NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

1.震災・火災・水害等災害の記録

■松本藩庄内組大庄屋御用留 [翻刻] 

   正 月      画像5
 元 旦
 二日
 三日
一当日御目見被仰付、同役
 一統并例之通在方俗者
 罷出、首尾八ツ時半
 相済、
   同役藤森・栗林・丸山・等々力・
   清水・上原・中沢・
   中田・小藤井・小藤森
  四 日
一当日寺院御目見被仰付、
 鍛之助差出是又首尾能
 相済、夫より御年寄方
 御奉・御代官・御勘定所、
 其外年始御礼ニ相廻リ
 同日相済、
 五 日
 
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 六 日
 七 日
 八 日
 九 日
 十 日
 十一日
 十二日
 十三日
 十四日
 十五日
 十六日
 十七日
 十八日
一御役所出初ニ付我等忰共出ル、
 同役金井・藤井・等々力・丸山・中田・
 小藤森・中沢、
 
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 十九日
 廿 日
 廿一日
一例年之通御城内稲荷様
拝礼、我等鍛之助罷出ル同役
藤森・等々力・中沢・中田・小栗林、
 廿二日 雨
 廿三日
一桐原分平八後家方ニ
 捨有之候脇差差出候処、六
 ヶ月建札被仰付、此段
申遣ス、
 廿四日
 明廿五日朝六ツ時御出立、尼子右膳
 上田御越ニ候間、例之通御差
 出被成候、
一筑摩神主明後廿六日、郷御目
 附へ罷出候様、御達直申遣、
 
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  廿六日
   尚々兎も角も最応御詮義
   之上、被仰上候様之御沙汰ニ御座候
一昨年御沙汰有之候、唐
 金御詮議之処、有無
 申出候儀無之哉、申出
 候得共、御役所御留落
 ニ候哉、不相分候間、可被一応
 致詮議申出候様、
 直ニ御座候、尤山家組
 者申出と相見、御留有
 之候、何れ申合候而申聞
 候様、郷御目付ニ而被仰聞候、
 即御承知可被加、以上、
 廿七日
 今般御詮義有之、来月五日
 宮本神明・筑摩八幡宮、
 同七日保高明神、右於神
 前五穀就并火難災難除
 御祈祷被 仰付、郡御奉行
 始出役いたし候村々之者
 共、最寄之社江勝手次第
 参詣可致候、此段組下村々并
 
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 寺社江も不洩様、可申聞候、
 追而此書付可相返也、
 廿七日
 廿八日
 廿九日
 晦 日
一御家中御才覚金二月四日御
 下之御沙汰ニ付、割合候間御組
 々惣代御差出可被下候様、
 当番組惣代江申出候間、例之通御
 差出可被成候、以上、
  正月箋         金 井
              栗 林
直ニ中田へ継
 
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         庄内村
             弥 六
         力左衛門妻
             い そ
         五右衛門忰
             幸之助
 
右牢舎之者印形持参、村役人明
朔日御呼出しニ御座候、尤役人も
印形持参致候様、右申上度早々、以上、
            金井源左衛門
直ニ申遣ス
  以書付申遣候
   岩井三郎右衛門代り
        河 野 友 六
手代定補欠
   河野友六代り
        吉 田 門 助
 同心
右之通被仰付候間得其意、組下村々
并寺社江も不洩様可申聞候也、
 正月晦日    表勘定所印
右朔日金井江継
 
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   二月朔日 風暖し
   以書付申遣候
         高橋権蔵代り
            藤沼九郎之丞
            草間藤内
    直段方     広瀬小左衛門
    教諭      百瀬及左衛門
    取締方     石井右衛門太
            高橋元次郎
         栗原作兵衛代り
            沢柳金平
  郡同心
右之通被仰付候間得其意、
組下村々并寺社江も不洩様、可
申聞候也、
                郡所印
 正月廿九日
一昨年御沙汰有之候からかね之古
 かね、如何ニ候哉、有無共組々品々申
 出候様、郷御目附より被仰聞候間、此段
 御返書奉申上候、以上、
             栗林七郎兵衛
  廿九日
右中田より廿九日夜申参候間、二日
朝申沢へ継
 
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一田沢山一件ニ付、明後三日宮淵村
 役人并惣代之もの罷出候様、郷御目
 付より御達候、以上、
   朔日      金井佐源太
東へ申遣ス
 二日 天気寒風
 三日 快晴
明四日朝六ツ時、御奉行御徒
士町通宮本へ被成御出候間、御通
筋例之通相心得候様、被仰付候、
御承知可被成候、以上、
         丸山杢右衛門
 二月三日
申ノ上刻参、即刻藤森へ継、尤
青嶋村へ書付遣ス、
  四日 大雪
 
  五日 天気
 
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 筑摩御祈祷ニ付御出役
  御奉行    渡辺半太左衛門様
  御手代    松田五六太夫殿
               同役
                我等
 上条覚左衛門忌中ニ付     中沢権右衛門
 中沢権右衛門へ御預ケニ付出ル 中田源次郎
                折井鍛之助
一我等鍛之助朝五ツ前ニ罷出候、源二郎
 先ニ出居、
一御饗応料壱ケ組三分ツゝ、松屋忠衛
 江渡ス、
一組々役人鋳物壱ケ組百疋ツゝ
 神前へ備、
一我等共四人ニて金百疋備へ、尤
 我等取替置
    献立
    昼飯
         ぶりおろし身
      平  長いも
         志めし
 
    生鱈煮付
 平
    ひはりミ   ならつけ
 
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御祈祷初座相済、中座神主
勤中御昼、後座相済、御酒出ス、
         小鳥
         焼玉子
     硯ふた 阿わひふくら煮
         平目さし身
         なし
         鮒おろし身
     丼   うと 三盞酌
         きくらけ
     御酒
       うんとん
 右首尾能七ツ半時頃御引取、
一筑摩庄次郎忌中ニ付、中林兵三郎
 埋橋伝右衛門へ万事世話方申付ル、
  六日 天気
一宮淵村才八一件、明後八日ニ御
呼出し候、
東へ書付遣ス、
  以書中遣候
已納
一白大豆 弐斗六升四合

一黒大豆 三俵弐斗五升
亥納
一白大豆 弐俵
 
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一黒大豆 七百拾壱俵
        弐十八升三合
右者御蔵大豆御払ニ相成候間、
組下村々おゐて望之者有之候
ハゝ、来ル十一日早てふ入札持参いた
し候様、可被申聞候、尤代金之儀者、六月
廿九日限、夫共当人うりえ者者
其心得申、今以入札いたし候様、且
又可被申触候、且入札九月中頃ニ候、
以上、
  七日 天気
  八日 雨
   三州鳳来寺
       真言学頭
          醫王院
    信濃
    美濃
    近江
御高懈堂并目坊向大破ニ付修復、
為助成入口三ケ国并御府内武
家方寺社在町三ヶ年之間勧
化、寺社奉行連印之勧化
 
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状持参、役僧役人共、来未三月
より来ル戌二月迄、御料・私領・寺社
領・在町可致巡行候間、迎信之輩
者物之多少ニ雖可致寄進旨、御料
者御代官、私領者領主・地頭より可被申
渡候、
     午
      十二月
朝鮮種人参作立之儀、当分之内野
州一国之儀者不残御用ニ申付候
旨、去々辰年相発、野州産之人参
他国割衣法之品与相混し、自然紛敷
儀も可有之哉ニ付、御府内其外在々
薬種屋共相互ニ吟味致し、他国産
之品買請候節者、国所承り置、吹上
役所ニ而御払之品与不紛様候、且人
参種之儀、野州ニおゐて猥
ニ売買致候よ里隠作、又者参根
相対売候もの有之哉ニ相聞、不
埒之事ニ候、右国中御用作ニ
相成候上者、向後野州一国中
之もの、人参種一切之売いたす間敷
候、若此上隠作参根抜売等者
勿論、不正之品取扱候もの有之
ニおゐてハ、吟味之上急度可
申付条、其旨可相心得候、
右之趣御府内并関八州・
 
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陸奥・出羽・信濃・越後国、御料者
御代官・其所之奉行、私領者地
頭、寺社領共不洩様、可被相触候、
  以書付申遣候
一別紙之通、従
 公儀被仰出候間、得其意、
 組下村々并寺社江も不洩様、可
 申聞候、追而此書付可相返也、
一組融通金取計方、急ニ而指
 出、可被成来年より春ハ正月
 中ニ御差出可被成様、御代官
 所ニ而被申聞候、此分中田継
  九日 大雨
 右中沢へ継
  十日 曇ル
  十一日
  十二日
 
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  十三日
  十四日
  十五日
  十六日 夜より雨
一鍛冶屋前山家道追分より御塚迄之道、両端江まハリニ
桜木御植付ニ相成候而者、下々差支有之候哉否、御調へ
急々可申出有之候様、御沙汰有之候間、明後十八日迄御取調
可申出可有之候、以上、
                   松田兵太夫
  十七日 終日雨
 
  十八日 同
       庄内村
         中条
          道太郎
 右之者印形持参、明十九日
 御呼出し、直ニ庄左衛門達ス
一御塚道桜木御植付相成候而も当時
 差障候義無之様、伝右衛門申出候間、
 御部屋へ申上候様達ス、
 
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  十九日 快晴
       宮淵村
         役人
 右者明後廿一日御呼出候処、
 御役所無之ニ付、廿三日御呼出、
 御達候、
       庄内村
         中条
          道太郎
 右者今日御呼出候処、遅刻ニ
 相成、明廿日御呼出し、源十へ達ス
一盗難届
一去来 壱〆
一逗留願 同
一諸証文
一作喰願
 右頼遣ス
一熊倉橋諸木相揃候ニ付、
為見分来ル廿二日出役有
之候様、藤森より申参リ
上条へ継、
 
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  廿日 雨
  廿一日 同
  廿二日 天気
  廿三日 曇
   以書付申遣候
        小嶋村
          弥兵衛
          利右衛門
          五左衛門
        庄右衛門後家
          くに
右之者共御用之儀有之候
間、明廿四日朝四ツ時、村役人
差添召連可罷出候也、
    郡所印
 直申遣ス
一宮淵村丁場・渡場原
 之間、鉄炮稽古有之
 候而も差支無之哉否、可
 
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 申出、尚先年之様子柄
 取調へ、申出候様、御沙汰
 在宜処、
  廿四日 雨寒し
一御目論見帳村々一帳、両嶋・渚・
 笹部組合壱帳、御下有之、
       庄内村
         中条
          道太郎
 右之者印形持参、明廿五日
 御召出し候、
  廿四日 雨天
  廿五日 同断
一馬商ひ之儀、江戸御馬役より国許
 御馬役江、別紙之通申参候ニ付、
 売買等之義、委細取調急之
 申出候様、郷目附被仰聞候、
  正月廿三日
          藤井澄之助
          藤森善太夫
 
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    別紙
以手紙啓上仕候、然者御国許ニ而
馬市相建候哉、并当時馬出所之儀、
乍御面倒御取調、御認分御遣被下候
様、仕度奉存候、右者其筋より尋之
義ニ付、此段御回答申上候、否御返書
被仰下候様、仕度奉存候、右申上度、如此御座
候、以上、
  正月廿四日
猶々御国許ニ而馬市相建候ハゝ、右馬
市場所并馬市相建不申候とも、売
買いたし候哉、是又有無被仰下候様、
仕度奉存候、此段も御回答申上候、以上、
一唐金之古金有無、旧冬未夕
 申出無之、早々可申出候段、御達
 御座候、御承知可被成候、以上、
               藤井
               藤森
 右弐通共、廿六日上条へ継
 
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  廿六日 快晴
  廿七日 曇寒し
  廿八日 快晴暖
   以書付申遣候
御印
一六万百六拾五石  寄夫掛高
    弐斗八升八合四勺
  此人足六万人
            上野組
六千百八拾弐石八斗五升九合
  此人足六千百六拾五人
            嶋立組
七千弐百九拾四石壱斗三升七合五勺
  此人足七千弐百七拾三人
            高出組
四千六百拾六石五升七合弐勺
  此人足四千六百三人
            岡田組
弐千七百弐拾六石六斗三升九合六勺
  此人足弐千七百拾九人
 
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            庄内組
弐千六百拾六石七斗三升三合六勺
  此人足弐千六百九人
            長尾組
八千百三拾三石八斗八升四合七勺
  此人足八千百拾壱人
            成相組
六千弐百八拾壱石六斗五升五合八勺
  此人足六千弐百六拾四人
            保高組
六千七百四拾五石壱斗五升弐合
  此人足六千七百弐拾六人
            山家組
弐千五百五石七斗四升五合
  此人足弐千四百九拾九人
            松川組
五千三百六拾壱石八斗八升三合
  此人足五千三百四拾七人
            池田組
七千七百石五斗四升壱合
  此人足七千六百八拾四人
 
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右之通川除寄夫申付候、追而
此書付可相返也、
     郡所印
右金子来月十五日上納
二月廿八日中田より上条江、即刻継、
 
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殿様埋橋御塚江以来今朝
四ツ時御参詣之儀被仰出、右之段
高橋相蔵より申参候間、両村へ達ス、
  三月朔日 天気暖
  二日 同断
  三日 同断
 
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一宗門御改日限之儀、取極而申出
 候様、被申聞候故、一昨年之振合
 ニ致候得ハ、四月三日内改始ニ相当
 候間、右之場ニて取定メ、申上候間、御差
 支無之様、御取計可被成候、右ニて
 御差支之組も候ハゝ御出勤ニ而被
 仰上可被成候、右御通達申上度早々、
 以上、
  二月四日     藤森善兵衛
           藤井澄之助
           中沢権右衛門
           金井源左衛門
 右中田江七ツ時継
    以書付申遣候
          庄内村
            牧弥
右之者御用之儀有之間、明五日朝
四ツ時村役人差添、召連可被罷出候也、
     表勘定所印
一埋橋村役人、宮淵村役人、明五日朝
 四ツ時、無遅参召連罷出候様、中沢
 より通達直ニ申遣候、
 
