あり。
    左りへ行ハ桜枝町なり。右へ行
 ハ伊勢町新町及北越街道なり。
◎元善町 二王門と山門の間なり。
     両裏ハミな坊所なり。
駒返り橋 石はしなり。山門下元善町
     小はしをいふ。左りの方の
 石に穴あり。源頼朝公参詣の時に、
 駒のふみぬきたるゆへ、此処より
 駒を返したるより其名ありと。
山門 石階の上にあり。
善光寺夲堂  現代訳
 正面南向、三ッ棟造、二重屋根なり。
 又御所棟造り卜いふ。
表十五間三尺、高サ十丈、
奥行二十九間三尺、
柱数百三十六夲。
 
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本尊三国伝来一光三尊阿弥陀如来
 閻浮檀金仏天竺毘舎離国出現
正 弥生御前
  本多善光
面 本多善佐
 右三体を安置す。是当山の開基也。
 此右に東京月参講の宝塔あり。
内陳 唐戸の内なり。
戒檀 月参講宝塔の後より階を
   下り、如来の下を巡る。是則
   如来を頂く意なり。
北空山 開基三尊の後なり。阿弥陀
    如来釈迦牟尼如来の二尊を
 安置す。脇士ハ観世音菩薩、左りハ
 大勢至菩薩あり。
次の間に八十八仏あり。四国八十八ヶ所
 の本尊を写し、弘法大師の安置
 せられし処なり。其次に十六
 童子あり。其前の釈氏仏ハ、
 東京講中より奉納なり。
大仏の間 唐戸の前の間を号ス。
     左右に大仏あり。右ハ
 地蔵尊、左りハ多宝如来なり。
闌間の二十五菩薩 唐戸の上の闌間
         なり。鎌倉運慶
 
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 の作なり。其内蓮華座計の
 処一座あり。
 
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千体仏 二十五菩薩の左右にあり。  現代訳
    丹慶及安阿弥の作なり。
 ○額三尊仏 内陳入口の上に
       あり。安阿弥の作。
黄金の華蔓 大仏の間の上の
      紅竜に掛たり。
 武田勝頼公の寄附なり。
弥勒の間 板敷の間なり。右の方に
     弥勤菩薩を安置す。
 此尊像ハ旭の長者の内仏なりと。
 今猶平柴村に弥勒勤寺といふ字あり。
次ニ観世音菩薩、次ニ閻魔王及
 十王を安置す。
賓頭盧尊者 みろくほさつの前に
      あり。尤古仏なり。
 左りの方にハ
如意輪観世音菩薩 法道仙人
         の開眼なり。
 迦葉尊者 運慶の作
釈加牟尼仏
 阿難尊者 丹慶の作
 この南にはなれて
聖徳皇太子 尊像を安置し、側に
      屋根換の会所あり。
 
   (改頁)
 
      蜀山人
 難波江に
  あしとて捨し
    御仏を
 今ハしなのに
 よし
 ミつの
 てら
 
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親鸞松 如来の正面にあり。聖人  現代訳
    百日々参の時、如来に供せ
 られし松なり。
妻戸の間 入口の中英にあり。太皷
     三個及諸音楽の器、皆
 此処に供す。明治二十九年三月、征清
 軍戦利品を政府より供せられ
 しニ付、爰に列したり。
 弁慶ねじり柱 東向拝の南の柱
        を云。西塔武蔵坊
 弁慶北国下向の時、源頼朝をう
 らみ、善光寺の柱をねじりたりと。
 其後度々改営するも、日あらすして
 今の如くねじれるといふ。
山王塚 諸神塚  紀州新宮
         山口義男記
  共に正面の向拝前左右にあり、是
 を遠国の人、亡者つかといふ。其説、
 紀州新宮の人久しく江戸に住て、
 帰国の節善光寺へ参詣したる
 に、其人の古郷なるとなりの人此つ
 かにこしかけ、砂の付たるめしを
 喰し居たるに、珍らしさに言
 葉かけしたれと其人不答故に、参
 詣したれとも心にかゝる故、此処に
 来り見れバ更に其人見えす。
 帰国して其由をかたるに、「そは
 いぶかしきことかな。其人ハ死し
 て、其日其刻限葬式の際あや
 まりて霊供膳を庭に落し
 
   (改頁)
 
 たるを、とりいそくまゝに出葬し
 たりしを、善光寺にて砂の付
 しめしを喰すを見たる事
 を」卜皆人驚き合たりし。
 是より
 亡者つかと云はしめしと。
経蔵 夲堂前、西の方にあり。高サ  現代訳
   四丈三尺。六間三尺四方なり。
 宝暦七年御建立なり。
 一切経を納む。輪転造りなり。両はし
 に伝教大師恵信僧都を安置す。
 入口石階の前に念仏柱あり。車付なり。
鐘楼堂 夲堂の東の方にあり。
  北山老聞書集に曰、
 出羽の国秋田の人金井東人卜云
 人、善光寺へ参詣せんと越后
 の国米山のふもとを通り
 しに、天俄にかきくもり大風
 吹、海水みなきり立、おそろしき
 ありさまとなりしに、こつせん
 と美女一人あらハれ、「和殿
 善光寺へ参詣あらハ、是を
 夲堂の勤番へ渡し呉給へ。必
 らず途中にてひらき見る事
 無用なり」といふてたのミたり。
 是壱寸四方計の箱にて、重量も
 さのミおもからす。故心よく
 
