NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

1.震災・火災・水害等災害の記録

寛保二壬戌歳満水記 [現代訳] 

    松代満水の記
時は寛保2壬戌年(1742)7月28日、丑三つの時(午前2時頃)に、雨がふりだし、29日も降
り止まず、あたりも薄暗くてうっとおしく、夕暮れになって急に雨が強く激しく
なり、風も強くなれば、軒の雨しみや砂や小石を
流すくらい強く降った、8月1日の戌の時(午後8時頃)千曲川が満水に及び
山々や諸所が崩れ、その音は百や千ほどの雷かと驚くほどだ、水が溢れ出し、
沢々にあふれ、高波が打ちつける程で、短時間に松代に水が入り、
御城が水ひたしとなり、士農工商の家屋へ水が押し入り、人は梁へ登り、あるいは家の棟へ
破り出てまたがり、隣家の人と声を合わせ、「どうした事だ」、「どうした事だ」という声で
やかましく、哀れとはいわないが大声でさけぶ声や、わめきさけび、大声で
わめきさけぶ光景を目前に、耳をふさぎたくなる、馬は繋がれたま
ま死に、家を流し、あるいは半潰、流れた家はとどまるところを知らない、親子を互いに救う
ことは出来なかった、当面2日の午の刻(昼12時頃)にいたって水が引き、高いところに住む家に
皆縁をたより、あるいは手寄りを求めて逃げた、水が引いたとはいえ、まだついた水の水位は高く、
長身の人の股のあたりを越して水がついている人が多い、子どもは男女に
背をわれ、あちこちでばらばらとなり、胆を冷やした、涙をながして行きかう人もいた、女は
水がまだ深いのに無理やり通るものもいた、そんなところに村から家を流し、あるいは
流れ死んだ人は、櫛の歯をひくがごとく訴えが出され、筆の乾く間もない、天変地異は
珍しくないことだが、この地では記憶にないほどである、今更のように声をあげて語った、時には親が流され
子が残る場合、子が流れ親が残る場合、親戚一同みな流されるケースもあった、残された者は、
涙で袖が濡れ、別れを惜しむ光景は筆では書きつくすことはできない、他人の袖さえ濡らすようだ、
いや心配する人においては他人の袖を濡らすこともある、時には器物を流し、時には穀物を流し、当時の
難儀、農は田畑を流し、この先どのようになるのかと心を痛める人が多い、兼好法師
の言葉に「人の命の有限であることが素晴らしい」という言葉が、耳にも入らない時であることも滑稽である、
この地においては前代未聞のあり様である、
  時は寛保2戌年8月10日 松代藩士 原正盛敬書
 
寛保二壬戊年(1742)7月28日から29日、特に29日夕暮れから
大風雨となり、8月1日の夜8時頃から川は満水となり、
松代の御城を始め、御城下の家屋の流失、浸水した、松代10万石の領分の
村々からの届出の写である、
  殿町通り
一30間塀流 鎌原兵庫
一4間塀流  鎌原縫殿
一20間塀潰 矢沢矢治摩
一29間余塀潰 袮津甚平
一20間半塀潰 大熊五郎右衛門
一24間塀潰 袮津三十郎
一12間塀浦通り潰 海野大右衛門
一6間半塀潰 恩田靱負
一10間塀潰  岩崎四兵衛
一20間塀潰 恩田織部
一[6間長屋潰 4間塀流] 塩野左門
一13間塀流れ 藤田助之丞
一20間塀潰  原半兵衛
一21間塀潰 袮津権大夫
一[4間長屋潰 2間塀半潰] 袮津式右衛門
一16間塀潰 樋口覚兵衛
一6間塀潰  菅 杢之進
一7間塀潰  成沢庄蔵
一30間塀潰 青木浪江
一18間塀潰 赤沢七郎右衛門
一[22間塀潰 南ノ方半潰] 出浦半平
一[10間塀流 2間門流] 矢沢修理