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一妙福寺他出願御聞届、東へ宮淵役人
 呼出書状入遣ス
        下横田町
          恵光院
右者禅堂其外諸座破損
ニ付、御領分勧化御免組々江、及
通達ニ候様、被仰出候間、此段
御承知可被成候、以上、
  三月朔日  金井佐源太
        上条覚左衛門
 右中田より四日ニ参ル
 
  五日 晴暖
  六日 同断
  七日 曇ル暖
 明八日城山見分御役所より出役有之、
 御作事所より今朝四ツ時出役有之
 候得ハ、何れニて?、御作事所休
 
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 息之場所心懸有之候様、御沙
 汰有之候間、村役人へ可被申達候、
一若宮八幡神主持地所城
 山ニ有之、右之内ニも道筋有之
 趣ニ付、見分之節、神主罷出居、
 何等故障有之哉、承知いたし候様、
 可被申達候、以上、
  三月七日      高橋相蔵
 近日御勘定所よりも、御手代御同心
 壱人宛出役有之趣承リ、御休息所
 心懸有之様、達し被置候方存候、
 尤是ハ御沙汰ハ無之候へ共、心付候間、
 申達候以上、
 右之段直ニ申遣ス
  八日  夜雨并夜者風至而
      強し
一明九日明ケ六ツ時、御出宅ニ而、
 御奉行方中ノ条江被成御出
 候ニ付、御通筋村々例之通
 相心得候様、被仰聞候以上、
  三月八日    金井源左衛門
 
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右御奉行御出立暁正七ツ時下り
其段直申遣、
        蟻ケ崎村
            役人
右者明九日御呼出、尤時刻
正刻ニ罷出候様、御達ニ付、直ニ
申遣ス
 
         当山方山伏
         羽黒行人
         蛭子社人
         梓神子
右者来ル十八日、御役所ニおゐて
宗門御改被成候間、例之通無間
違、朝五ツ時罷出候様、御申付可
有之候、且帳面来ル十一日迄ニ差
出候様、是又御申付可有之候、以上、
 三月十八日   沢柳藤五左衛門
         組田蒸蔵
右中田江継
 
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           折井伴右衛門
           藤森善太夫
           丸山杢右衛門
           金井源左衛門
           藤井佐左衛門
           上条覚左衛門
来ル十三日御通用所より詮義
御用有之趣、上条より達ス
 九日 快晴
  御差合名字左之通
 慶(ヨシ) 祥(サチ)
 よし さち
 光(ミツ) 則(サダ) 庸(ツネ) 尤(ユウ)
 伊保(イホ) 濱(ハマ) 貞(ミサ) 鋠(シン)
 起(ヲキ) 谷(タニ) 文(フミ) 重(シケ)
 みつ さだ つね ゆう
 い不 はま ミさ 志ん
 おき たに ふミ 志け
右之通ニ候間、村々江不洩様、御申付
可有之候、以上
 
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  三月十八日    沢柳藤五左衛門
           組田蒸三
 右九日朝中田より参、即刻藤森継
  十日 晴暖
一来ル十一日、蟻ケ崎村地内木賊
 山之東之方より、大筒有之候所、
 最寄村々江申達候様、被仰聞候、
一昨日蟻ケ崎村役人御召出ニ而、
 右大筒之儀、委細御尋にて
 役人承知之事ニ候間、右村役人
 江も可申達候様、被仰聞候、以上、
             金井
一小嶋村四方兵、右之者入牢被仰付
 候節、牢扶持懸合無之ニ付、早々
 懸合候様、御達し御座候、
             金井
一宮淵村役人御用之儀有之候間、
 明日郷御目附へ罷出候様、御達
 ニ御座候、以上、
 
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             金井
 右夫々直ニ申遣ス、七ツ半時
  十一日 快晴
  十二日 同
  十三日 曇ル
一当日御通用所・産物所より
 我等方出役有之
        通用所
          喜多村小市殿
          飯田多助殿
          青木勘太夫殿
          堀箕之助殿
             左助殿
          外弐人
         同役
           藤森
           丸山
           金井
           藤井
           上条
           中沢
一中沢者出懸故参候
 
  (改頁)      画像34
 
一去冬蟻ケ崎村へ御救被下置候、
 人別割合調帳、早々差出候
 様、御部屋より被申聞候、
一村々長百姓名前、致帳面、
 廿日頃迄ニ、無間違差出候様、
 是又御部屋より受申聞候、
             金井
  十四日
一筑摩村惣三郎娘、伊深村作
 右衛門忰、承兵衛妻、差遣度、
 岡田口御証文御下会所ニ
 預置候品、御受取可被下候以上、
             等々力
  十五日 快晴暖し
          庄内村
            道次郎妻
             すゑ
            差添役人
             五兵衛
 
  (改頁)      画像35
 
右者御預役所へ願之儀有之、
御添簡相願候処、御預役所へ
御掛合相済候間、勝手次第
ニ願出候様、乍去最初願出
候節ハ、役人罷出御呼出候儀、
相伺候様、郷御目附江被仰
聞候以上
             金井
  十六日 曇折々雨少
   以書付申遣候
従江戸表申来候者、
盛姫君様、当十日御逝去
被遊候、依之左之通可相心得候、
一鳴物
一祭礼
一家業之殺生
一座頭・瞽女之音曲
右者明十六日迄、可相慎候、
 
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一諸祝儀
一諸殺生
一音曲
右者来廿九日迄、可相慎候、
一火之用心可入念候
一普請不及相止候
右之通得其意、組下村々并
寺社江不洩様、可申聞候也、
  未三月十五日    郡所印
右十六日朝卯ノ下刻割廻状
出ス、
  十六日
  十七日 天気
  十八日
 
  (改頁)      画像37
 
  十九日
  廿日
  廿一日
一明後廿三日
 御子様方、橋場廻候御出
 御道筋、伊勢町通
 御人数六十九人
一下波田村平左衛門方御休
 右之通御道筋先例
 之通、可取計旨、御達ニ
 御座候以上、
            藤森
  廿二日 天気
一此度四千両御才覚金
 被仰出候ニ付、当日会所へ被
 出候様、尤会所ニおゐて御酒
 
  (改頁)      画像38
 
 被下候間、代役迄も罷出候様、藤森より
 通達ニ付、鍛之助同道ニて罷
 出候、同役出勤、
          藤森善太夫
          金井源左衛門
          藤井佐左衛門
          等々力伝右衛門
          中沢権右衛門
          山崎三十郎
          中田源二郎
          上条長之助
          丸山円十郎
右罷出ル大町両人、松川不参
右之通罷出ル、於会所御酒
被下候、為御挨拶御手代
          堀箕助殿
          青木勘太夫殿
七ツ半頃被参、夫より吸物出ル
       鯉
   吸物  木くらけ 三味
       葉さん志よう
 
  (改頁)      画像39
 
       巻玉子
       阿か貝
   硯蓋  なし
       むし貝
       はす
 
       塩ます
   大平  竹輪ふ
       竹の子
 
       鯉洗
   鉢   ます   いり物
       岩たけ
       千玉子 溜
 
   丼   もミいり
       志しか 三盃酌
 
   膳部
   めし
      汁 とうふ
 
       塩引さけ
       まき玉子
   平   志ゐたけ
       竹の子
       にん志ん
 
   皿   大阿か魚三ツヅゝ
 
   もち菓子 腰高
 右之通被下候、夜四ツ時頃
 我等忰共、引取、
 
  (改頁)      画像40
 
  廿三日 天気
一右一件割合義ニて出勤致候様、
 申参候へ共、疲故出勤不致ス、
  廿四日
一割合之儀、申遣候様、左之通り
 申参ル
貴翰忝拝見仕候、陳者割合
之儀、段々申合被定申候、
 
  (改頁)      画像41
 
御組下
 四千両之内       庄内組
  弐百九拾両
右之通御承知可被下候、且池田
組之義、被仰下忝奉存候、両家
之処も精々申合候得共、三千
両御才覚之節、市川加リ罷
在、種々申談示、昨夜申上候儀
ニて取定割合、最早大体帰
宅仕候、委細之儀八拝面之節、
可申上候、御用達之場除キニ相成
候而、其最通候儀、無御座候、
今日内々御伺申上候処、此度
者別段沙汰無之候ニ付、
割合いたし候て、可然様被仰聞候、
此段御承知可被下候以上、
          中田源二郎
  三月廿四日   中沢権右衛門
          等々力伝右衛門
          藤森善太夫
 
  (改頁)      画像42
 
一城山御制札損候ニ付、村役場へ
 取入有之候趣候間、御役所へ早々
 差出候様、御達ニ御座候、以上、
             等々カ
一此間中御談申上候中馬之儀、
 来ル廿八日有無可申出候様、直
 段方ニ而被申聞候間、前書日限
 有無被仰上候様、御取計可被下候、
 尤組々ニテツとめ可申出様、是又
 被申聞候、以上、
             等々カ
一廿四日夜五ツ七分頃、地震
 ゆり出し、増々強ク大ゆり
 ニて、我等方家居・土蔵共ニ大ニ
 損し、四ツ時頃迄ゆ(ママ)出し、
 其後も折々ゆり申候、
 夜迄一向ねも屋らて、家内
 不残打寄夜明迄、度々
 何度与申数も不覚ゆり、
 
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 漸々夜明少し安心致候へ共、
 間もなくゆり大心配
 致候、廿五日終日ゆり申候、
 座敷向・帳付志らし等
 不残痛、玄関まいり戸
 折破レ申候間、大工直ニ相頼ミ、
 当座之処つくろい置
 候程之事、誠ニ大変成義候、
  廿五日 天気ニて候へ共
      曇ル
一当日も終日ゆり候得共、格別
 大ゆり者無之、種々之義を
 申唱へ候、夜ニ入七ツ時頃又々
 大ゆり有之候、其外者中位、
  廿六日
一当日八ツより七ツ之品大ゆりと
 申義故用心致候処、成程
 八ツ半大ゆり引続申候、
 七ツ之頭頃大ゆりニ候、夜ニ入
 度々ゆり候、
 
  (改頁)      画像44
 
  廿七日
 同断之事ニて、廿五日より家内
 不残庭之筑山み袮ぞふの
 木之元ニ小屋ヲ懸ケ、右方へ
 夜者引移り不申候、
  廿八日
一同断 夜九ツ時大ゆり、
  廿九日
一同断
  晦日 朝少シ雨
一同断
 
  (改頁)      画像45
 
一城山御制札損候ニ付、村
 役場取人有之趣候間、御役所へ
 早々差出候様、御達ニ御座候以上、
             等々力
  廿四日
   源一郎へ達ス
一      庄内村分
         中条
          円十
 主水殿若党ニ抱度人物詮義、
 村方差支有無
 別紙之通御沙汰ニ御座侯、御
 詮義之上、可被仰上侯、以上、
  廿五日
一地震ニ付、筑摩八幡江只今より
 御祈祷被仰付侯様、此段
 御承知可被成侯、以上、
  廿六日      上条
 
  (改頁)      画像46
 
 右直ニ役人方へ申遣ス并
 神主へも早々取懸侯様、申遣ス、
一金壱両壱分
 右者御祈祷料被下侯間、
 御請取可被成侯、尤一刻も早ク
 相始メ侯様、精々被仰出侯、以上、
              上条
  廿六日
 右御祈祷并始侯様、書状神主
 方へ相認メ即刻為持伝右衛門ニ、
 廿六日七ツ半頃遣し、神主より
 請取書別ニ有之ル
一善光寺へ参詣いたし侯者
 之死失人等有之侯て、詮義
 致申出侯様被仰聞侯、
 此段御承知可被成侯、以上、
            同役
 
  (改頁)      画像47
 
於江戸表
公方様御忌、従京都被仰
進候品も有之ニ付、当廿日より被為明
右大将様御忌、被為解候様、

公方様被仰出候旨、申来候ニ付、
先達而被触候諸祝義・諸殺
生等、不苦候、
別紙之通、従
公義御触有之候間、得其意、
組下村々江不洩様、可申聞候也、
 三月廿五日 郡所印
  以書付申遺候
此度地震ニ付御詮義有之、
宮本神明・筑摩八幡宮・保
高明神、右於神前国家
安全・火難・災難除御祈
 
  (改頁)      画像48
 
祷被仰付候間、得其意組下
村々并寺社江も不洩様、可
申聞候也、
 三月廿六日  郡所印
一御番所通御証文三通
 御下渡しニ候間、封し差上
 申候、御請取可被下候、以上、
            金井
 三月廿九日
 右今町へ直ニ遣ス
一地震ニ付、善光寺参詣人
 死失之者、書上左之通り
          庄内村
           与頭
            五兵衛
           同人妻
            津き
            七左衛門
            十郎次
            周蔵
           七之丞忰
            寿三郎
           房右衛門後家
            里う
 
  (改頁)      画像49
 
           同人忰
            祐次郎
           市郎兵衛借屋
            常右衛門
           同人妻
            セ起
          〆拾人
         宮淵村
          与頭藤三郎娘
         〆
右之者、廿四日上田御領分稲荷山
宿丸屋八左衛門方ニ家潰焼死
申候、
         宮淵村
          茂助
右之者、善光寺大門丁池田屋
方ニて潰死申候、
      外ニ
       庄内村長七娘
右者山家組去冬縁付参り、
死在     宮淵村ニて壱人
    都合 〆拾四人也
 
  (改頁)      画像50
 
 四月朔日 天気
       地震折々有之
 同 二日 天気
      同断
一宗門帳内改メ致ス
 
 同 三日 天気少曇、
        地震少者止ム
 同 四日 天気少曇、
        地震昼夜
        五六度、朝大ゆれ
 同 五日 天気少曇、
        朝地張し、
        四ツ時都合
        四度計、
 同 六日 天気、地震
      有之候、
      但シ強し
 同 七日 同断
 同 八日 曇ル、地震
      同断
 同 九日 八日夜より大雨、夜
      所々鳴ル、地震者
      おたやか
 