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 承知して善光寺近くま
 で持来り、道のほとりに休ミて
 四方八方の風景をながめ居し
 に、ふと箱の事を思ひ出し、
 「善光寺へ着し勤番へ渡す時ハ、
 何品なるやしらす。幸此ところ
 にて内覧せん」と、ひそかにふた
 をひらけバ大鐘出たり。大に8
 驚き、いかんともせんかたな
 く善光寺夲堂へ届け、勤番の
 計にて返を造り、善光寺へ引
 付たり。この返を造りし処を
 今猶字を返目といゝ、鐘を
 押はじめし処を押鐘村と
 云と。越后米山のふもと、美女
 の箱を渡したる処を金ケ
 崎と云とあり。しかるに、この
 鐘竜宮の縁によるか。是を
 用て供養の毎に雨天なりし
 故、今の鐘ハ改造したる物なり
 しと。
納骨堂 夲堂の乾の方にあり。
    人此堂に歯骨を納。
 本尊 載院の河原地蔵尊
 脇士 閻魔王
    葬都川の老婆
 右安置あり。
 
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山門 高サ六丈六尺○七分、  現代訳
   桁行十一間一尺三寸、
   梁行四間二尺、
 寛延四年御建立なり。
本尊 文珠菩薩
 脇士 四天王 階上に安置す。
 毎年春秋被岸及(脱落か)
 登上を許す。
善光寺 表正面額ハ宋人の筆也。
二王門 明治二十四年六月二日焼失。
別当大勧進 山門の下、西の方にあり。
      前に池ありて蘭干
 橋あり。風景尤美麗なり。
 表門の額を大勧進と書す。
 明人の筆なり。
万善堂 山門の下西の方、赤門より入。
    大勧進のやしき内なり。
 御法会諸事此処にて行ふ。
本尊 三尊あミた如来
 脇士 不動明王
  三界万霊塔
  善光寺如来画伝等安置す。
 是より奥に諸堂及大広間。御宝物等
 拝礼此処にて頼ふべし
 
   (改頁)
 
兄弟塚 山門の西、万善堂の  現代訳
    門前にあり。源義経
 の臣佐藤継信仝忠信の追福
 の為に、其母君の立られし塚なり。
仏足跡 万善堂前にあり。
 釈尊の御足形を石に写し、彫刻
 したるものなり。
爪彫の阿弥陀仏
 経蔵の後にあり。法道仙人如
 来の御来迎を拝し、石に
 彫付たる石牌なり。文字ハ
 磨滅してわかりかたし。
 法道仙人ハ天竺三十六神仙の
 内の一人なり。奇瑞多し。
地震横死人之塚
 鐘堂の南にあり。弘化四年の
 三月二十四日の震災に横死せし
 人の供養に立し塚なり。
金の大仏
 山門の下にあり。明暦年中江戸
 大火八百屋お七の火災に、焼死人
 の供養の為、吉三郎出家して
 諸国の有志を以て立しといふ。
 
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須摩の薬師  現代訳
 最勝院の本尊なり。須广の
 浦より出現まし/\たるに
 より其名あり。
阿闍梨ヶ池
 本覚院にあり。皇円阿闍梨、
 遠州さくらが池より此池によ
 りて如来へ参詣あるといふ。
当麻の曼陀羅
 尊勝院にあり。九条殿より
 御寄附にて、日本三曼陀羅の一なり。
ねはん像の釈迦
 世尊院の本尊なり。越后国
 居多の浜より出現し給ふ。
観世音菩薩 弘法大師御作。
 玉照院にあり。信濃百番の内。
法然上人御旧跡
 正信坊にあり。故に字法然堂町といふ。
弥栄神社 上西之門町にあり。  現代訳
 
   (改頁)
 
 祭神 素盞男命
 末社 天神社
    金山彦大神
 例祭 七月七日ヨリ十四日至。
    十三日十四日俄か物行列あり。
神明宮 東之門町四ッ辻にあり。
 祭神国常立命
伊勢宮 全町にあり。
 祭神 天照皇大神
寿福山寛慶寺 仝町にあり。
 本尊 阿弥陀如来
 脇士 観音勢至 
  浄土宗
銘工霧吹の獅子 当寺門の  現代訳
        獅子を云。
 明治二十四年六月二日、西の門町より
 出火し、折せつ西南の風烈しく、
 見る間に大火となり、大夲願及二王門焼失、山内一面の火となり、
 この罹災ハ西の門上下、桜枝町少、
 元よし町、法然堂町、東之門町、
 城山等にて火勢益々盛となり、
 