一廿八間塀潰 小幡長右衛門
一[26間塀流 9間長屋流] 池田 亘
一4間塀流  矢野半左衛門
一3間塀潰  片岡志津馬
一8間塀潰  福田又四郎
一5間塀潰  安藤友弥
一44間塀潰 樋口武左衛門
一7間塀潰 前島助之進
一12間塀流 十河嘉兵衛
一[10間塀流 表通り半潰] 岩崎玄蕃
  右は表通りのみの破損調べである、屋敷内の破損は調べていない、
  清須町通り
一三38間塀流 赤塩三郎右衛門
一9間塀潰  蟻川源五兵衛
一3間塀潰  佐久間喜 膳
一[5間長屋潰 5間塀潰] 坂巻友之進
一11間塀潰 前島友之進
一13間塀潰 上村千治郎
一17間塀潰 明屋敷
一21間塀潰 相沢治郎右衛門
一19間塀潰 小松藤四郎
一居宅潰   和田半助
一8間長屋潰 小泉平助
一10間塀潰  小泉小四郎
一4間塀潰  中村周伯
一[12間塀潰 門口潰] 小幡惣左衛門
一[8間長屋流 8間塀流] 樋口弥兵衛
一16間塀流 桑名文左衛門
一[8間長屋潰 12間塀潰] 大森作左衛門
一[7間長屋潰 6間塀潰] 白川甚左衛門
一17間塀潰 常田市郎右衛門
  竹山町
一13間塀潰 池村与右衛門
一2間半塀潰 友野松之助
一[6間長屋潰 3間塀流] 関口軍蔵
一4間余塀流 山寺庄左衛門
一14間塀流 金子勘左衛門
一20間塀潰 鈴木右近
一3間長屋潰 長谷川新蔵
一[7間長屋潰 16間塀潰] 〆木兵左衛門
一[4間長屋潰 居宅打潰] 佐野友左衛門
  代官町
16間塀流  窪田新平
一12間塀流 井上伝右衛門
一25間塀流 児玉与四郎
一13間塀流 和田伊右衛門
一14間塀潰 川口利右衛門
一22間塀流 大日方七右衛門
一9間塀流  成沢勘左衛門
一恵明寺長屋借宅流れ、川口庄兵衛妻子とも3人流死、
一家残らず流れ  沢十大夫
一長屋半潰  興津民之進
一家残らず流れ  山寺藤八
一居宅潰   大島武左衛門
一両御厩の御馬流死、合わせて32疋
   内、上御厩にて流馬17疋
    下御厩にて流馬15疋
  松代城下の内、橋が流された箇所と御領内の被害を訴え出た村、訴え順で不同、
一木町橋 一紺屋町橋 一片端(羽)町橋 一御馬出橋
一上御厩脇橋 一下御厩橋
  この外諸所小橋が多数落ちた
一83軒[流家 潰家]共ニ流死1人、流死馬1疋
   新馬喰町
一9軒流家   一10軒潰家、27人流死、
   西寺尾村
一53軒潰家 一2軒流家、流死13人、内[男3人女10人]
   内川村
一41流家 一49人流死、但流死馬2疋
   東寺尾村
一75軒流潰家共に 一流死男1人
   東福寺村
一41軒流家  一流死13人、内[男8人・女5人] 流死馬1疋
   矢代村     
一34軒流潰共に、流死はなし、田畑砂入、
   町川田村
一18軒流家   一流家4人、山抜4ケ所
   柴 村
一40軒余流家  一男女共70人流死、
   小出村
一用水川除押払、田畑残らず川欠砂入の旨これを訴る、
   清野村
一屋舗家共26軒半潰 一山抜22ケ所、往還道50間抜、
   桑根井村
一道18間、堰8ヶ所水破、
   平林村
一道60間 堰11ヶ所山抜水破、
   仁禮村
一流家50軒 男1人流死、諸所道が抜け50間破損、山抜により田地も損なわれた、
   八町村
一34軒、流潰屋共、男女4人流死、
   小河原村
一250間道水破、260間橋場まで、150間塩川橋通、
   大熊村
一諸所山抜、道200間、田畑水押入、家潰拾軒
   大室村
一31軒流家、10軒潰家 男1人女5人流失、流馬1疋、道300間水破