  (改頁)      画像51
 
一御組々御救頂戴人別割賦
 調印ニ而、早々御差出可被成候様、
 直段方ニ而被申聞候、
 尤御代官所江も同様
 御差出可被成候、是又被申聞候、以上、
  四月八日   等々力
右中田より九日ニ参リ即刻藤森へ継
   宗門帳請取日限
 四月三日       庄内組
            山家組
            岡田組
 同 四日       嶋立組
            高出組
 同 五日       上野組
            成相組
 同 六日       長尾組
            保高組
 同 八日       松川組
 同 九日       池田組
 同 十日       大町組
   十一日
 
  (改頁)      画像52
 
   宗門改日限
 四月十二日      大町組
            池田組
 同 十三日      松川組
            長尾組
 同 十四日      成相組
            保高組
            上野組
 同 十五日      高出組
            嶋立組
            庄内組
 同 十六日      岡田組
            山家組
 右之通御改日限、被仰出候、
一去冬極難之者共江御救籾
 弐拾俵被下置、当春割渡者
 正籾ニて被下候様、御達しニ付、左之
 人別江三月廿日迄ニ割賦、尤
 難渋人別取締方、草間・藤内組
 申談・可然沙汰請割渡ス、
 
  (改頁)      画像53
 
          宮淵村
 籾壱俵五歩       ろく
 同三俵         五郎蔵
          桐原分
 同三俵         啓蔵
            平八後家
 同壱俵五歩       いそ
          蟻ヶ崎村
 同弐俵         す幾
 同弐俵         加具
          三才村
            勝左衛門後家
 同壱俵五歩       まり
          庄内村
 同壱俵         この
          白板村
 同弐俵        弥右衛門後家
              はる
          埋橋村
 同壱俵五歩     利右衛門後家
              その
 〆弐拾候
 右之通御割賦被下置候、
 
  (改頁)      画像54
 
  十日 雨、九日夜より大雨
     地震も度々昼
     九ツ時大風ニて所々
     いたミ有之由立木等
     たをれ候趣
  十一日 快晴
一御組々中馬稼致居候者、
 有無之処者申上候様、直段方
 被申聞候、此段御承知被下候
            藤井
  四月十日
 上条へ十一日継 
一然者熊倉橋修覆出来仕
 候旨申上候、尤出来御見分
 之儀、追而日限相定、可申上候、
 先出来仕候段、早々申上度以上、
           藤森
  十一日参、金井遣
 
  (改頁)      画像55
 
  十二日 曇ル地震折々
  十三日 十二日夜より雨地震
           折々
  十五日 天気地震折々
  十六日 天気中是
      地震折々
一当日宗門御改ニ付、我等鍛之助
 出勤致ス、尤鍛之助朝五ツ前ニ
 出ル
一御才覚金之儀、兼而御談
 申上候様子、能出来可致候而も
 大町組池田組ハ格別之
 大変ニ候得者、人気ニも差障り
 
  (改頁)      画像56
 
 可申、御含被下置候様、右組より願
 ニ付御詮義之上、大町組之儀ハ
 格別之事候得者、先御見合
 相成、池田組之組ハ成丈ケ
 才覚可致、尤御含之場者
 可有之候由被仰出候、依之右之
 場者早々御一同江も御談之上、
 御詮義ニ相成候筋ニ候得共、何
 ヲ申候而も急場之事ニ付、
 右之御詮義筋被仰出候趣、
 此段御一同へ御通達申上候様、
 御通所ニ而被申聞候、御承知
 可被下候、右申上度如此御座候、以上、
         清水勘右衛門
  四月十四日  等々力伝右衛門
         丸山杢右衛門
         藤森善太夫
 
  (改頁)      画像57
 
 尚々御領分御預所融通相成候上
 ニても、余り有之候ヘハ、御地頭迄も御融
 通被成度、志かし是ハ為心得
 申上候由、被仰聞候、以上、
然者地震ニ付、稲苗ゆり寄、生立
不宜、不足之村々可有之段之、銘々
当年者別而大切ニ養候、余苗有
之候共、麁略ニいたす間敷、不足
村々江融通いたし可申候、御領分
融通出来ニ而も、余苗有之候ヘハ、
御預所へも御融通ニ被成候、
  但御預所ニ余り有之候へ者、
  御領分へ融通いたし不苦候、
右之通ニ候へ者、銘々厚心へ、養
方入念候趣、郷御目附より御達し
ニ御座候、御承知可被成候、右申上度
如此御座候、以上、
         等々力伝右衛門
  四月十四日  丸山円十郎
         藤森善太夫
 
  (改頁)      画像58
 
  十七日 天気、地震少
  十八日 天気、地震折々
  十九日 雨、地震夜中
  廿 日 天気、雨夜
      地震中ノ大
 中田より申参り即刻上条
一稲苗不足且余り苗詮義之上、早々申出候
 様、尤廿四日迄申出候様触候、
  廿一日 天気、地震少々
一白板庄左衛門持家へ、東町長十郎
 弟重助引越度、願候、
一上横田町兼松義、白板村幸十家内へ
 引越度、願候、
右者町方より者願出候へ共、以今願
不出候間、詮義之上、早々願出候様、
一筑摩村社等風折木見分
不及候品、勝手次第被片付候
 
  (改頁)      画像59
 
様、御達し
            桐原分
             長右衛門
             重兵衛
            松本分
            町分
             庄屋
            宮淵村
             喜代次
             宇十郎
             茂助
             半右衛門
右之者共通用金滞候ニ付、
早々上納罷出候様、御達可被有之候以上、
             河野左吉
             青木又之助
            小嶋村
             利右衛門
             五左衛門
           元右衛門後家
             くに
             弥兵衛
             村役人
            白板村
             喜八
            牢舎
       松次郎
  当人印形并村役人中
  印形持参可罷出候
右之者共、明後廿三日当人共并
 
  (改頁)      画像60
 
村役人印形取揃、持参可致候様、
尤例之時刻無延引様、召連可罷出
趣御達し御座候、此段御承知可被成候、
以上、
           丸山円十郎
           中田源二郎
右遅く参候間、廿二日朝申遣ス、
  廿二日 天気、地震
  廿三日 同断
       庄内村分
        中条
         逗留
          円十
右之もの小柳津門馬殿若党
被抱候而も、村方故障ハ無之哉、
人物等御尋之処、延引ニ相成
候間、今日否申出候様、御沙汰ニ
有之候間、可被申出候、以上、
  四月廿六日  高橋相蔵
 
  (改頁)      画像61
 
右廿四日申上候、尤円十儀、伊勢町之
人別ニ候間、其段申上候、
一庄内村伝五郎与申者、ひろい
 物有之段、今日御届申上侯処、
 右者六ヶ月建札いたし
 相尋候者無之候ハゝ、其段申
 出候様、御達し候、
一庄内村へ尾州領之者参候、煩ひ
 居村送り可致様御沙汰、尤
 書状相添指送り候様、御達し
 之処、明日ニも差送り候ハゝ、右差
 送り候以前、送り書面之儀、御
 内見候御承候様、郷御目附より
 御達しニ御座候、以上、
          上条
右廿四日申遣ス
  廿四日 雨、地震昼壱ツ、
        強し
 
  (改頁)      画像62
 
一庄内村外拾三ケ村役人、通用
 金拝借願御貸付ニ相成候間、
 御達可有之候、以上、
          河野藤六
          青木又之助
         埋橋村
          庄屋
           伝右衛門
右者来ル廿八日御呼出しニ付、
御達しニ御座候、
         庄内村
          伝五郎
右者当月廿二日拾ひ候品、御役所
持参いたし様、尤明日御呼出
之旨御達ニ御座候間、右両様
御承知可被成候、以上、
          栗林
 右直申遣ス
 
  (改頁)      画像63
 
   廿五日 天気、朝雨地震
            折々
   以書付申遣候
         松本分
          庄屋
           伊兵衛
右之もの御用之儀有之間、明
廿六日朝四ツ時、印形為持、他村
役人差添乍召連、可被罷出候也、
 四月廿五日  郡所印
右桐原分へ申遣ス
   以書付申遣候
其方共儀、御用之儀有之間、
来ル廿八日朝四ツ時可罷出候也
  四月廿五日  郡所印
              藤井佐左衛門
              中田源二郎
              折井伴右衛門
              上条覚左衛門
  中田より廿六日夜七ツ時 中沢権右衛門
  頃参、廿六日辰ノ上刻ニ 丸山杢右衛門
  上条へ継        藤森善太夫
              上原仁野右衛門
              山崎三十郎
              栗林七兵衛
              西沢九之丞
 
  (改頁)      画像64
 
  廿六日 天気
一鍛之助出勤致ス
一松本分庄屋伊兵衛、今日御呼出、
 川井一作一件ニ付、御志かり
 被置候、
  廿七日 天気、
      地震昼三度中
  廿八日 出勤同役共
         藤森善太夫
         丸山杢右衛門
         上条覚左衛門
         上原仁野右衛門
         中沢権右衛門
         山崎三十郎
         中田源二郎
         藤井澄之助
         栗林相之助
一池田・大町先ニ御三ノ間へ被召出、
 左之通り被仰渡候、
 
  (改頁)      画像65
 
          大町組
          池田組
          大庄屋へ
今般地震ニ付、其組村々并
御他領等ニおゐて、為死亡人
御詮義有之、来月六日大町村
弾誓寺ニおゐて、施餓鬼執
行被仰付候間、致参詣度者共
ハ勝手次第可罷越候、此旨得と
致承知、右村々之者江可申達候、
猶委細之儀者、郷目附江可
申達候、
           庄内組
           成相組
           長尾組
           山家組
           嶋立組
           上野組
           高出組
            大庄屋
右ハ山家小路念来寺ニおゐて、
外同断、
 
  (改頁)      画像66
 
   郷目附御達し
一今般地震ニ付死亡人之為、
 来月六日、弾誓寺・念来寺ニおゐて施
 餓鬼執行被仰付候間、右
 以前死亡人身寄之者より
 戒名為差出、右寺へ村役人より
 相渡候様、可申達候
   郷目附高橋相蔵殿より
   被申聞候、以上
一今般地震ニ付焼失并水難ニて、
 松代御領・飯山御領并善光寺
 其外之者家居者勿論、田
 畑等も無之、極難之者御領内へ
 追々罷越候趣相聞候、右様
 之者参候ハゝ、懇ニ取?、住居
 逗留に致度申出候ハゝ、村役人
 場ニおゐて生所身元得と相
 糺し、大庄屋場申出、早速
 願可差出候、尤其村請入書
 追而取リ可差出候、此段
 
  (改頁)      画像67
 
 不実無之様、精々御達候、
 右村々江廿九日達ス
         庄内組
          宮淵村
           藤三郎娘
            りか
            茂助
 右者善光寺ニ而、三月廿四日
 夜焼死
         庄内村
           与頭
            五兵衛
           五兵衛後家
            津き
            七左衛門
            十郎次
            周蔵
           七之丞忰
            寿三郎
           房右衛門忰
            祐次郎
           同人後家
            里う
           市郎兵衛借屋
            常右衛門
           同人妻
            せき
 右者稲荷山宿ニ而、三月廿四日
 夜焼死
 右之者戒名取調候事
 
  (改頁)      画像68
 
一右之外ニも有之候ハゝ、戒名認メ
 村役人より右寺へ差出候事
一当春より兎角不順之時候、殊ニ
 丙午・丁未者、御上ニおゐて者殊外
 御安事被遊、当年も筑摩八幡
 ・宮本神明・穂高明神ニおゐて、
 御祈祷も被成候程之儀、右御祈
 祷之御かけニて、御領分格別之
 痛ニも無之、難有儀奉存候、
 右者御領分惣代として、同役
 之内伊勢・鹿嶋へ参詣致、
 猶此上御武運長久・御領内
 安全之御祈祷相願度、申
 談候ニ付、郷御目附へ内々相
 伺候処、至極
 寄特之儀ニ付、其旨可申上候、
 然者追而御沙汰ニて存寄、尤之
 義参詣可致候、尤御札
 献上之儀者、出立迄御沙汰
 
  (改頁)      画像69
 
 可有之、いつれ罷出候名前申度、
 何日頃出立候、申義可申出候様、
 御沙汰ニ付申談、筑摩壱人、
 安曇ニて壱人ツゝ、両所へ弐人ツゝ
 申談、鬮取候処、伊勢へ
 我等等々力、鹿嶋へ藤井・山崎
 鬮当リニ候、未夕出立日限ハ
 相定リ不申候、
 
  (改頁)      画像75
 
人参一両、松脂一斤、白米五合
右丸して用ゆ、十五人三日の食事に成る
○黒豆五斗、水にてゆり洗ひ、
こすきに入むすこと三へん、
黒き皮さり又麻の実三斗、
水に浸して一夜蒸候て、
三へんいつれも一ヘんことこさせ、
麻の実上の皮を開きて残日に
干、其皮を去り、内の肉はかり
いりさて、右の黒豆のむし
たるを一所に臼に入れ、手杵
にて能搗ませ、粒のこれなき
程つきて取出し、よく握拳
ほどづゝに丸め、又甑に入、夜の
五ツ時より九までむし、釜
の内の湯減り候ハゝ、湯
をかへむし、其儘にて火を
引差り、翌暁七時頃にこしき
 
  (改頁)      画像76
 
より取出しさまし置、
昼九ツ時に日に干粉にむしく起、
夫より湯水等をたへ不
申、粉ばりす起賜ふ、飽候
まで給申候、其後ハ一切の
食物を食し申間舗儀と相
用へ申候、○右官工丞人春
田播磨医師墾田永年
右両人相越
 四十日程無障こらへ候よし
 六月十日
     桐原分
      沢村
       定吉
右者来ル十三日御町所江
御用ニ候間、村役人差添
罷出候様、御達し候、
          同役
 