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 火先数派となり、大勧進に火う
 つり、山門并に夲堂へ吹付、いかん
 ともふせぎやうなく、東へ向へたる
 火先山内より芝居鶴座および
 伊勢宮長野学校焼落、又一
 手ハ歓喜庵へ火うつり、長家を
 焼、門に火付、真向に寛慶寺の
 夲堂へ吹付、一面の火となりしに、
 爰に不思議の事あり。今南
 門へ火うつり、西の柱及門戸火とな
 り、獅子に火うつらんとせし
 時、雷の如く音して獅子ハ
 きりを吹出し、平一面に朝き
 りの如くなりけれハ、是まで
 バうせんたる消防方此気に
 力を得て一同にかゝりけれハ、終
 に此門戸及柱獅子の下まで
 焼たるまゝ、爰に消止たり。
 又大勧進も一棟にて消止、其外
 一時に消囗とりて、諸人安蹟(ママ)の思
 をなしぬ。是より此獅子を呼て
 きり吹の獅子と云つたへたり。
○此獅子を左甚五郎の作
 と云。又弘法大師の作なりと
 も云ども、善光寺建立記に曰、
 
   (改頁)
 
 本多善佐信濃守成、
勅命依寺建立ス。則父之諱
 以テ善光寺賜寺号。
  又
 大極殿ノ形状ヲ写シ芋井ノ
 里ニ建寺。
 御普請はしまる時に、飛騨の国の人  現代訳
 大工荘作といふ者、彫工の用に仕へ
 たしとて来り、二ケ月程雑工人
 とまじり右二ッの獅子を造る。
 しかるに大工棟梁と荘作ともの
 云事を発し、其夜荘作の行
 方しらすなりぬ。又獅子も見えす。
 夲堂成就して冬になり、阿
 闍梨ケ池の上に蝶の二羽舞
 あり。本多善佐是をあやしみ、
 従者に命し是をとりて見るに、
 大工のかんなくずにて造りたる
 なり。猶池中をたつねしに、
 二ッの獅子に石をつなきたる
 を得たり。夲堂落成の上なれ
 ハ、門の獅子に用たり。
○按ずるに、左甚五郎ハ中古の
 銘工なり。飛彈の匠ハ仝国
 
   (改頁)      画像20
 
 観音寺村に生、幼名を匠卜
 云。成長して内匠頭となり、
 尤銘工著しく、其人終る
 所をしらす、あるいハ仙境
 に入ともいへり。
 此門の伝来の記ハ、善光寺の
 回録(ママ)の難、治承三年三月二十四日に
 天火にて焼失より、元録(ママ)十三年
 七月二十一日まて、度々の火災有
 といゝ(ママ)ども、此門計ハ少も損する
 事なし。建久八年源頼朝公
 善光寺再建の時、大勧進
 え移しのこらず御造営あり。
 其後代々大勧進の門たりし
 を、等順僧正の代是を当山へ
 寄附せられ、今の大勧進の
 門を造営なりしによりて、
 今当山につたへて、弘化の震災に
 火中にのこり、又かゝる不思議が
 あらわれたり。
歓喜庵 浄土宗。古西之門町ニ  現代訳
    ありて、お構への寮也。今ハ
 寛慶寺門の西の方にあり。
 開基ハ栗田鶴寿なり。
 
   (改頁)
 
長野公園
 善光寺夲堂の東
如来御供所
 公園地に隣りてあり。
ふだん咲の白ふぢ
 公園地にあり。三夲ありて、盛の時
 真白、其他ハ薄紅を帯て、十月まて
 花たゐ(ママ)る事まれなり。
長ふぢ 松風亭前、池の端に有
 紫に咲、花房四尺にいたる。
御幸(ママ)橋 湯福川にわたす。
○御幸町 善光寺より城山へ
     の通路なり。
三幸座 三幸町にあり。
  芝居座なり。
東本願寺別院
 仝町にあり。
長野県側(ママ)候所
 城山にあり。
 毎日気候の予報あり。
 
   (改頁)      画像21
 
城山県社 式内大社  現代訳
 祭神 健御名方富命
延喜式神名帳ニ曰
健御名方富命彦神別神社 名神大
招魂殿 明治二十七年及二十八年征清
    軍人戦死者の霊を祭る。
末社 木匠祖神
   稲荷神社
   千幡神社
戦利品八点
 明治二十九年政府より御寄附なり。
芳艸園 事務所庭園なり。
鳥居の額ハ有栖川宮幟仁親王殿下
 の御筆なり
はせをの碑
 月かけや四門四州もたゝ一ッ はせを
山寺常山先生之碑
 長三洲の書なり。
 御社境内ハ見はらしよし。
 花のときハ梅さくら尤多し。
 
   (改頁)
 
城山館  現代訳
 公会所なり。美麗なる事
 一覧あつて知るへし。
 従覧券壱枚金五銭。
花月亭
 県社境内にあり。名物すし。
福生稲荷社
 城山館の東にあり。
 
   (改頁)      画像22
 
筆草 県社境内に生ず。
 花をさまりたるとき、是を用
 て文字を書し得る。
片葉芦も仝所にあり。
 かたはよし 筆艸(絵)
 