   牧内村
一11軒潰 10軒半潰 85ヶ所山抜、田畑はおおかた石砂入、
   大塚村
一田畑水入、その外異常なし、
   幸高村
一砂入田畑少々、その外異常なし、
   関崎村
一船頭家4軒 人数26人之内2人残、外は残らず流死、
   東川田村
一家19軒押流、田畑残らず砂入、
   川合村
一家51軒流失、男女81人流死、内[35人女47人男]
   西条村
一家11軒流 男1人流死、
   里村山村
一家22軒流 男22人流死 950間の土手押破、
   布野村
一家7軒流 大橋流 道1500間余破損、
   福島村
一26人流死、内[10人男、16人女] 28軒流家、新田の分家である、潰家21軒、
 本田分潰家15軒 流家2軒〆56軒ノ水失、馬1疋流死、土手押流
90間余、馬道3分1破損、
   上五明村
一男女合58人流死 馬2疋流死、
   上山田村
一28軒山抜水潰、内7軒山抜により埋まった、田畑残らず砂入、
   仙仁村
一山沢押出し、家11軒流、内[寺1軒 袮宜家1軒] 御用木500本余流、田畑砂入、用
水堰10町押抜、
   上平村
一用水堰土手押切、田畑残らず砂入、
   新山村
一用水堰山抜押払い、田畑砂入、堰押し埋り、
   網懸(掛)村
一大口六ケ村用水堰口破脚却、本田新田ともに砂入、泥入、
   湯田中村
一家3軒流、道1100軒程損、田畑共に山抜諸所多、
   佐野村
一家31軒流、道500間損、田畑砂入、
   沓野村
一家14軒流 渋湯湯坪共に押払い、
   保科村
一家78軒内[51軒流、27軒潰] 流死7人、御用漆木大小700本流、
   御平(幣)川村
一家58軒流 男女46人死失水難、
   東条村
一家11軒流、潰家12軒、〆23軒、草山20ヶ所山抜、男女11人
 不見、
   会 村
一家20軒押流、男女7人流死、20人水溺れ、半死9人行方不明、
 見、田畑水入、
   四屋村
一犀口三堰上下幅6間、同所両堰9間余押切り埋り、5尺余大ロヨリ
 100間余、但高堰迄、中堰下幅9間余押入り埋り4尺余、大ロヨリ91間
 余、下堰両待居不残押払い、
   上横田村
一家5軒流、潰家6軒、13人流死、
   下横田村
一家42軒 内19軒は流れ、1軒は潰れ、残りは半潰、橋3ヶ所流、
   倉科村
一草山35ヶ所山抜、家35軒潰流共に、男女11人流死、
   田中村
一家8軒潰 男1人流死、田畑残らず泥入砂入、
  小森村
一家29軒流 11人流死、内[6人男 5人女]
  牛島村
一流家22軒、潰家50軒、残家半潰、人26人行方不明、追って詳細を報告します、
   小布施村
一川除不残押払、居家敷水入になったが破損は無し、
   鬼無里村
一諸所1,000間程道押払、
   栃原村
一折橋 木駄橋、この外小橋諸所が落ちた、
   石渡村
一浅河原吉田より押出し、用水堰残らず押払い、田畑残らず砂入になった、
   八幡村
一男2人流死、田畑本田新田石砂入、川欠山抜押出シて破損、
   東条村の内荒町村
一家3軒流、12軒半潰、砂入潰家2軒、田畑砂入川欠、
   若宮村
一家7軒流、4軒半潰、田畑諸所砂入、
   南堀村
一浅川原土手吉田方押切、田畑過半砂入、
   牧島村
一家32軒流 男1人女1人流死、田畑砂入は数多く、
   南俣村
一煤花川諸所押切、田畑砂入、
   千田村
一煤鼻川岡田村より水押切、田畑石砂入数多く、
   向八幡村
一家28軒、流潰共、女1人流死、馬1疋流死、抜崩田畑砂入、
   千本0柳村
一家25軒流、2人流死、馬1疋流死、田畑砂入、