  (改頁)      画像77
 
 六月十日
御奉行所定之進様今晩
暁七ツ時御出立ニ而、御徒士町
通り重柳村江御越候間、
道之助御案内致候様と今
御沙汰ニ候間、御承知可被成
候、右申上度如此ニ御座
候、早々以上、
 六月十日夕
  奉願口上之覚
蟻ヶ崎村鉄蔵娘いは、此
度松本安原町平十妻ニ
縁組差遣し申度旨、願
出申候、此候御許容被成下
置候様、奉願上候以上、
  同
高出組高宮村東弥聟養
子庄五郎、此度勝手ニ付、当
村市郎兵衛借屋江、当未
六月より来、申〆
 
  (改頁)      画像78
 
六月迄逗留仕度旨願
 出申候、此段御許容被成
 下置候様、奉願上候以上、
一諏訪御分地埴原村甚助
 義、此度勝手ニ付、当未
 六月より来申三月迄、当
 村磯右衛門方ニ逗留仕度旨願
 出申侯、尤右村より請金書
 私共場江請取置候ニ付、
 写奉入御纜候間此段
  当五月九日晩、
   品川宿より繩抜致
   逃去候、
    呉服町喜兵衛店ニ
     元被在候
         与八
  歳三拾弐
  中丈小作リ
  中肉小太リ
  丸顔
  頬こけ
 
  (改頁)      画像79
 
  色浅黒く
  眼細く
  囗小く
  小鼻ひくき
  耳尋常体
  眉毛細く
  髪少く
一上総国竹岡村出生ニ而、江戸言葉
 交リ、言舌至而低く柔所和なる方
一拾年程江戸表ニ店持罷在、印旛
 沼堀割之節并日本橋其外川
 筋浚之働江せ(話脱カ)致之下方致し候
 ニ付、船乗其外国々ニ知人多有存之候由、
一右之もの多分中山道江罷出、信
 州地震跡御普請人足多分
 入用ニ付、便罷越居哉ニ風聞
 有之候事、
   未
    七月
 右之通、従
 公儀被仰出候儀ニて無之
 候得共、御配符同様相心得、
 村々下々迄行届候様、可申達、
 
  (改頁)      画像80
 
 且見当候ハゝ、早々差押へ可申出
 候、此段組下村々并寺社江不
 洩様可申達候、以上、
  七月
 右之通御達候間得其意、
 小前迄早々可被申達候、以上
  七月十一日
 日光山神主五見和家与申者ニ、
 此間中御領分致勧化候趣
 被御聞、右様之儀有之候哉、右
 明日迄ニ可申出候、尤御免勧化之外
 者、兼々不相成候処、右神主廻村
 いたし候始末柄、得と詮義之上、
 明朝迄無間違可申候、以上、
 右之通御尋候間右様之儀
 有之候ハゝ、其始末明朝御役所
 前迄へ可被御出候、且刻付致早々
 順達可被致候、以上、
 七月廿三日 
   覚   庄内
       蟻ヶ崎
一両村ニ而四日・五日ニ廿四人
 申聞候得共、振合違候故、承知
 
  (改頁)      画像81
 
 不致、銘々申聞候ニ付、前書
 之通遣申候、尤帳面可相願候ニ付、
 余分ニ付遣申候得共、廿四人遣申
 候得共、送り人足申遣候得共、
 不相届候哉、又白板より承候ニ参候
 当日分明朝被拾上可被遣候、
 書付其段申遣候、此段御状者
 日光今宮神主その為廻村いた
 し候ニ付、前村振合ニて百文
 差遣可申候、尤送リ人足、且又
 前振合之通、差遣可申候、桐原分
 右神主四日・五日罷越、御免勧化
 之由申候趣ニ御座候得共、他出仕罷
 在候付、得と様子相分リ不申、差
 支度相断候ニ付、有合之品差
 出し、四拾八〆差遣し継送
 申候、以上、埋橋村
一右神主儀、当村へ参候与八
 御免勧化与者不申候、其故
 
  (改頁)      画像82
 
 御廻米蔵会所修覆ニ付、
 明後晦日見分請度段、
 懸り役人より申出候間、明
 後日無御間違御出勤
 可被下候、右申上度、早々以上、
 
  (改頁)      画像86
 
  八月朔日 天気
        宮淵村
          才八
          喜代蔵
        立入人
        小屋村
          増沢治左衛門
右之者共、明後三日朝四ツ時、
御預役所御用有之候間、無遅刻
罷出候様、可申達候、
  二日 天気風
  三日 二日夜ハツ時頃より雨降ル、
     大ふり
一毛附駒御改、荒井村与頭
 幸左衛門方ニ而五日御改メ、上条より
 申参即刻金井継
 
  (改頁)      画像87
 
       庄内組
        庄内村
          弥 助
        埋橋村
          五郎左衛門
        桐原村
          つる
        宮淵村
          勘右衛門借屋
          源次郎
        渚 村
          今朝次郎
      〆五人
       高出組
        野溝村
          奥右衛門
          弥五郎悴亀松
        吉田村
          富次郎弟
            又次郎
      〆弐人
右之もの共除帳願御免
 
  (改頁)      画像88
 
別紙人別除帳願
御免之旨、被仰出候
間、此段御承知
可被成候、以上
 九月朔日
追掛郷夫急ニ差出候様、
宗門旨ニ而被申聞候、尤可相成
丈被急差出候様、被申
聞候間、右御通知申上度
早々、以上
 九月朔日
 
  (改頁)      画像92
 
 先年久離除御願申上、当時如何
 ニ相成居候哉、御尋人別左之通り
               庄内村
一先年除帳ニ相成申候      甚助借屋
                  長三郎
一先年御仲間ニて江戸表ニおゐて  蟻ヶ崎村
 欠落仕、久離御願申上除ニ相成    万之助
 候由、四拾ケ年余ニ相成候由、当時除
 相成居申候
               宮淵村
一死去仕候ニ付御届申上、其上  和右衛門伯父
 除帳ニ相成居候         清右衛門
               白板村
一右同断            儀右衛門借家
                 六之助甥
                  清三郎
               宮淵村
一右同断            甚助妹
                  とく
               白板村
一右同断            佐七後家借屋
                  又次郎
一拾五六年以前、佐久郡辺ニ死去  桐原分
 仕ニ付、除帳ニ相成申候      清右衛門借屋
                       広八
一死去仕候ニ付御届申上、其上   宮淵村
 除帳ニ相成居候          犬松借屋
                     浜吉
一久離御願申上候節、直ニ      幾四郎娘
 除帳ニ相成申候             きん
 
  (改頁)      画像93
 
                 中林村
一上州高崎辺ニ而死失        小右衛門兄
 仕候由除帳               鋲次郎
                 宮淵村
一立戻り帰住御免ニ相成、当時    幾四郎悴
 御仲間奉公仕候             幾太郎
                 庄内村
一福松事弥助ニ御座候、先達而    十郎次借屋
 除帳御免ニ相成候人別ニ御座候    太助悴
                      福松
                 中林村
一生死行衛相知不申、此度      与三右衛門悴
 除御願申候               喜代太郎
                 鎌田村
一久離御願申上候節、直除帳     太郎右衛門弟
 相成申候                 吉三郎
                 庄内村
一先年久離御願申上置候処、此度   佐助後家
 立戻り帰住御願申上度        たき悴
                    伊左衛門
一先達帰住御届申上、差入被仰付   利右衛門悴
 村方人別ニ相成申候           与兵衛
一以今生死行衛不相知、先達而博奕  清宝院
 掛り合ニて欠落仕、此度久離御     玄明
 願申上度
                 宮淵村
一先年御願申候節、直ニ除帳     恵左衛門家内入
 御願申上候                  栄吉
一以今生死行衛相知不申、家内難渋 桐原分
 ニ付御預所二子村妹聟三右衛門方へ、 円右衛門
 去年五月引越
一以今生死行衛相知不申なと    庄内村
 心底不宜者候間、此度久離除帳     吉弥
 御願申上度
 
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  九月朔日 天気、西山
       あれ見ゆる
 朔日参二日帰ル
一此度和田宿より宿立人馬
 不足ニ付差村有之、御公役
 村柄御見分有之候ニ付、懸り
 御手代広瀬小左衛門殿・御同心
 笠井金蔵殿、浅間村庄屋
 忠九郎方へ出張故、我等参ル、
 外ニ金井藤井村役人与浅間
 庄屋弐人・惣社庄屋・筑摩
 庄屋・南小松・湯原庄屋弐人
 罷出ル、三日朝迄
  九日三日 天気寒し、
       大霜
 
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  九月四日 朝、夜雨
  九月五日 天気
当流御改ニ通し御出張相成候間、
例之御用拾割御心組有之、早々
御差出可被成様被申聞候、以上
  九月五日    上条覚左衛門
          金井源左衛門
 
一先達而御談申候郷夫之儀、雑
 司橋見分之儀旁々御相談申
 度奉存候間、来八日御出会被
 下候様奉待上候、以上
  八月八日    上条覚左衛門
          金井源左衛門
 右弐通共、九月六日夕方中田より
 参、中沢へ七日継
 
  (改頁)      画像96
 
  九月七日 天気あたゝかし、
       昼後より風
  九月八日 天気
  九月九日 天気、夜ニ入少
       雨
  九月十日 曇
一御奉行方川筋御見分相済、
 押野村早朝御出立ニ六九廻り
 御帰り、池田同役より通達書状、
 藤森より亥出、十日午ノ正刻
 届、直ニ村々江達ス
一渚村喜代太郎拾もの六ヶ月
 建礼被仰付候、来二月否御
 届可申事
        三才村
         与佐次郎
         庄左衛門
 
  (改頁)      画像97
 
右之者、明十一日村役人差添
召連罷出候段、等々力より通達
直ニ達ス、日入頃
  九月十一日 天気、曇ル
一鍛之助出勤致ス
  九月十二日
   以書付申遣候
此度於江戸表御出生
御男子様、御名左京様与
被為附候間可得其意候、右左与
申名可相改候、尤文字違候
得者不苦候、此段組下村々
并寺社江も不洩様可申触候也
 
  (改頁)      画像98
 
  九月十日  郡所印
右御配符十二日夜五ツ時過中田より
参、十二日朝上条へ継
  九月十三日 曇ル
  九月十四日 朝少雨、四ツ時頃より
        天気
一雑司橋見分鍛之助罷越、外ニ
 同役金井・上原・小藤井我等方廻リ
 寄リ参ル、外ニ者中田・小上条・小
 藤森・小等々力参リ候由
  九月十五日 天気
一朝甚五郎参り申聞候者、等々力伝言
 ニて申候者、重柳村光寺川除出入、
 殊之外御役所ニても御心配之儀ニ付
 、今日も正五ツ時占御役所相始リ、
 昨夜者夜明迄有之候程、甚々
 心配候間罷出呉候様申参候間、直ニ
 罷出候処、郷御目附ニて幸罷出候間、
 上御首尾ニも相懸り候間、得と
 利害為申聞承知致候様御達
 有之、精々利害申聞候得共承知
 
  (改頁)      画像99
 
 不致、夜九ツ時戻り申候
  九月十六日 天気、曇ル
一等々力より重柳村漸々承知之旨、申し
 参ル
  九月十七日 天気、同断
  九月十八日
一伊勢町等の願小島伝三郎へ渡ス、尤鎌田権右衛門
 相手取
一朝宮淵村役人相手取、手鎖村預
 并其外之者御呼出し、当日御召出候
 御書朝四ツ頃参、仲三郎直ニ達ス
一右之者罷出候処、役人江対し申分無
 之儀ニ付御吟味御流し、御聞届候
 ニ付、入牢手鎖之者御免被成候
一埋橋村定郷夫丑之助病死ニ付、
 代り人差出候様、庄次郎より
 申参、同人より埋橋江通達致し候段、申聞候
一和田宿より宿立人馬不足ニ付、差村所
 ニ付出ス、付人庄次郎申達ス
一庄内村弥五右衛門垣限外麦柄之内ニ捨
 有之候品、御役所江差出候様庄次郎申聞、
 同人より庄左衛門へ通達致候趣申聞候
 
  (改頁)      画像100
 
  九月十九日 天気、曇ル少風
一蟻ケ崎村郷蔵済口写、源十郎持参
 致ス
一征矢野村・蟻ケ崎村郷蔵建替
 諸木代、村役人江左之通被下候
村方代積より八百六拾弐匁減
一五両弐分      征矢野村
  三貫六百四拾九文
村方積り通り
一七両三分弐朱    蟻ケ崎村
  弐百六拾六文
〆拾三両壱分弐朱
  三貫九百拾五文(ママ)
右之通り被下候
  九月廿日 天気
  九月廿一日 同断、曇
        出勤
一同役藤森・藤井・上条出勤
一白板・宮淵・渚・筑摩久離願
 出ス
一渚村藤吉、水車屋御請書出ス
 
  (改頁)      画像101
 
一白板伊三郎尋御受書
一逗留願(ママ) 出ス
          庄内村
           弥左衛門
           七蔵
          白板村
           栄左衛門
           忠蔵
           庄助
          桐原分
           半右衛門
           仁兵衛
           源吉
 右通用金滞廿二日申遣ス
一御才覚金十月廿日上納、同役より
 通達、藤森へ継
  九月廿二日
  九月廿三日 曇ル
  九月廿四日 同断
 