   (改頁)
 
▲二天前より東へ行ハ  現代訳
○東横町 なり。
○法然堂町 東横町より
 山内へ登ル町なり。
○夲町
 東横町より法然堂町
 の次を上ル町なり。元ハ是
 を東之門町といゝし所なり。
○東町
 東横町より下ル町なり。
○岩石町
 東横町を行あたりて、折曲
 て北え行町なり。
 曲り角より下れバ
西の宮大神 岩石小路にあり。
 祭神 蛭子命
    事代主命
    稲倉魂命
 例祭 一月 十九日二十日
    十一月 十九日二十日二十一日
 
   (改頁)      画像23
 
虎跡庵跡 西の宮のうしろなり。  現代訳
 曽我五郎致宗、同十郎祐成富士
 のすそ野に仇を討後死す。其愛妾
 化粧坂の少将及大磯のとら女、此所
 に住て菩提を弔しとなり。
○新町
 岩石町より曲り、伊勢町を合て
 下ル町なり。
○淀ケ橋町
名産糀 松沢氏製。佳品なり。
○河原崎町
○横山町
○相之木町
三輪山時丸寺 境内に時丸の墓
       あり。
 本尊 観世音菩薩
美和神社 三輪村産神なり。
     三ツ鳥居あり。
 祭神 大己貴命
延喜式神社帳ニ曰
 美和神社
 
   (改頁)
 
白鳥山康楽寺  現代訳
 東町にあり。
 真宗西派なり。
稲荷社
 田町川岸にあり。
 此辺を七ツ釜といふ。
普済寺
 田町にあり。
 曹洞宗なり。
明行寺
 権堂町にあり。真宗東派なり。
蓮池山往生院
 浄土宗。記主禅師の開基。
 善光寺如来火災の時、仮堂の
 跡なり。故に此地を権堂卜いふ。
秋葉社
 祭神 火之迦具土命
 例祭 八月二十六日
千歳座
 秋葉社の西の方にあり。
 芝居座なり。
 
   (改頁)      画像24
 
長野遊郭  現代訳
○大門前
大門
○仲の町
○住吉町 仲の町の南也。
○松ヶ枝町 仲の町の北也。
 三ヶ町共壱丁目より三丁目迄。
 (絵)
 
   (改頁)
 
若宮 上松村産神なり。
 祭神 仁徳天皇
駒形嶽神社 上松村にあり。
 祭神 応神天皇
 例祭三月一日 参詣群集す。
小児馬の
くつをかむりて
社参す。
是蒼の
病を除く
ねがひなりと。(絵)
 
   (改頁)      画像25
 
岩井堂  現代訳
 箱清水村山上にあり。岩穴に観
 音あり。弘法大師此ところ
 にて護摩を修し給ふと。
枡形の古城跡
 岩井堂の峯にあり。
雲井山 北郷村にあり。
 薬山といふ。元薬師如来
 の堂あり。今ハ八串神社と成。
 薬山 風景たくひなし(絵)
 
   (改頁)
 
○善光寺夲堂より西へ行ハ  現代訳
弁天坂 経堂の後の坂なり。
○横沢町
 貫通して西に
○花咲町
長野地方裁判所
 花咲町にあり。
○狐池
狐池鉱泉
湯福神社 横沢町の北にあり。
 祭神 事代主命
  健南方命
 長野町北部の産神なり。
 例祭十月九日
 氏子中より奉納の相撲あり。
安楽山往生寺 山の苅萱といふ。
 本尊 無量寿仏
 苅萱親子地蔵尊あり。
 加藤左衛門重氏往生の地といふ。
 ・吉良の桜 吉良佐兵衛出家
       して此寺に住。其時
 
   (改頁)      画像26
 
 うへしさくらなりといふ。
 ・来迎松、其他名所多し。
 此寺見はらし尤よし。
塩沢御嶽社  現代訳
 祭神 国常立命
塩澤鉱泉
 功能
焼野鉱泉
 功能
○荒安村
皇足穂神社 荒安村にあり。
 祭神 保食命
松田屋の松 荒安村入口、休所
 松田屋熊五郎氏庭前にあり。
神代桜
 泉平村にあり。尤古木にして
 回り五丈ヨ。花の時ハ満山の花の如し
 
   (改頁)
 
○二天前より西へ行ハ  現代訳
○西横町
長野県長野警察署 西横町北側にあり。
 此西に四ッ辻あり。南ハ西町なり。直
 行すれハ栄町なり。北へ行ハ西之門町なり。
信濃銀行 四ツ辻の角にあり。
銘酒 吉野川 仝北角、よしのや
    藤井氏の醸造なり。
○栄町 仝直行町なり。
妙薬 善光丸本舗 茂木氏製。
 諸病に功あり。
○立町 栄町の次なり。
長野県庁 左りにあり。
上水内郡役所 右側にあり。
○西長野町 立町よりつゞく。
○西之門町 信濃銀行前四ッ辻より
      上る町なり。
 