   土口村
一家33軒潰流共に、道300間損、5人流死、内1人女、馬1疋流死、田畑砂入、
   北尾張部村
一八幡川・浅川押出し、並びにイブク川出水、田畑損、
   布施高田村
一家3軒流、田畑砂入泥入、大道400間損、
   北高田村
一湯福・中沢・古川・八幡堰用水押切、田畑砂入、家14軒砂入、
   上高田村
一田畑砂入泥入、
   二柳村
一家20軒流、男9人女19人行方不明、流されたか、馬2疋不見、
 柳沢土手50間余、滝沢土手15間、日方沢土手20間、犀口土手
 30間、シブタ堰土手30間押切、
   岩野村
一男58人、女202人流死、馬2疋流死、田畑川欠砂入残らず、家144
 軒流、往還道600間押払、
   森 村
一家24軒流、砂入押潰共、男女7人流死、道300間余押抜、
   上屋村
一用水堰諸所抜落、人馬の通行が不自由、
   羽尾村
一用水堰、橋落山抜2ケ所、田畑数多損、
   鼡宿新地村
一右両村用水堰200間余川欠、大堰口欠入、
   泉平村
一道橋欠抜、戸隠往来当分不通、もっとも多ハ山抜破損である、
   桜 村
一田地道橋共諸所押払い、山沢或は山抜水にて押払い、
   小島村
一押出水急に家へ押込、家財相流、田畑水入多くある、
   布野村
一流家7軒、潰家11軒、3人流死、田畑川欠水入砂入土手250間流、
   上徳間村
一家67軒流、内1軒御蔵、本田新田残らず川に成る、又は欠け、砂入流、田も少し、
 難に会わない箇所はなし、男女65人流死並びに馬2疋流死、
   粟佐村
一家6軒水押潰、本田新田数多砂入泥入、
   腰 村
一山抜道少々あり、
   青池村
一山抜覆り田畑山抜砂入、
   広瀬村
一用水堰道橋諸所抜落、田畑山抜諸所、家屋敷砂入、
   吉田村
一浅河原土手押切、堤2ヶ所埋リ、道300間余押抜、橋流、田畑諸所
 砂入、
   仁禮村
一道橋諸所崩れ、往還通路不能、
   上平村
一山抜水押出、男3人流、田畑砂入、山崎土手25間押流れ、次町土手26
7間流、十二沢土手80間余損失、
   相野嶋村
一流家2軒、田畑大方押抜流、土手63間流、
   生萓村
一家7軒流、内[1軒 山抜押流]8軒潰家、田畑泥入、板橋4ケ所流れ、その外道堰損多、
   下祖山村
一山抜大岩崩落下、内堰・川場堰・アマ池堰・砂田冲堰・4ケ所押崩、其
 外諸所道橋損じ、
   北長池村
一家6軒潰流、新田居屋敷水押、
   中沢村
一家4軒流、男1人女2人流死、田畑残らず泥入砂入、
   中御所村
一煤鼻川出水、往還道諸所損、家居水入砂入、田畑水押、
   植(上)松村
一山抜水押出し、諸所堰形が見えない、
   檀田村
一流家6軒、男1人女2人流死、裏堰土手400間前堰土手
   竹生村
一道6ケ所山抜、市坂島田用水堰大形抜け、御林大抜け木損シ、
   小島田村
一家50軒流潰、男女77人流死、西入寺護摩堂流、家1人流死、
 馬1疋流死、
   杵淵村
一家46軒、内[25軒流、21軒潰]男女63人流死、
   石川村ニッ柳村
一上堰土手100間程押切れ、河原堰50間、氷沢堰50間程押切、家11軒
 押払い、但石川分
   久保寺村 小柴見村
一220間程煤鼻川堰形押切見へず、両村六合場所50軒
 金山沢抜押埋、65間大沢損、200間寺沢用水堰土手一面埋り申候、
 100間余寺沢通屋鋪大方砂入、
   加賀井村
一家6軒潰、山抜28ヶ所、寺尾ヨリ山抜9ヶ所
   大熊村
一600余居村通山抜、水押出し、山手より沢崎迄砂水で道押崩れ、