  (改頁)      画像102
 
  九月廿五日 曇ル
一木綿短尺之儀、去卯年八月
 御世話有之候処、相流レ候趣、当所
 木綿之儀者多分絞り等相成、遠
 国迄も引合ニ相成ニ相成候処、短尺
 無之候而者御政道ニも差障リ、畢
 竟衰微之基ニも可相成候ニ付、
 以来上物三丈巾壱尺、中以下弐丈
 八尺余ニ織立候様、可達旨産物
 所ニ而被申聞候、此段御通達申上度
 早々、以上
  九月十八日  金井左源太
         中沢権右衛門
 藤井より九月廿四日夜参、尤藤井ニ
 滞候趣断書相添廿五日朝上条江継
一御奉行方廿五日松川組御出立ニ而
 御帰り候段、清水より通達、
 尤清水より書状廿四日酉ノ下刻出、
 藤森より廿四日子ノ刻出、廿五日
 巳ノ下刻ニ参り直ニ達ス、尤
 御奉行新田町御昼之由申参ル
 
  (改頁)      画像103
 
  九月廿六日 朝曇ル
一御奉行方今晩九ツ時御出立、
 保福寺通御出府被成候間、御
 道筋例之通申達候様、被仰出候、
 御承知可被成候、以上
  九月廿六日  丸山杢右衛門
一御通用所御才覚左之通
 取調へ書出し候様、被申達候
一何拾両       何 村
 内
  何拾両      七月迄
  何拾両      十月迄
一¦¦¦        ¦¦¦ 
  同
   ¦¦¦       ¦¦¦
  ¦¦¦       ¦¦¦
 右之通認メ近日之内ニ差出
 候様、御通用所ニ而被申聞候、
  但利盛ニ入用ニ而急々
  取掛り候間、無延引様
 
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  呉々被申聞候
一岡田組・庄内組・保高組
 右組々人別帳未夕御差出
 無之、急々差出候様被申聞候、
 御承知可被成候、以上
 九月廿三日   中田源二郎
         藤森善太夫
  九月廿七日 朝曇ル
一御収納之儀、来月二日御収納
 方被差出、三日寄納、引続キ
 村々納被仰出候間御承知
 可被成侯、以上
  九月廿五日   上条覚左衛門
          藤森善太夫
一国役金明年之銀高目
 録相添、日限も例之通
 可差出、出間中部屋ニ而
 被申聞候、左様御承知可被成候、
 以上
  同       右同人
 
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  九月廿八日 曇
  九月廿九日 雨
  九月三十日
 
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  十月朔日 天気
御収方      宮村町
          鈴木彦助
         中ノ丁
          細井曾次右衛門
  十月二日 天気
  十月三日 同断
  十月四日 同断
  十月五日
  十月六日
  十月八日
  十月九日
  十月十日
 
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  十月十一日
  十月十二日
  十月十三日
一郷御目付より罷出候様申参ニ付、
 先日罷出候処、御塚石垣御
 出来ニ付、山部・岡田・庄内、三ケ組
 ニ而人馬冥加ニ差出候様、尤人足
 扶持籾者被下候段内被仰聞候
 ニ付、先日者金井不参ニ付十
 三日金井・藤井・我等罷出申談
 候処、無余儀ニ付御請申上候、
 尤石持人足遠近も有之候ヘハ、
 場所等相伺申置候、右之段
 委細埋橋村庄屋三溝伝右衛門へ
 申達ス、割等致候ハ、組中へも
 可申談旨相達ス
 
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  御塚石垣
一弐千六百五拾四人半
一手伝人足四百拾四人七分七厘
一石持人足百四拾八人半
  御敷石
一三百駄
一手伝人足八拾三人八厘
  両御門前縁石
一百拾駄
一角石持人足拾弐人
一上石弐拾八駄四分
惣〆 四百九拾七人八分五厘 手伝人足
   百六拾人半      石持人足
   三千百弐駄九分
右者御作事所より御掛合之書付
写し、伝右衛門へ相渡ス
 
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  十月十四日
  十月十五日
       埋橋村
        定郷夫 午之助
 拾弐匁三分六厘
  右者給金渡し過
 弐拾五匁六分弐厘
  薪其外渡し過
〆三拾七匁九分八厘
右之通上納差出候様御達し、
埋橋伝右衛門へ直ニ達ス
       三才村
         庄左衛門
         与佐二郎
右之者明十六日御呼出し申参リ、
直ニ申遣候処、書付延引之由
 
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  十月十六日 鍛之助出勤
一三才村庄左衛門・与佐二郎御呼出し
 書付、三才村へ同日朝日ノ出頃ニ参候処、
 与佐二郎儀川手辺江参間ニ合
 兼申候、尤飛脚者直様遣候由、
 組頭申出ル
一御才覚金不差出庄屋・組頭
 名前、急々差出候様、御通用
 所より可被申聞候間、御承知可被成候、以上
  十月十五日        藤森
右十八日中田より参十九日上条へ

  十月十七日
 
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  十月十八日
一桐原分新堤土手笠置眼付
 致度ニ付、上り地斗代増拝借
 致度願差出候ニ付、差上候処、
 左之通り申参ル
一別紙堤願書年賦拝借
 ニ而仕立候ハゝ、御見分之上御目論
 見請候而可然、其形リ之願
 意ニ認直し、可差出旨被
 申聞候、願書御下ヶニ付差上
 申候、宜御取計可被下候、右申
 上度早々、以上
  十月十八日     藤井
            中沢
右桐原江申遣ス、則願書返ス
 
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  十月十九日
三組ニ而御塚御普請人足
寄持ニ差出度段、被為思召
御満足候得共、此度者御請
無之旨被仰出候、此段御承知
可被成候、以上
          藤井澄之助
          中沢権右衛門
 金井より参ル
一三才村庄左衛門、金談出入由緒相談
 中ニ付、御呼出し無之様仕度段
 申上候処、日限無之候而ニ不宜候
 間、何日迄相延し度候哉、詮義
 之上否申出候様御達候、此段
 御承知可被成候、以上
            藤森
 右三才村組頭へ申遣ス
  十月廿日
 
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  十月廿一日 大雨終日
一筑摩村与頭紋右衛門参り申聞候者、
 昨日江戸表庄二郎方より書状参り、
 別紙之通り申越候書状ニ有之
一金右衛門悴音十義、当四月助十
 ・徳十頼ニ而、御上屋敷御出入髪結
 伊三郎と申者請人ニて、小柳町
 名主岡田氏と申方へ奉公致し、
 江戸所々洗場ニ而盗ミいたし、
 九月廿八日御召捕自身番ニ被上、
 北ノ御番所鍋島内匠様江御召出し
 之上入牢被仰付候、尤手入致
 松本無宿ニ相成候由、助十より金子
 差出右之場へ頼込候、然ル所我等
 出府ニ付、其後御慈悲頼又者
 御呼出し有之右入用相掛り、此上
 済方之節余程相掛り候段、
 伊三郎よりも掛合有之、助十よりも頼
 有之、右内々致置、お頭半右衛門并
 紋蔵・九左衛門・松弥相噺置可也、
 
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 乍去松本無宿与申儀如何
 相成候哉、得と安堵不相成候、且御
 掛り様へも御内々申上候間、
 次手ニ親方へもお頭ヲ以御内々可申
 上候事
一右金右衛門悴音十、久離願九月
 差出有之候得共、漸々六ケ月間
 預り置候処、幸ひニ付月付直し、
 右之趣ヲ申上直し除帳ニ被成
 下候様、同役方紋右衛門為持相
 頼遣ス
一当用捨割御取調此ものへ
 御渡し可有之候様いたし度候、以上
  十月廿一日    松田五六太夫
       折井伴右衛門殿
追而両島村川除之儀難渋
申出候、兼而御承知可有之義
此段為知申上候、以上
 
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右埋橋村与頭平左衛門持参候間、
返事左之通為持遣ス
一三拾七石六斗六升六合  宮淵村
 連々難渋之処、其上田沢山雑用
 出入難渋ニ付
一弐拾石         両島村
 川除難渋ニ付
一弐拾石         渚村
 同断
〆七拾七石六斗六升六合
右之通御用捨内割差遣ス
 十月廿一日
          蟻ケ崎村
            与左衛門
            富右衛門
            半兵衛
            外八人
右之者共通用金返上滞
候ニ付申遣ス
        折井仲三郎
明後廿三日郷目付御用、
東遣ス
 
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  十月廿二日 曇ル、雨気有ル
一駒(コマ)之津ふれ辺ニ行たをれ人
 有之候ニ付、宮淵・蟻ケ崎・白板役人立
 会見受候処、年頃三拾才余り男
 之相見候処、宮淵村畳屋仁兵衛
 与申者参見届候処、古厩村
 酒屋太四郎与申者之由、昨廿一日
 仁兵衛儀太四郎方へ仕事ニ参居、
 仁兵衛者朝早り出、其跡より太四郎ハ
 廿五日ニ婚礼致候ニ付町方へ買物ニ
 出、飯田前茶屋ニて仁兵衛与落合
 酒喰、其後仁兵衛同道ニて新橋
 伊右衛門方ニて又々酒喰、仁兵衛方ニても
 又酒のみ、夜五ツ時過ニ相成候間、
 仁兵衛も留候へ共、是悲町方へ
 参候与申てふちんかり出懸ケ
 候由、尤外ニ由緒之者も先へ参り
 居候由、右御届申候処、御見分
 有之且太四郎持用金子へ者
 之者紛者無之
 
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 十月廿二日
 十月廿三日
 十月廿四日
一夜九ツ時頃早鐘打候間見廻候
 得共、一向火も不見、家来遣候
 て見請候処、中町広福寺表
 荒神堂ニ当りニ干草有之候、
 むへ出候由申参候
一宮淵勘右衛門印形并村役人印形
 持参、明廿五日御呼出し候、直ニ
 東へ申遣ス
 
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         白板村
           茂助
         渚村
           福助
           兼松
         宮淵村
           茂右衛門
           富三郎
           佐恵松
         筑摩村
           沖治郎
           繁治郎
           音十
           幸七
右之者共久離御聞届之段
同役より通達有之、廿五日達ス
  十月廿五日 雨天、風
水車臼数并冥加調之儀、
正月より十月迄之処、新願
又者止願等有之候ハゝ、取調
急々御差出有之候様
 
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与申聞候、尤年内中之処
も取調差出候様、御達ニ
御座候間、右御通達申上度
早々、以上
  十月廿四日    上原弘野右衛門
右中田より廿五日夕方参ル、対
置廿六日朝中沢へ遣ス
  十月廿六日
一白板村永次郎久離願御
 聞申旨、御沙汰ニ御座候
一明後廿八日放光寺山近辺ニて
 大筒稽古有之候間、右之段
 心得被居候哉、被仰聞候、此段
 御承知可被成候、右申上度早々、以上
           金井佐源太
 
  十月廿七日
 
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一献金之義来月上納之旨御
 沙汰ニ御座候、尤日限之儀者
 此巳前之通ニ御座候被仰聞候、
 此段御承知可被成候、右申上度早々、以上
 
 ¦¦廿六日       同役
 
右廿七日参り、廿八日朝上条へ継
  十月廿八日
 一宮淵村勘右衛門悴久兵衛儀、
 村方并役人江掛リ候出入一件、
 御取計方心底ニ不相叶故、
 江戸表江罷越直訴致候旨
 ニて廿四日出、御預所和田村へ之
 由緒之方へ参、夫より和田堰
 一件ニ付、和田村役人内分出府
 致居候ニ付、幸ひ書状賃
 壱分受取廿六日江戸表へ
 参候与申、罷出行衛相知
 不申、其段郷御目附へ御届
 
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 仲三郎罷出、右仕来申上候処、何れ
 呼戻し候様御達し有之間も
 無之、又候御沙汰ニ者久離願
 早々差出候様御達ニ候段、仲三郎
 より申聞候
  十月廿九日
   以書付申遣候
当冬御立直段入札例之通
相認、来月三日迄ニ可差出候也
 十月廿八日  郡所印
       庄内村
        清宝院
          玄明
       同村
          善弥
       埋橋村
       在初右衛門従弟
          紋十郎
右之者久離願御聞届候段
御達候、以上
        栗林相之助
 
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  十一月朔日 快晴
  十一月二日 同
  十一月三日 雨
一御立直段入札ニ付鍛之助
 出勤致ス我等留主
  十一月四日 天気
  十一月五日
 
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  十一月六日
一鍛之助出勤
一囲穀詰替願近々差出候様
一御用捨割願近々差出候様
  十一月七日 曇ル
  十一月八日 あれる
 
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  十一月九日 快晴
      鍛之助出勤
  以書付申遣候
 金拾両ニ付
  籾弐拾七俵   金納
  籾弐拾八俵   買納
右之通当冬御立直段
被仰出候間、得其意組下村々
可被申触候、以上
 
 十一月九日   篠田武右衛門
 
一明十日蟻ケ崎村庄屋・与頭
 相揃部屋へ罷出候様御達し
一御用捨割御廻米金納願、
 蟻ケ崎盗難、渚同出ス
 
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  十一月十日 風
 囲穀組下之高御取調、明日御差出
 被成候様被申聞候、此段御承知可被成候、
 已上
一文略御免可被下候、然者囲穀詰替
 願書近々指出候様御沙汰御座候
 間、就而者昨年御承知も被下候通
 之事ニ候得者、当年之義者当
 組囲穀高之願書差出可申候間、
 此段宜奉頼候、外御組々江も
 御通し置被下度奉存候、右申上度
 早々、以上
一寒冷弥御安康奉賀候、然者
 囲穀願高之儀、中田氏より別
 紙申参候、昨年之処物高出
 にて組々分より余分之願にて、
 当年より者いつれと〓
 評定可致と申上事、御礼候様
 
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 ニ覚候、昨年之評定にて者高
 出与申場尤之事、乍尤先当
 年者と申場にて相済候事と
 覚え居候、いつれとも御評
 定ニ依而御差支ね(ママ)きよふ
 御請可被下候、私儀者何
 卒出勤之処御差含
 被下候様奉頼上候、以上
一取締御掛りより被申聞候者、
 先達御沙汰いたし置候
 田畑、かり耕作計りニ而
 手明きニ相成り、村方ハ何
 等御趣意ニ叶候外稼
 もいたし、相続之道ニ至、
 即□村別御取調出候
 て早々其訳相認申出候
 様、若未夕取調届兼候組
 々ハ早々取調、是又異延
 引可申出段被申達候間、
 