   (改頁)      画像27
 
○神明町 西之門町中程より左へ  現代訳
 行町なり。右側に大神宮の社あり。
○桜枝町 西之門町を上り、四ッ辻
     より左りへ行町なり。
 四ツ辻より上を上西之門町といゝ、右へ行ハ
 二王門へ出る。此間を
○御霊舎小路といふ。
○安良町 桜枝町を一丁程行て、
 左りへ入町なり。是戸隠山の夲街道
 なり。少し上り、四ツ辻角に
権衡製作場あり。
 松沢竜右衛門氏是を営。
 此四ツ辻より右へ行ハ新みちと云て、
 弥栄神社の後通り、駒がへりばしに
 いたる。左へ行ハ花咲町にて、辻より上ハ
○横沢町 安良町の次なり。
愛宕社 横沢町左側にあり。
 祭神 伊弉冉命
    火産霊命
 太郎坊像あり。火ふせの神也。
 
   (改頁)
 
天神社 桜枝町右側にあり。  現代訳
 祭神 菅原道真
長野連隊区司令部 右へ入てあり。
長野裁判所 仝北にあり。
来間池 仝右側にあり。
○西長野町 桜枝町の次なり。
加茂神社 西長野町産神也。
 祭神 別雷之命
    玉依姫命
頼朝山静松寺) 横棚寺といふ。
 頼朝法師の開基なり。
 仝法師の笈仏あり。
 右大将頼朝公の御祈願所なり。
(五郎ヶ滝―絵)
 
   (改頁)      画像28
 
旭山五郎ヶ滝 二天前より一り五丁。  現代訳
 木曽義仲の臣落合五郎兼行の
 閑居せし処なり。故に五郎ヶ沢と
 いふ。葛山の落合備中守ハ、此胤孫
 なりといふ。
葛山古城跡 静松寺の北、山の峯
 にあり。村上義清の臣落合備中守の
 居城なり。
不動瀑布 仝二リ十二丁、
 入山村にあり。小鍋村より裾花川をへたてゝ
 見る。常に虹あり。故に虹がたきの称あり。
鬼女紅葉窟 柵村にあり。
謡曲紅葉狩を見るべし。
(不動瀑布―絵)
 
   (改頁)
 
葛山弁財天 茂萱(ママ)にあり。  現代訳
 祭神 伊都岐嶋姫命
 落合備中守御守神なりといふ。
 御はらこもりの御尊体あり。
茂萱鉱泉 仝
 功能
養蚕神社 西長野町にあり。
 祭神 豊宇気日売命
謡曲柏崎之旧跡
 山門の東の石印ならんといふ。
閼伽井
 弘法大師、山内古祥院の井水にて、
 如来前に胎金両部閼伽の秘法を
 修し給ふ事、大師の山籠記に見へたり。
雲切めぐすり
 伊勢町眼界堂笠原十兵衛氏製。
動物標本廛
 西町東側、若松町角福島氏製造。
諸鳥獣実物の作。長野一品店なり。
 
   (改頁)      画像29
 
名物 後町東側権堂小路角  現代訳
  芳雪堂 鳥飼久蔵
宮内省御用
 御菓子所
 求肥餅
 御用品
 元祖杏製
 更紗梅
 仝
 甘露漬 
 仝
 所自慢
寛永七年の開業にて、
宮内省陸海軍省の
御用を蒙り、次て
内外博覧会共進会
品評会に出品、数度
優等賞を得たる、滋養と
美味全く供り著しき銘産なり。
 
   (改頁)
 
長野病院  現代訳
 石堂町西県町にあり。
日吉山王社 県町西にあり。
 祭神 猿田彦命
囁森 中御所村の産神なり。
又 
佐々夜貴神社
 祭神 諏訪社
髪観世音菩薩 中御所あり。
 源頼朝公の御守仏なり。
 健久八年善光寺御参詣の時、
 此所を御所に造り給ふ故、今に至
 中御所といふと。
栗田城跡
 栗田村にあり。栗田鶴寿、
 栗田永寿、栗田形部、三代
 城主、善光寺守護職なり。
木留神社 善光寺七社の内。
 荒木村産神なり。
  祭神 健御名方命
 
   (改頁)      画像30
 
成田不動尊  現代訳
 荒木村にあり。下総成田山の出
 張所なり。
熊谷山一乗院仏導寺 吹上の東、
          市村あり。
 浄土宗 蓮生法師開基
本尊 阿弥陀如来 善光寺七院の
 内。如来夲堂より南三十丁ニあり。
綱引阿ミだ如来 蓮生法師の作
 抑当山ハ、人皇八十二代後鳥羽天皇
 の御宇文治四年、武蔵国の住人
 熊谷次郎直実蓮生法師の
 創立にして、其息女玉鶴姫の
 逝去往生の旧地なり。今猶姫
 塚と称し、遺跡の墳墓を存在
 せり。是善光寺七塚の一といふ。
 綱引の如来ハ、蓮生法師善光寺
 参籠のせつ、一刀三礼の作仏なり。
  什物
 ・法然上入御真筆 蓮生法師へ御授与の名号
 ・玉鶴姫の法衣及念珠
 ・小形郡司直秀の陳刀
 壱振
 ・直江山城守寄附薙刀
 
