NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

2.紀行文・道中記、地誌

■善寺案内

[解説]

善光寺案内
長野郷土史研究会 小林一郎

 明治時代の寺御開帳に合わせて出版された、とその周辺の案内書です。明治時代の寺御開帳は、明治5年、10年、15年、21年、27年、33年、39年、45年に行われています。以降は大正7年、13年、昭和5年、11年と続きました。江戸時代寺御開帳は不定期に行われていましたが、明治15年以来、子(ね)年と午(うま)年に行われるようになりました。
 寺御開帳に合わせた出版が行われるようになったのは、明治15年からです。次のような出版物があります。
 
 明治15年 『如来略縁起』『信州御堂額之写并ニ霊験記』
 明治21年 『如来伝記図絵』『如来霊験実録』
 明治27年 『如来略縁起』『和讃』『如来由来讃歌』等
 
 明治中ごろまでの寺御開帳に合わせた出版物は、寺縁起など、信仰にかかわるものであったことが分かります。こうした中で、明治33年の御開帳に出版された『案内』は、これまでの出版物とは違う、案内書です。これは寺御開帳の参拝が、従来の信仰目的から観目的へと変化しつつあることを意味しています。その背景には、鉄道の発達により観旅行が容易になったことが考えられます。長野駅は明治21年の御開帳中に開業し、明治26年には最後に残った軽井沢・横川間が開通して、東京と長野は鉄道で直結されました。参りは、鉄道により容易に行える時代になったのです。
 そうした中で『長野土産』(明治26年)、『独案内』(明治30年)といった旅行案内書も出版されました。しかしこれらは江戸時代以来の木版印刷で、大量出版には適していませんでした。その中で、活版印刷による旅行案内書のさきがけとして登場したのが、明治33年の『案内』でした。
 『案内』はとその周辺の案内書の定番となり、明治39年と45年の御開帳にも改訂版が出版されました。ここに掲載したのは、明治39年に出版された改訂判です。著者村松今朝太郎(清陰)は、御開帳以外の時期には、『案内』とほぼ同内容の『土産』(明治36年)、『長野案内』(明治40年)といった案内書を出版しています。
 『案内』の特色の一つに、写真が掲載されていることがあります。いずれも明治時代の周辺を写した、貴重な写真です。中でも、「駒入橋ヨリ仁王門ヲ望ム」というキャプションの付いた写真には、明治24年に焼失した仁王門が写っています。この写真が明治24年以前に撮影されたことが分かります。この写真は明治33年版と39年版に掲載されていますが、45年版では他の写真に置き換えられています。この間、仁王門はまだ再建されていませんでした。ようやく再建されたのは、大正7年のことでした。
 著者の村松今朝太郎(清陰)は、現在の長野市川中島町今井北原に生まれ、上田中学校教諭を務めたあと、東京に出ました。『信濃名勝詞林』『信濃名勝誌』などたくさんの著作を残しています。