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 此段御承知可被成候、以上
一御組国役御上納金、明十五日
 御差出可被成候、右申上
 度早々、已上
  十一月十四日
  十一月十一日
一高四百五拾弐俵  囲穀組高
      御目見御勘定
        松村忠四郎様
右者今日田沢村御昼ニて松本
御泊り御越ニ付、野間御敷払
差出候事
右者御役所ニて鍛助より庄左衛門へ
達ス
 
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  十一月十二日
  十一月十三日
  十一月十四日
  十一月十五日
一御子様明日四ツ時浅間へ
 御入湯被仰出候、御道筋
 之義御沙汰者無之候得共
 為念申上候、以上
             中沢
一囲穀願明日中ニ差出
 候様、御部屋より被申聞候
             丸山
 
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一御廻米御改何日頃より可然
 候哉、談之上申出候様、御代官
 所より被申聞候、何分御請高
 御取究被仰下候様奉頼上候
             中沢
             丸山
右幸藤井・金井居合候間
申談、当廿日頃より御改可然与
返事遣ス
一御組々之内より此間中盗難
 届多く、中ニ者土蔵之屋根
 ヲ切口いたし、又者戸前
 ヲ焼破り候類四五ケ所
 有之候間、夜廻り厳敷
 可申付、尤夜半より別而
 厳敷相廻り候様御達し
 御座候、此段御承知可被成候、
 
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 以上
  十一月十三日  同役
右十五日夜藤井より参直ニ上条へ
継、十六日組へ触
 
         十五日夜雨、暖
  十一月十六日 風、
一追鳥狩之儀ニ付、来ル廿日御出
 仕有之候様可申通旨、庄内
 部屋ニ而被申聞候、御承知
 可被成候、以上
  十一月十五日
 三月十七日
一此度於公儀姫君様
 御誕生被為在候処、思召有之
 表向御弘不被仰出候、御
 名之儀者鋪(ノフ)姫君様与奉
 称候旨被仰出候、表向御弘
 
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 無之候得共、右鋪之字
 并同様唱候名可被改候
   以書付申遣候
別紙之通従
公儀御触有之候間得其
意、組下村々并寺社江も不
洩様、可申聞候、追而此書付
可相返也
    郡所印
  五月十四日
   以書付申遣候
     矢原村
      忠兵衛
右之者当月五日行衛不
相知候付、家別詮義之上
否早々申出候様可申付候、
此段組下村々并寺社江も
不洩様可申聞候、追而此
書付可相返也
 申
  五日十三日   郡所印
 
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  十二月朔日 天気九ツ時寒ニ入、
        暖し
   以書付申遣候
大町村ニ有之御払麻入札被
仰付候間、望之者者入札相認メ、
来ル八日朝四ツ時御役所へ可持参候、
尤員数之儀大町村麻間屋へ
承合可申候、右之趣組下村々
可申聞候、望無之組も当日
可相段候也
      郡所印
中田より二日参、上条へ直ニ継
  十二月三日
一雑司橋修復ニ付、此間
御作事所より見分有之候、
別紙之通入札被仰付候間、
組下村々ニ望之者入札
相認、来ル九日当役所
江可被差出候、尤望
 
  (改頁)      画像135
 
無之組も右当日其旨可
被申届候、追而此書付
可被相返候、以上
   木積覚
児柱
一栂 長壱丈
   八寸角   弐本
  但弐ツ切
   此分四本
高欄手摺
一同 長弐間
   壱尺ニ壱尺弐寸角  五本
    但四ツ割
     此分弐拾本
馬踏
一同 長弐間
   壱尺角     弐拾五本
    但五ツ割
     此分百弐拾五枚
附行桁
一同 長三間
   壱尺弐寸角    三本
    但鱠板ニ弐ツ割
     此分六枚
〓木
一同 長弐間
   壱尺角   三本
   但四ツ割三ツ切
   此分三拾六本
 
  (改頁)      画像136
 
囲木
一同 長弐間
   壱尺角   四本
〆四拾弐本      元代高
一雑司橋御修覆仕様注文
 
一附行桁長三間・尺弐寸角、九寸ニ三寸
 位之鱠板ニいたし、中行桁江釘
 彫いたし、大釘ニ而打形能反
 附可申
一馬踏板長弐間・巾尺・厚弐寸、
 両側取合釘彫いたし、行
 桁毎ニ釘壱本ツ、打上目違
 所削可致
一高欄手摺長弐間・五六角、出
 来合削揃上ニ水ころひ附継
 手かぶせ、鎌込拾打形能反
 附可申
一児柱長五尺・八寸角出来
 削上兎角中切、根堅メ能手
 摺大入柄ニ可致
一〓木長四尺・五寸角四五寸
 位ニ削〓手摺江?差し
 
  (改頁)      画像137
 
 いたし、下端木半分程木
 がき側行桁江丈夫ニ打附
 可申、高欄高弐尺程釘〆
 可致
 右仕様注文之通無間違
 仕立、諸入用之品者此方より
 差出可申、尤木品角物ニ而
 差出可申、大工・木挽扶
 持作料何程与申積り入
 札可致
馬踏
一栂 長弐間
   壱尺角   弐拾五本
    但五ツ割
     此分百廿五枚
  此之分木品御願之書面ニハ
  三拾本有之、五本分ニ付
  願書御直しニ可被成候、既に
  入札差免キ候故、追而
  御沙汰可有侯
 
  (改頁)      画像140
 
   以書付申遣候
其方共儀御用之儀有之候間、
来ル十五日朝四ツ時可罷出候也
      表勘定所印
         折井伴右衛門
         藤森善太夫
         丸山杢右衛門
         金井源左衛門
         藤井佐左衛門
         等々力伝右衛門
         上条覚左衛門
         中沢権右衛門
         中田源二郎
         金井佐源太
         藤井澄之助
         藤森善兵衛
         上条七之助
         折井鍛之助
         等々力良太
         丸山円十郎
追而麻上下心懸可罷出候
 十二月十一日金井継
 
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  以書付申遣候
      庄内村
       与頭
        式左衛門
        池上弥次兵衛
      征矢野村
       庄屋
        重四郎
       与頭
        久兵衛
      桐原分
       庄屋
        一柳市郎左衛門
      筑摩村
       庄屋
        百瀬庄二郎
       与頭
        紋右衛門
      中林村
       庄屋
        横内兵三郎
       与頭
        三十郎
      渚村
       庄屋
        此右衛門
      宮淵村
       与頭
        藤三郎
      埋橋村
       庄屋
        三溝伝右衛門
       与頭
        平左衛門
 
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      小島村
       庄屋
        伝三郎
       与頭
        忠兵衛
      鎌田村
       庄屋
        権右衛門
       与頭
        喜兵衛
      両島村
       庄屋
        仁兵衛
       与頭
        佐伝次
      白板村
       庄屋
        折井仲三郎
       同
        折井庄左衛門
        折井武十郎
右之者共御用之儀有之間、
来ル十六日朝四ツ時召連可
罷出候也
十二月十日  表勘定所印
十二月申達ス
 
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一水車当年より冥加、正月より十月迄
 御取立ニ相成候、当組分
 〆六百五拾弐柄
   内
   拾柄       三月より
            十月迄
    此籾三俵弐歩
   四柄       正月より
            九月迄
    此籾九歩
   六百三拾弐柄   正月より
            十月迄
    此籾百五拾八俵
 〆百六拾弐俵壱歩
   四月十六日
   以書付申遣候
一明十六日日光山為
  御名代
 殿様江戸御発駕被遊候
 間、来廿三日迄火之用心別
 而念人騒動ヶ間敷
 義無之様可相慎候、此段
 
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 組下村々并寺社江も可申
 触候、追而此書付可相返也
     郡所印
 
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弘化五戌申年
  正月元日
  四(ママ)月十六日
 以書付申遣候
    蟻ヶ崎
     山廻り
      庄助
右之者御用之儀有之
間、明後十八日朝四ツ時
村役人差添召連可被
出候、其節此書付可相返也
      郡所印
       小島村
        組頭 忠兵衛
明後十八日御呼出し
 
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  二月朔日
   以書付申遣候
       津村才右衛門代り
 郷目附      高橋隆蔵
       高橋隆蔵代り
 郡手代      米山富之丞
       松田五六太夫代り
 同定補欠     蜷川規蔵
       米山富之丞代り
 郡同心      藤銀彦太郎
       蜷川規蔵代り
 同        牧野猪野太夫
       石井右衛門太代り
 同        平野円右衛門
右之通被仰付候間得其意、組下
村々并寺社江も不洩様、可申聞候也
       郡所印
 宗門方      米山富之丞
          小沢有喜右衛門
          蜷川規兵衛
 川除方      牧野幸太夫
          箕浦治左太
          村部善蔵
 
  (改頁)      画像149
 
    御部屋
       松田五六太夫代り
           貝谷彦之助
       米山富之丞代り
           大沢門太兵衛
       箕浦治左太代り
           樋口和一
    表御勘定所
       勝山八右衛門代り
 御代官      石井浅右衛門
       石井浅右衛門代り
 吟味役      喜多村小市
       喜多村小市代り
 手代定補欠    三原新太郎
       三原新太郎代り
          安田圭右衛門
 
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一夫銭之儀一昨年分去年
 御調有之候処多分之増ニ相成、
 去年分当年調候ハゝ、是以増し
 可申候、尤格別候臨時者引去
 候得共、一昨年分多分増ニ候、右者
 村々役人自然与心得方相馳候
 ゆへ?とも御不審有之、御取締
 之儀村役人心得方第一ニ候、
 決而不相馳厳重心得有之様
 精々被申達候、左様御承知
 可被成候、以上
    二月十八日  藤森
 追而神田村ニ而銭富目論見
 候趣、右札不買求候様村々江
 可被仰付郷目附より被仰出候
           中田
           金井
 
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一神田村ニて銭富札買求候儀、
 不相成旨厳敷御達ニ付、村々江
 相触候処、中条ニて婦人壱人
 新屋先油屋義兵衛方ニ罷在候、
 上野組之もの壱人買取不(ママ)申
 相当り候ニ付、御沙汰有之候ニ付、
 庄内村へ者別段申遣し、猶又
 組内へ厳敷相触候、尤三月
 三日ニ富伴銭にて申義故其段
 相達ス
  二月廿五日 夜明大地震
 
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  三月朔日 天気、風少し有ル
 
  三月二日 天気、風、暖
 
  三月三日 曇ル、小雨折々ふる、
       暖、夜大風
  三月四日 曇ル・大風雷雨
       之気味折々暖
一籾弐俵 筑摩村岩蔵極
 難ニ付御救被下置候、直ニ遣ス
一庄内村喜源ニ借屋、木曽宮ノ越
 宿より引越願御免
一蟻ケ崎村放光寺弟子引取
 願御免
  三月五日 天気寒し、
       曇ル
      蟻ケ崎村
       善蔵妻
        とみ
      白板村
       紋之丞家内入
        きな
 
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 右之者共久離除帳御免御
 達ニ付直ニ申遣ス
  三月六日 天気、曇、風
       鍛之助出勤
一桐原分正麟寺、明後八日
 村役人差添召連罷出候様
 御達ニ付、直ニ申遣ス
  三月七日 六日夜より大雪、
       朝凡壱尺五六寸
       ふる、終日雪
 
  三月八日 快晴暖し
宗門送り之義ハ大節之事ニ
候処、区々之取計有之、既去ル
天保十三寅三月聢与御達し
ニ相成居候処、今以不同之心得
有之候趣相聞、以之外之儀ニ候、寺
院も先寺より慥之送り証文取
之、宗門請合印形可致筈、来人
 
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之節村役人者元来之旦那寺より
是又慥ニ宗門請合一札取之
其村人別ニ可詰加へ、譬へ御他
領より縁組引越たりとも、前達而
御領法向を以遂掛合可取計
事ニ候、向後無等閑屹度相心得
可申様被仰出候間、村々寺院役人
江厳敷御達可有之候、
 三月五日    米山富之丞
         組田蒸三
   八日
 中田より参、九日朝上条へ継
   御差合名左之通
 慶  祥
 光  則  庸  尤  伊  保
 濱  貞  鋠  起  谷
 文  重  左
 
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 ミつ さだ つね ゆう いほ
 はま  みさ 志ん おき たに
 ふみ 志げ
右之通ニ候間村々江不洩様御申付
有之候、以上
 三月八日     米山富之丞
          組田蒸三
 
          当山方山伏
          羽黒行人
          蛭子社人
          梓神子
右者来ル十八日御役所ニおゐて宗門
御改被成候間、例之通無間違朝五
ツ時罷出候様、御申付可有之候、且
帳面来ル十一日迄ニ差出候様、是又
御申付有之候、以上
        右両人
 八日中田より参、金井へ九日朝遺
 
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          中林村
            役人
右者米吉事惣次郎之印形
持参、明九日御呼出ニ御座候
間、御時刻例之通御承知
可被成候、以上
 三月八日    丸山杢右衛門
直ニ申遣ス
  三月九日 曇ル、寒し
          宮淵村
            伴助
右之者明十日御町所御用候間、
役人召連例之通罷出候様御達、
御承知可被成候、以上
         西沢九之丞
一御家中御才覚金当月分
 御下ニ相成候様、御沙汰候間、明
 十日九ツ時払庄屋受取罷出
 候様御達し可被下候
 
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         丸山杢右衛門
両様直ニ申遣ス
  三月十日 夜より雨、寒し
一長谷川俊蔵娘、鎌田村庄屋権右衛門
 妻縁組引取願御免、直ニ申遣ス
            西沢
一大豆御差紙小島村江遣ス
  三月十一日 雨
元締り懸り東昼
  三月十二日 天気
綿作世話役之者より村々江申談度義
有之候間、来十六日壱組庄屋両人ツゝ、
右世話役郷宿罷出申度候様
御達し可被成候旨、直段方より
被申聞候、以上
 三月十日    当番
  渚・桐原分へ相達ス
 