   (改頁)
 
 (姫塚の図、仏導寺図―絵)
 
   (改頁)      画像31
 
銀杏大樹 寺の前にあり。直立、  現代訳
 高サ二十七間余。遠方より見当
 になる木なり。
さらし井 寺の前にあり。是
 小形直秀の妻すミ、寺の側に
 閑居し布をさらしたる池
 なりといふ。今ハ宝井ともいふ。
姫塚 寺より西の方二丁余、
   吹上の間にあり。
 熊谷次郎直実息女玉鶴姫の
 墓。五輪の塔あり。空風火水地と
 記し、戒名ハ「仏導院殿一乗妙蓮
 大禅定尼 延応元天九月五日」、
  又一其ハ、
 正面ハ「(梵字)南無阿弥陀仏」と記シ、
 側面より三面に玉鶴姫の履歴
 を記したる文を彫刻したり。
 年号ハ「元録十五載次壬申夏
 五月瑞祥」とあり。うしろに
 槻の大樹二夲あり。一夲ハ廻り
 壱丈七尺、又一夲ハ廻り壱丈三尺あり。
 川中嶋合戦の時、此所に直
 江山城守芝趾の陣を取り
 たり。甲越信戦録を見
 るべし。
 
   (改頁)
 
丹波嶋橋 犀川かけしはし  現代訳
 なり。長サ三百間、渡銭壱銭。
裾花川
 水源鬼無里村の奥に発し、
 長野町の西を流通するなり。
このおくにさくらの西行
   さとのあれハにや
 裾花川と人ハいふなり  
相生橋 長三十間余。
 裾花川のはしなり。
 大町街道なり。橋上より長野
 町一覧、尤佳景なり。
幟神堂 小紫見村にあり。
 本尊 観世音菩薩
 大昔秦ノ川勝の霊を祭るなり。
 応神天皇の御宇、漢より
 呉羽、服織の両女来朝し
 錦を織。是本朝織物の始メな
 り。川勝ハその末孫なり。
 故に秦を姓とす。聖徳太子
 に仕へ、守屋を討せしと
 なり。故に児女織の業を習
 に、此寺にいのるといふ。
 
   (改頁)      画像32
 
旭阿弥陀堂  現代訳
 平柴村旭山にあり、弘法大師の
 御作なり。見はらし一等よし。
長者屋敷
 小柴見宮内といふ郷士の邸跡也。
千年家
 平柴村藤原長次郎氏の家。
 枝の付たる立木を用て家造
 したるなり。尤古し。
正覚院 安茂里村にあり。
 本尊 観世音菩薩
歓喜天
  正覚院にあり。あらたかなり。
 此処風景よし。
 四月中旬ハ杏花盛にて、諸人
 群参す。
杏花 安茂里村一面に杏花
 梅さくら等咲みちてにきハふ。
 殊に四月十八日群集す。
 両郡橋
 小市村奥にて犀川にかけし
 はしなり。風景尤よし。
 
   (改頁)
 
   新田町西側荻原氏
朝陽舘書籍廛之図
   学校用具販売
 (絵)
―――
   後町郵便電信局側
菓子製造所 静潤堂
銘産 ネり杏
杏製 ゆかり
―――
   大門町五明館向
蕎麦御料理 ふぢき
   元よし町釈迦堂前
でんがく御料理 ゑびや
   夲町上の角
蕎麦御料理 さゝ木
 右ハ軽費ニて其名著しく、弁当の便利よし。
―――
 
   (改頁)      画像33
 
諸買物ニ為便利格別勉強ノ店ヲ記ス
―――
   大門町二天前角
(商標)呉服太物商 よしのや
         藤井商店
―――
   上後町東側
(商標)呉服太物商 つゞきや
          荻原商店
 尺度売捌
―――
   大門町東側
(商標)万金物商 ますや
         宮下商店
―――
   大門町西側
(商標)西洋雑貨 するがや
         鈴木商店
 諸印紙
 尺度 売捌
―――
   大門町東側
(商標)西洋雑貨 西川商店
―――
   石堂町
(商標)清酒醤油 南雲酒店
 北越丸山醸造
 梅ヶ枝印特約一手販売
―――
 
   (改頁)
 
 長野市大門町一丁目上ノ角
  駿河屋商店
(商標)洋物店
 特許専売 厨燈 一名即席焜爐特約一手販売
 東京本郷 ベースボール
 美満津製 ハット 特約大販売
(二天前 駿河屋之図)
―――
   仝横町夲店ヨリ二軒目
(商標)荒物店
   するがや 支店
―――
 
   (改頁)      画像34
 
  大日本帝国茶問屋
(商標)帝図二等有功賞牌 各国製茶販売所
  長野市蔦屋平兵衛
―――
   仝公園地南
写真 西川堂
―――
   仝横沢町
入歯 徳武金太郎
―――
   上後町
印舗 潤光堂
   久保田照華
―――
雲切目薬 眼病一切ニ
白煉目薬 奇効ヲ奏ス。
右目薬ハ往古ヨリ広ク販売ス。
   長野市伊勢町
本舗 眼界堂 笠原十兵衛
 附言、請売御望ノ方ハ御申込アレ。直ニ手続致シ差上候也。
―――
 