 100間余土手流、桜沢境より篠井境迄150間道損、橋損19
 ヶ所、200間余用水堰砂押埋った、
   和佐尾村
一山抜水押出、田畑砂入、川欠になる、
   地京原村
一家6軒石入、砂埋半潰、田畑山抜砂入、川欠損シ、
   押鐘村 宇木村 下宇木村
一3ケ所用水堰200間余押払い、10間余高サ1丈余、堰待とも25間
 余、高1丈6尺、山道共に押抜けた、
   和田吐唄村
一橋道諸所山抜にて破損、川欠押払い、諸所に有り、
   伊折村
一田畑石砂押、山沢水諸所損し、用水堰道橋押払になる、
   中牧村
一足沼堤土手12間、沢水にて押払、新町通道28間余押抜、
   水内尻組
一山抜水押出、田畑押流砂入、
   埋牧村
一田畑山抜水押出、山抜石砂入、
   馬曲村
一田畑山抜川欠石砂入、諸所多、
   夏和村
一鬼無里から新町道15間抜落、通路がない、
   高野村
一田之頭から大沢堰迄6ヶ所山抜、土手押切、田畑石砂入諸所、
   小根山村
一田畑諸所山抜欠、西堰東堰道橋諸所損、
   奈良井村
一家4軒山抜、田畑砂入、道橋諸所損し、
   押鐘村
一用水堰50間、深サ2丈抜申候、下堰250間、深サ8丈程抜けた、
   椿峯村
一田畑諸所山抜、石砂押、その外道橋損諸所、
   黒沼村
一五十平村橋詰村通用道諸所損し、
   稲積村
一田畑諸所砂入、御普請土手5ヶ所押切、
   氷熊村
一山平林村から安庭までの道破損、
   鹿谷村
一道橋諸所損し、田畑家別儀はなし、
   長井村
一田畑山抜川欠石砂入諸所、道橋損し、
   宮野尾村
一田畑諸所石砂入、山抜道橋損し、
   梅木村
一家21軒抜損、道橋抜損シ、用水堰7口抜けた、
   山平林村
一潰家3軒、田畑諸所石砂入、水見沢・油沢道損した、
   青木村
一田畑川欠山抜、用水堰三口抜、道損し、
   大安寺村
一方々通用道大行道共ニ抜損、通用不自由になった、諸所用水堰
覆った、
   岩草村
一用水大破、諸所損、700間程道損、650間皆山抜、水押出した、
   専納村
一山抜水押出、道橋諸所損申侯、
   中沢村
一古川通柳御用木残らず流れた、
   町続町外在郷分
   新馬喰町
一家数19軒[流家10軒 潰家8軒] 外下屋敷2軒流れ潰れ
   紺屋町之内大信寺分
一大信寺長屋潰2軒
   竹山町西条村之分
一流家1軒、潰家1軒
   西念寺境内
一家5軒、皆潰家、
   御廐町
一家3軒皆潰家、流家1軒下田町分
   荒町東条村分、
一家7軒ノ内流家3軒、潰家4軒
   柴町末在郷分
一家4軒皆流家、同所下屋敷之内1軒流家
   上田町
一流家1軒 外下田町流家1軒、潰家1軒
   下田町同心町
一家22軒
  町外町続 小計72軒、内流家24軒、潰家49軒
 惣村数〆188ヶ村、但村順は訴出た順に記す、よって前後は不同、
 水難家 
  惣合2,914軒、内流家1,755軒、潰家857軒、
                          半潰302軒
 流死人
  惣合1220人 内男470人、女750人
 流死馬
  惣合64疋 内上馬33疋、駄馬32疋、
 道抜水難
  惣合3万1641間[町ニ〆527丁、里数ニ〆14里17町余]
 諸所山抜
  惣合988ヶ所
 諸所流木
  惣合9218本
 本田新田水難高在々書上
  惣合6万1624石3斗5升 水損
右は松代御領分のみにてかくのごとくである、御料所の私領、信濃国残らずすべて
見た場合は、どのくらいであろうか、ただごとではない時がきた、天地の変と
いわんばかりで限りなし、