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  三月十三日 快晴、暖し
  三月十四日 同断
一三才村東光庵四月朔日より法花
 経千部執行願御聞届、直申
 遣
一庄内村池上弥二兵衛、明十五日御町
 所御用有之候ニ付罷出候、御達
 ニ付直申遣ス
一渚村幸右衛門、店商札御下ニ付
 受取ニ罷出候様申遣ス
  三月十五日 同断、暖
  三月十六日 曇、風、寒
  三月十七日 天気
  三月十八日 同
  三月十九日 曇ル、
        昼後雨
 
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一宗門帳面、俗并寺院共内判大庄屋元
 ニ而相調、御改以前左之通日限無滞
 御差出可有之候、尤村役人共奥判并
 寺院奥判之儀御役所ニおゐて被成御請候
一前々御渡被置候御条目、大庄屋元ニ而
 村役人共始御百姓共為読聞可申候、
 御請書之儀も各より為読聞可申
 様被仰出候
一俗并寺社御請書印形調可有御持参候
一御改当日無役帯刀もの并御殿守・神主・社人
 ・五人組頭・御百姓共、御役所罷出候義御用捨
 被成、庄屋・与頭之もの計罷出候様被仰出候
一宗門帳御役所へ御差出之節、帳書之者各被
 召連可被罷出候、其節左之帳面取揃
 可有御差出候
一浪人証文并山伏別証文
一俗并寺社御請書
一五人組帳
一増減帳
一持高帳
一家数・牛馬帳
一寄寺院書付
 
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   宗門帳請書日限
  四月十日     庄内組
           山家組
  同 十一日    岡田組
           嶋立組
  同士二日     高出組
           上野組
  同 十四日    成相組
           長尾組
  同 十五日    保高組
           松川組
  同 十六日    池田組
  同 十八日
           大町組
  同 十九日
右日限之通宗門帳面朝五ツ時可
有御持参候、
    宗門改日限左之通
  四月 廿日    大町組
  同 廿一日    池田組
           松川組
           長尾組
  同 廿二日    成相組
           保高組
 
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           上野組
  同 廿三日    高出組
           嶋立組
           庄内組
  同 廿四日    岡田組
           山家組
一御改当日朝五ツ時、寺院・村役人無間違
 罷出候事
一御改当日口留番人・両御殿守并庄屋・不相
 勤帯刀之もの罷出候義御用捨被成候、
 小谷七人之もの之儀、為無役者格別
 ニ付罷出候事
一穢多仲間小前別例之通、穢多頭
 方ニ而調候様、村役人江可有被申付候
右之通日限被仰出候間、例之通諸
事無間違様御申付可有之候、以上
 三月十八日    米山富之丞
          組田蒸三
 十九日朝金井へ継
一粟田御殿役僧之由ニ而座頭勧
 化ニ致廻村候趣、右者決而不取敢
 施物等堅く差加間敷、村々役人
 心得罷在候様、尤御沙汰ニも申ニ者
 無之御同様之場ニ而村役人罷出
 
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 可申旨被仰聞候、此段御承知可被成候
                当番
  金井へ継
一庄内村十左衛門印形持参ニて明廿日
 御町所御呼出し、申遣ス
一正麟寺退居願又々御沙汰ニ付、直ニ
 申遣ス
       朝雨、曇ル
  三月廿日  出勤 同役藤森・丸山・
             栗林・等々力・
             三崎
一田沢山一件ニ付、宮淵村役人并十九村
 惣代廿一日ニ罷出候様御達し、
 惣代之儀藤森へ申通候
  三月廿一日 天気、暖、
        夜雨
御組ニ而盗難届書、何村と認、下へ
印形いたし指出候、右者外ニ類
無之候間、以来ハ庄屋・組頭印形
いたし指出候様直段方ニ而申
聞候間、御承知可被成候、以上
            丸山
 
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  三月廿二日 曇ル・朝雨降ル
 
  三月廿三日 朝曇ル、四ツ比より
        天気
一加州様中仙道御通行塩尻
 御泊り、鍛之助始子供拝見ニ罷
 越候処、御同勢弐千六百人余と
 申御事、御道中人馬御触者百疋
 百人与申義、殊之外所々より拝見之
 人多勢罷出候由
一桐原分孫左衛門・茂七、宮淵村茂蔵、御
 通用金返上滞候ニ付直ニ申遣ス
一桐原分正麟寺退去願之儀、彼是と
 申兎角願兼候ニ付、法弟之者共
 呼集メ得与利害ニおよひ候様、与頭
 旧前へ申遣候処、法弟呼集メ利害
 ニおよひ(ママ)候処、廿五日迄日延願度段
 申出候間、其段同役へ相頼遣し
 郷目附へ申上候筈ニ候
 
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  三月廿四日 快晴、暖し
一鎌田村正福寺看住願御聞届
一小林源市郎殿江桐原分より引越願御免
一正麟寺隠居願漸々差出ス
一去年地震ニ付、候日ニ当り候間村思々ニ経候
  三月廿五日 同断
一先年助郷拝借願年限相済
 候ニ付、願出御下ケニ付会所有之候段
 申来ル
一小島村阿弥陀堂建替願、御
 聞済之段申来ル、直申遣ス
  三月廿六日 夜雨、朝曇、
        小雨降ル
     鍛之助出勤
   以書付申遣候
於江戸表当十五日年号嘉永ニ改元
被仰出候間、得其意組下村々并寺社へ
も不洩様、可申聞候也

 三月廿六日  郡所印
一桐原分正麟寺隠居御免被仰出
 直ニ申遣ス
 
  (改頁)      画像165
 
  三月廿七日 天気
  三月廿八日 曇、昼過より
        雨降ル
一年号改元ニ付宗門帳年号
 相直し侯様中沢より通達、上条へ
 継
   三月廿九日 天気
 
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  四月朔日小 快晴、暖し
 
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 大
  五月朔日 曇ル
   以書付申遣侯
従江戸表御飛脚至着
殿様益御機嫌能、当廿日日光
御代拝首尾能御勤被為遊
恐悦之事ニ侯、右之趣為相知候間、
組下村々并寺社江も不洩様可
申聞侯也
     郡所印
四月廿八日
   以書付申遣侯
於江戸表
左京様御病気之処、御養生
不被為叶、当廿四日被遊
御逝去候、依之
 
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    五月五日
長寿之者有之侯御望申侯
節者、宗門方江も申聞侯様、
同前ニ而被申達候間、
此段御通達申上候、早々以上
一    九日
一御組下村々店商之者、名前
 取調書付ニ而差出候様、御
 吟味御通達御座候処、右
 御紙面私失念ニ而為差
 滞申訳無御座候、御用捨
 被下、早々御書出御座候様、
 奉願上候以上
     十日
   以書付申遣候
       長尾組 楡村
         又三郎妻
          わき
 
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         同人 娘
          かね
         同人男子
          右未之内出生
右者当五行朔日村方風与
罷出、行衛不相知願調置
候、左之人相之者村方へ参り候ハゝ、
留置右村庄屋方へ致通達
候様、組下村々并寺社江も
不洩様可申聞候、追而此書
付可相返候也
  右わき人相衣類
一年齢三十七歳
一勢 中勢
一顔 丸キ方少しいも顔ノ体
一目 常体
一髪 毛厚キ体
 
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一口 常体
一言語 重キ体
一茶縞地袷
一下ニ浅黄縞単物
一無地帯
一紺〓前たれ

   右かね人相衣類
 
一年齢五歳
一顔 丸キ方
一目 常体
一口 常体
一上ニ格子縞肩ニ鼡縞入古単物
一下ニ茶之大縞地之綿入
 但弐枚もの紅付
  五月廿日  郡所印
 
  (改頁)      画像175
 
   九日
此度日光御名代ニ付、
御中間御供之者名
前伺置候間、御承知
可被成候  但名前御沙汰之上者
      江戸より下り候者江ハ
      壱分、国より乃者江ハ
      壱分弐朱ニ而可渡哉、
            申合候
一新参郷夫仕添金
 之儀、去年御請取而究
 候通、五両之余ニ而不差
 出候様、被仰付候様仕度
 候旨、猶申合候間、御承知
 可被成候、以上、
    十一日
御留主居様帰郷夫、当
月廿五日迄ニ不残目見相
 
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済候様、御沙汰ニ御座候間、
御通達申上候、早々以上、
    同日
一先達而御通知申上候、御
 勘定所より御沙汰之店
 商札御取調、急々御差出可
 被成様、尚又御沙汰ニ御座候
 間可被成御承知候、右申
 上度、早々以上、
    五月十四日
別紙御配ニ付之趣来ル十
六日迄ニ否被仰上候様、御
沙汰ニ御座候、此段御承知可
被成候、以上、
   五月廿五日
    以書付申遣候
野々山佐之右衛門御役御免被成候間、
得其意組下村々并寺社江
 
  (改頁)      画像177
 
も不洩様可申聞候、追而
此書付相返也、
       郡所印
   六月四日
    以書付申遣候
      庄内村
       嘉兵衛
       定次郎
右之者共御用之儀有之候
間、五日朝四ツ時印形為持
村役人差添召連可罷出候、
其節此書付相返也、
       郡所印
   六月十三日
    以書付申遣候
於江戸表田安一位様当九日
御逝去ニ付、公方様御半
城之御忌服被為請候間、鳴
物者明十四日迄、諸祝儀
 
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并殺生者来十七日迄、可相慎
候、尤普請者不苦候、此段組下
村々并寺社江も不洩様
可申聞候、追而此書付可相返也、
     郡所印
    六月十五日
   以書付申遣候
従江戸表飛脚致着、御
簾中様当十日薨御被遊
候旨申来候、依被之殺生者勿
論、普請・とう津き・鳴物等
御停止ニ候間、諸事穏
便ニ相慎可申候、此段組下
村々并寺社江も不洩様
可申聞候、此書付可相返也、
      郡所印
  六月廿日
   以書付申遣候
 
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先達而相触候穏便
之儀、普請并鳴物者
今日より不苦、諸祝儀
殺生之儀者追而可及
沙汰候、此段組下
村々并寺社江も
不洩様可申聞候、追而
此書付可相返也
    郡所印
 
  (改頁)      画像180
 
過日中田様ニ申上候御組之儀、格別ニも
他所出候趣、被仰聞候間厳敷御達
可申成候、以上、
種地所出候儀、兼而御差留有
之候処、此節他所引合差出候迄、
有之趣被為御聞右様之儀無之候様、
厳敷差留可申段直段方より
被申聞候、右御通達申上度、早々以上、
  六月十四日    上条覚左衛門
           丸山杢右衛門
右十五日参十七日中沢へ継
 
  (改頁)      画像181
 
  六月十八日
諸秤之儀、古来より寺隨彦太郎
役人相廻改候処、近年者
私事之様ニ心得候哉、諸秤
数多致所持候者も、秤少々
出し見せ不宜秤者穏
置弐之秤、所持不致旨
を申、改不請ものも有之
様相聞候、前以相触候通
寺隨方より役人相廻改候節、
諸秤不隠置不残出し
改受候様可致候、尤紛敷秤
者取上候筈ニ候、此旨迄(ママ)度
可相守者也、
右之趣、東海道・東山道
・北陸道并丹波・丹後・但馬
都合三拾三ケ国御料ハ
御代官、私領者地頭より
可被相触候、右之通
 
  (改頁)      画像182
 
先年相触候処、可取上
秤も寺隨方江不相渡場
所有之、猥ニ秤売買
致し緒等も手前ニ而
取替、掛目不同之秤
遣候者も有之趣、相
聞不届ニ候、前々相触候通、
寺隨方役人相廻り候節、
諸秤不残改を受、西
三拾三ケ国秤等三拾三ケ国
ニ而通用無之取上ニ相成
候筋之秤者、寺隨方江可
相渡、隠秤新古ニ不
限、寺隨方之外ニ而売
 
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買致間敷、手前ニ而衡
并錘・緒等取替間敷
候、若諸秤隠置改
不受猥ニ売買致し、
或者手前ニ而衡并錘・
緒等取替候者有之候ハゝ、
急度咎可申付候、
右之通先達而相触
候通、向々江猶又可被
相触候、
   以書付申遣候
別紙之通従
公儀御触有之候間、得
其意組下村々并寺
社江も不洩様、可申
聞候、追而此書付可
相返也
   郡所印
 
  (改頁)      画像184
 
   以書付申遣候
御廉中様薨御ニ付、御停止被
置候諸祝義殺生之儀、最早
不及慎候間可得其意、組下
村々并寺社江も不洩様可申聞
候、追而此書付可相返也

 六月廿八日  郡所印
   以書付申遣候
於江戸表、溝口主膳正様御弟
七郎様御病気之処、当
廿二日御逝去被成
奥様御弟之御続ニ付、来月
十二日迄御忌中ニ候間、来月二日
迄諸事可相慎候、普請并
家業ニいたし候殺生・鳴
物者、廿九日より不苦候、此段組
下村々并寺社江も不洩様
可申聞候、追而此書付可相返也、
 
  (改頁)      画像185
 
 申
  六月廿八日 郡所印
   覚
諸殺生之儀、猟師御免之者
ハ格別、其余之者共ニハ諸
殺生不相成段、兼而被仰
出之処、近年猥ニ相
成心得違之者共有之
趣相聞候、此節御穏便
中者勿論之事、己
来心得違之者無之様、
屹度申達候様被仰聞候、
尤外々之処も有之と
いへ共、御組々五ケ組之処、
別而厳敷相心得候
様被仰聞候、右御通
達申上度、早々以上
 六月廿九日
 