   (改頁)
 
  和漢洋薬品
(商標)医療機械其外
  諸高名売薬
   仝大門町四丁目
  永寿屋 北沢夲店
―――
  長野市大門町一丁目
(商標)製茶問屋
  喜多乃園 小笠原平作
(絵)
―――
 
   (改頁)      画像35
 
  和漢洋薬種
(商標)諸大家売薬
  絵具染料品
   長野市大門町二丁目
  小升屋号 小林伝兵衛
(絵)
―――
(商標)和洋御菓子所
  杏鑵詰製造元
   仝 大門町三丁目
  高田屋号 前嶋茂兵衛
―――
(商標)和洋砂糖氷掛菓子類
  《ロウ》燭伽羅油水油類商
   仝 大門町三丁目
  柳田屋号 酒井忠兵衛
―――
 
   (改頁)
 
(商標)男女洋服調進并洋品商
  特約販売金庫風琴調革其他いろ/\
   仝 大門町三丁目
    山城屋仲之助
―――
  西洋馬具品々
(商標)和洋雑貨商
  撃劔道具一式
   仝 大門町新小路角
    紙屋太吉
―――
  四季ノ外套類及ヒ其他諸品
(商標)西洋雑貨 
  ホンネル 商
  大勉強仕候。
   仝 大門町カネ井川ヨリ北へ八軒目西側
    福田屋福次郎
―――
(商標)各国陶器
  製糸器械鍋 商
 官許 真霊丹 外ニ感病に奇効あり。其他
        諸病に霊験あり。
        小児五疳に神妙あり。
 発汗愼咳 解熱散 感冒一切に効あり。
   仝 大門町四丁目
    藤屋号 滝沢嘉助
―――
 
   (改頁)      画像36
 
   仝 大門町二丁目
(商標)太物唐物商
  信善縞製造販売所
   米屋号 轟市右エ門
―――
機業伝習所ハ
石堂米屋町に
あり。数百人の
工女に伝習し、
信善縞を
製出する
なり。(絵)
―――
   仝 石堂町
(商標)太物唐物商
   米屋号 轟宇三郎
―――
 
   (改頁)
 
   仝 新町
(商標)呉服太物唐物糸類商
   柏屋友吉
―――
   仝 新町
(商標)太物荒物西洋織物類
  真々部屋号 小池伊兵衛
―――
   仝 大門町二丁目上堀
(商標)太物卸商
   小宮山慶作
―――
   仝
(商標)西洋織物卸商
   三上安太郎
―――
   仝 大門町二丁目
(商標)呉服太物唐物商
   福井屋号 福沢芳太郎
―――
 
   (改頁)      画像37
 
   仝 石堂町
(商標)食塩肥料商
   北沢啓兵衛
―――
布引坂の
西光寺ハ、
苅萱法師
石堂丸
親子
地蔵尊、
布引
観音の
旧跡なり。(絵)
―――
   仝 後町
(商標)諸材木建具類商
   菱屋九兵衛
―――
   仝 横町
(商標)国産 紙麻畳糸大販売
   岡本広吉
―――
 
   (改頁)
 
   仝 大門町一丁目
(商標)各国畳表紙麻荒物商
   中嶋惣兵衛
―――
   仝 新町
(商標)鍋釜砥石万金物類
   鍋屋号 上原平七
―――
   仝 裏田町
(商標)須田石油商店
―――
   仝 石堂町
(商標)食塩雑穀肥料商
    阿羅屋号 山口甲造
―――
   仝 東町
(商標)下駄鼻緒其他荒物商
  麻屋 夏目平助
―――
   仝 大門町三丁目
雑誌類
諸新聞 荒物商
   北辰堂
―――
 
   (改頁)      画像38
 
   仝 裏田町
(商標)醤油味噌醸造本店
  会津屋号 佐治木清七
 下高井郡湯田中温泉
 更級郡川柳村二ッ柳 各支店あり。
―――
 長野市栄町
(商標)和洋酒類醤油味噌 問屋
  喜多屋久右エ門
―――
   仝 淀ケ橋
(商標)糀製造
  松沢伊兵衛
―――
 
   (改頁)
 
   長野市元善町
諸宗仏具御位牌類 御印彫刻師
    長生堂
―――
   仝 元善町
家伝秘法 黴毒丸 釜鳴舘
         中島孝助
  かさ一切の妙薬。如何なる難症ニても全治す。
―――
  善光寺仁王門ノ西 停車場前に
           支店あり。
(商標)中島屋孝助
  善光寺御参詣ノ諸君御丁寧に御案内仕候。
―――
  長野市東横町東町角
(商標)白木屋儀兵衛
 如来様御参詣、御内陣入、別御開帳、御血脈、并ニ
 御奉納物万事御丁寧に御案内仕候。
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  長野市大門町一丁目
(商標)髪附油《ロウ》燭種水油荒物類
 砂糖紙類筆墨硯其他品々
 喜多屋号 小笠原音吉
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  仝 立町
(商標)各国 陶器製茶販売
 藤屋号 新井長蔵
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   仝 立町
滋養 御菓子所 千歳屋号
づゝう一切の妙薬 静靖丸 宮原清作
            大取次販売所
  本舗 東京 高木与八郎製
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  仝 立町
(商標)国産 麻畳糸 各国 煙草商
 能登屋号 斎藤伝右衛門
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  仝 立町
(商標)国産 紙麻荒物商
 榊屋号 小林喜久治
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  長野市大門町三丁目
(商標)時計商店
   中沢愛次郎
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  長野市新町
(商標)各国 銘茶 卸小売
  みのや直吉
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  長野市大門町三丁目七百八十六番地
(商標)諸国 製茶問屋
当家ハ、旧管領上杉謙信公の幕下たり。後
松平遠江守に奉仕し、中古善光寺に居
定め、朴菴と号し仁術を施し、夙に風流
専ら茶事を楽ミとす。適々明治十七年、本
県下茶業組合取締所を設置せられ、其際
不肖九代五郎兵衛衆ニ撰定せられ、頭取
を命せられ、県下を巡回し、斯業を日夜奔
走奨励方法を希図せり。爾後海外へ
声名を増し、以て今日の繁栄を見るに
至れり。幸に熱心と経験を以て製法の
名茶を一喫、風味を賞玩せられん事を希ふ。
  藤夲屋号
紫藤軒 佐藤五郎兵衛敬白
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(商標)髪附油《ロウ》燭種油
 砂糖紙類筆墨硯
 荒物数品
   仝 新町
 美濃屋号 小林久七
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(商標)諸国紙荒物類商人御定宿
 諸大家売薬取次
   仝大門町一丁目旧西横町
 小升屋号 西条市兵衛
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(商標)薬品洋酒医療器械
 有効売薬絵具染料
   仝 新町上野屋号
 薬剤士 小坂定次郎
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 和漢洋薬品洋酒類
 (商標)医療器械有効売薬
 絵具染料薫料各種
四季秘用 花の露 大販売所
   仝 新町
 薬舗上野屋山夲保兵衛
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  長野市大門町一丁目
(商標)薬商 永寿屋号
  薬剤師 北沢為三郎
大日本北華堂岩間兼三郎謹製
御目薬 岩間水 大販売所
 第一ちめ、たゝれめ、かすみめ、めぼし、
 とりめ、つきめ、此外ニ大効あり。
右御請売望ミ之御方ハ下名へ御申込被下度候。
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善光寺の霊薬
農商務省登録商標
一名善光寺のめぐすり
(商標) 雲切光明香
   貝入 金二銭
   瓶入 金五銭
 本剤が如何に眼の病一切に卓効あるかを試
みられよ。其奇効あるに驚かん。請ふ実験あれ。
ちめ、たゝれめ、かすみめ、はやりめ、
ほしめ、のぼせめ、できものめ、其他一切ニよし。
●殊にちめたゞれめにハ、一つけニてなほる。
 信州善光寺前元善町西側
調剤所 薬舗 小山愛生堂
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(商標)善光丸
     小包 三銭
     中包 五銭
     大包 十銭
     大々包二十銭
 せんき、寸白、しやく、りうゐん、食あたり、
 むねはらいたミ、ちのミち一切ニよし。
 小児五疳、きやう風、むし一切の妙薬なり。
(商標)善製散 中貝入 三銭
        大貝入 五銭
  一名口中薬
 むしバ、口ねつ、はくさ、ゆるぎば、ぬけばのいたみ、
 其外口中一切の妙薬なり。
(商標)明治水 中瓶 三銭
        大瓶 五銭
 はやりめ、たゝれめ、かすみめ、ちめ、のぼせめ、
 ほしめ、かさめ、其外眼病一切の妙薬也。
(商標)善能膏 貝入 弐銭
 腫物一切、はれもの、よう、疔ねぶと、其外
 名なきできものゝ妙膏なり。
  信州長野市栄町
本舗 善光堂 茂木弁蔵
右売薬請売御望ミの方ハ御来談を乞。
近頃当市ニ家製善光丸ニまぎらハしき
同名薬を行商致す者有之候間、御購求
之際ハ本舗茂木弁蔵を御見留之上、
御購求被下度願上候。
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各国石油
(商標)正種水油 商
 洋燈硝子板
 長野市後町
  小林石油商店
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 長野市大門町二丁目上堀小路
  三上真助
図案 版木彫刻
   美麗印刷
 出版ニ関スル物受屓仕候。
  近刻出版之書目
豊斎如真翁新図
 長野百景 壱冊
仝 画
長野市名所図会 壱冊
 
善光寺独案内終
 
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明治三十年九月二十六日印刷
仝 年十月一日発行
 
 長野県長野市大門町八百八番
著作兼発行者 三上真助