  (改頁)      画像186
 
    七月八日
殿様来ル十一日御帰城被遊
候旨、郷御目附より御内意ニ御座候、
尤昨日御配書付者御差出
無之候得共、御目見ニ者間
ニ合候様可致通達段、
被仰候ニ付如此ニ御座
候、早々以上、
    十八日
   以書付申遣候
其組之真綿、於互
会所来ル廿五日より同
廿九日迄相納候間、組
下村々江可被下触候、
          以上、
   篠田武右衛門
     桐原分
右村御預所刎銭上納
滞候ニ付、来ル廿日役人
 
  (改頁)      画像187
 
    印形持罷
出上納いたし、夫より
当御支配郷御目付へ
相届候様、被申聞候間、此
段御承知可被成候、右申上
度早々如其御座候以上
    廿日
一人足五拾六人    庄内組
   馬五疋
一人足五拾七人    山家組
   馬五疋
一人足五拾七人    岡田組
   馬五疋
右者大坂御加番堀長門守
様御通ニ付、岡田町入用之人
馬ニ候間、来廿二日朝正五ツ時、右人
馬岡田町問屋方へ無遅
滞可差出候、尤一組壱人ツゝ
世話役人差添可差出候、
一馬六疋       庄内組
一同七疋       山家組
 
  (改頁)      画像188
 
一同断        岡田組
右御通ニ付松本町入用
寄馬ニ候間、可差出様可申
付候、尤一組より壱人ツゝ世話
役人来廿二日ハツ時無遅滞
差出候様、可申付候、追而此
書付可相返也、

 七月廿日 郡所印
        折井伴右衛門
        金井源左衛門
        藤井佐左衛門
    七月廿四日
   御道見分
御塚前之道より
山辺御殿迄
        下條徳太夫
        高橋元治郎
右者明廿五日御道御見
分ニ御出張ニ候間、例之通
相心得候様、尤御塚道迄ハ
 
  (改頁)      画像189
 
宜敷故夫より向々御見分
ニ相成候様、達シ有之候、
          金井
   藤井佐左衛門様
追而朝五ツ時ニハ御出ニ相成候
一御組之夫銭帳未夕御
 差出無之候ニ付、早々御差
 出可被成候様、直段方より被申
 聞、此段御承知可被成候、以上、
一追而申上候
 筑摩神主林美濃養女
 ニ山田与右衛門殿厄介引取願
 御座候、届ケの旨御達候、
一蟻ケ崎難渋願之義御座候ニ付、先
 達御沙汰ニおよひ置候通、早々
 御調明後廿六日迄御差出
 可有之旨候、以上、
 
  (改頁)      画像190
 
    七月廿七日 天気
             野口村
             木崎村
             中綱村
             青木村
             館之内村
             塩嶋村
             中之郷村
             押野村
             青嶋村
             町 村
             下平瀬村
             下 村
             犬飼新田村
             熊倉村
             岩岡村
             小宮村
             等々力村
             狐嶋村
             渚 村
             宮淵村
             荒井村
             堀米村
             上波田村
 
  (改頁)      画像191
 
右村々御免殺生之者
村々殺生之儀、是迄御
物成帳ニ鮭役・屋那役等
指出し有之候所、右者村方
一統ニ而年来殺生いたし
居候哉、又者別人ニ而仕来候
哉、取調申出候様、御達申候、
一表御勘定所より殺生札
頂戴いたし年来殺生いたし
候ものハ、右人別取調申出候様、
御達申候、
右之外殺生候儀譬ハ、
宮淵辺田沢辺ニ而一向
御冥加等不差出候而、年
来渡世いたし并闌ろ水
辺ニ而鮭等小供様取候而
取集売出し候而、右ニ而渡
世いたし候者も有之由ニ被
申聞右ニ准し候儀有之候ハゝ、
村々都而人別取調、委細
被仰上候様、直段方より御達し
同役より通達有之候、
    七月廿五日出、中沢江継候
 
  (改頁)      画像192
 
庄内組征矢野村・渚村組合字前川除
目論見帳七月廿八日出候
    八月朔日
      宮淵村

 七月廿三出     定郷夫
            久之丞
右之もの代り人急々
御差出可被成候様、
中部屋ニ而被申聞
候間、此段御承知可被成
候、早々可相返候以上、
    庄内組宮淵村
        定郷夫
七月廿三日出発    久之丞
      生所沢村弐拾七歳
 
   以書付申遣候
郡奉行
町奉行   兼帯 神尾喜作
表勘定奉行
右之通被仰付候間、其
得意組下村々并寺
社江も不洩様、早々
 
  (改頁)      画像193
 
可申聞候、追而此書付
可相返候也
    郡所印
   以書付申遣候
    安保権蔵代り
表勘定奉行名越新五右衛門
右之通被仰付候間
得其意、組下村へ
并寺社江も不洩様、
被可申聞候、追而
此書付可相返候也、
   八月
    朔日 表勘定所印
   八月六日
    勅号所
     河州志紀郡小山村
       無量寿院
右諸堂大破ニ付、修
覆為助成
 
  (改頁)      画像194
 
 河内 近江 美濃
 三河 飛騨 信濃
 伊勢 越後
八ケ国相対勧化御
免被仰付候、依之当
未二月より来ル酉ノ二月迄
一ケ国九十日宛、御
料・私領・寺社領・在
町令巡行候ニ付、天保
十四卯年兼而相触
置候通、勧化之儀者
、可為相対者也、
 弘化四未年
    二月
  寺社奉行
    浜淡路
 
  (改頁)      画像195
 
   勅号所
     河州
     無量寿院
右者諸堂大破ニ付、修
覆為助成
  河内 近江 美濃
  三河 飛騨 信濃
  伊勢 越後
八ケ国相対勧化御
免被仰付候、依之寺社
御奉行脇坂淡路
守殿御一名之印
怙拝参ニ而去未二月
より来酉二月迄、壱ケ国
九十日宛御領・私領
・寺社領・在町迄之巡
行候ニ付、当御領分
 
  (改頁)      画像196
 
之義も巡行仕候間、為
念御届申上候
     巡行役人
  八月三日 大井源吾
   郷用
   町方
    御役所
△諸国寺社修復為助
成、相対勧化巡行
之節目ニ者、寺社奉行
一判之印状持参、御
料・私領・在町可致
巡行候、
公儀御免之勧化
ニ者無之、相対次第
之事ニ候間、御免勧
化より不紛様可致
 
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旨、御料者御代官、私領
者領主・地頭より兼而
可申聞置候、
右之通明和三戌年
相触置候処、年
歴相立御免勧化
者其度々触有之、相
対勧化者寺社奉行
一判之印状を持参
候故、不審ニ存候向
も相聞候得共、紛
敷者ニ者無之候間、
其段可相心得候、
右之通御料者御
代官、私領者領主
・地頭より不洩様、可触
知者也
   卯六月
右之趣可被相触候
 
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愈御安康ニ可被成
御座奉賀候、然者
別紙郷御目付より
御渡ニ而御免勧化
ニ者無之、相対勧
化御免ニ而、巡行
人罷越候間、一
同心得罷在候様、尤
二通者右巡行役人
より御役所江指
出候、同書面写鼠
半紙書付ハ、天保年中
ケ様之御触面
廻り居候写ニ候間、此
通一同心得罷在候
様可申通御達御座
 
  (改頁)      画像199
 
候、右ニ付巡行も可有之
哉ニ奉存候間、御心
得可被成候、右御通
達申上度、早々如
斯ニ御座候、以上、
  八月十日
川口段兵衛殿江火災之
節馳付人足、放光寺村より
可参ニ相成居候所、遠
方故?兎角延
着差支ニ相成候間、可成
丈近く江申付置
呉候様被仰聞候、右御
通達可申上候御沙汰
ニ候間、此段御承知被下
候、以上、
    三才村
     左左衛門
     与佐三郎
 
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右之者明十一日御呼出
しニ御座候間、此段
御承知被下候、早々以上
  八月十一日
   以書付申遣候
     屯事
      増田万右衛門
右之通改名ニ候間、此段
組下村々并寺社江も
不洩様、可申聞候追而
此書付可相返也、

 八月十日  郡所印
来ル十六日朝六ツ半時、
殿様浅間御殿江御
日帰りニ付、例之通夫々江
申通し候様御達申候
 
  (改頁)      画像203
 
八月十一日      上原より
  七ツ半時即刻金井江継
   以書付申遣候
     蟻ケ崎村
       金十郎
右之者御用之儀有之
間、来ル十三日朝四ツ時村役人
差添召連可被罷出候、其節
此書付可相返也、
    郡所印
      筑摩村
       定郷夫
         徳八
一銀五匁弐分
 右未冬炭弐俵代
一同廿五匁六分弐厘
 右者未頼薪壱間四拾代
 〆三拾匁八分弐厘
  内五匁八分申春
       被下候給金
 
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  指引而
   廿五匁七分四厘
右之通上納いたし候様、
        御達申候、
 八月十一日    上条
弥御安康可被成御座奉
賀候、然者郷御目付ニ面御内々
被仰候者先日放光寺火災
之節、七日御見分八日ニ火
元之者差入、被仰付候旨郷
御目付より御書状参候よし
之処、右近辺之者申候者、
此度火元者御咎之御沙汰
無之趣申候よし、郷御目付
之御聞ニ入候而、左様之候無之
筈ニ候得共、万一何?間違
有之候而左様之儀申唄候
而者不冝候間、此段内々私共
場より御心得申上候様被仰聞、
 
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右之段御承知御心得可被成候、以上、
  八月十七日  中田
         藤井
      申遣候
    以書付申遣候
     笠井倉蔵代
        安江名右衛門
     大沢門太兵衛代
        柳野錫五郎
右之通被仰付候間、
得其意組下村々并寺
社江も不洩様、可申
聞候追而此書付可相返也、

 八月廿一日  郡所印
 
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   以書付申遣候
      桐原分
      賢忠寺
       現住
        哲仙
右之者御用之儀有之
間、明廿五日朝四ツ時、印
形為持村役人差
添召連罷出候、其
節此書付可相
返也、
   郡所印
    申遣候
 
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  八月廿五日
  以書付申遣候
    庄内村
     折井庄左衛門
右之者御用之儀有之
間、明廿六日朝四ツ時、村役人
差添召連可罷出候、其
節此書付可相返也、
    郡所印
  八月廿九日
   以書付申遣候
       筑摩村
        初太郎事
         久兵衛
右之者御用之儀有之
間、来ル三日朝四ツ時、印形
為持村役人差添召連可
罷出候、其節此書付、
       郡所印
 
  (改頁)      画像208
 
    以書付申遣候
      花見村
        川越小兵衛
      高家村
        寅 松
      同人倅
        助右衛門
        真光寺
      大久保村
        金松寺
      中 村
        牧右衛門
        七郎右衛門
        伊兵衛
        与惣次
      上堀金村
        藤十
      大久保村
        代蔵
 
  (改頁)      画像209
 
      中村
        和藤次
        伊左衛門
        与五郎
        音 松
      小室村
        彦三郎
      焼山村
        若林作左衛門
        梅太郎
      花見村
        喜兵次
        源太郎
      大野田村
        儀 十
      杏むら
        藤左衛門
      丸田むら
        七 蔵
      三之宮むら
        勤蔵
   右之内惣代
       両三人
 
  (改頁)      画像210
 
      田屋むら
        岑三郎
        喜右衛門
      中むら
        仁左衛門
        甚五右衛門
        伴次郎
      花見むら
        太郎右衛門
      大久保むら
        倉次郎
      丸田むら
        重 蔵
      白板むら
        宗四郎
      南新むら
        勘之丞
      荒井むら
       組頭
        与次郎
      右之内惣代
         壱両人
右之もの共御用之儀
有之候間、来ル五日朝四ツ時
 
  (改頁)      画像211
 
村役人差添召連可罷
出候、其節此書付可相返也、
    郡所印
 一昨日会合仕候御通用之義申
 立候者、已来御同様見込通
 御貸ニ被加候而もよろしく
 御座候、乍然万一滞り
 □ハ是迄通リ□□下
 候様、御取かへ之御沙汰
 有之候とも左様不仕、此段
 御断申上候様尤見込候
 処、念入の□□□□可
 下□
 
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一昨日会合仕候御通用之
儀申立候者、己来御同様
見込通御貸ニ相成候而も、
冝敷御座候、乍然万一滞
候節者、是迄通り被成下候
様、取かへ等之御沙汰有之
候とも左様不仕、此段御
断申上置候見込之通、
念入倹儀書上可申候へ共、
取替等之儀決而不仕候
間、是迄通ニ可被成下候様
申上候、且御家中より内分
御呼入之等有之候得者、其
旨御内々可申上候間、たとへ
見込指上候とも御貸附
無之様、可被下候旨申立
置候、右之通御通達申
上候、己上、
 九月四日夜   上条
         栗林
   五日仲田江廻申候
 藤森公より之御筆わかり兼、よミ違
 有之哉、心配仕候御察免可被下候、
 
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    以書付申遣候
     河原和太夫
     大決門太兵衛
     後藤前之助
   右代り
     新井水弥太
     伊藤友七郎
右者自分手江被仰
付候間、組下村々寺社
江も不洩様、可被触候、以上、

 九月五日  篠田武右衛門
     申し遣し候
  九月八日
    折井庄左衛門
右者明後十日御郡所
御呼出し
    池上弥次兵衛
右者来ル十一日御町
所江御用
右両様御承知被成候、以上、
 
  (改頁)      画像214
 
   以書付申遣候
  川除方  後藤善之助
 
       市川助一郎
  直段方
       沢柳金平
右之通被仰付候間、得其
意組下村々并寺社江も不洩様、
可申聞候追而此書付可相返也、

 九月五日 郡所印 申遣し候
    八月十日
      三才村
        庄左衛門
        与三次郎
右之者明十一日御呼出し御座
候間、此段御承知可被下候、
早々以上、
        当番より
   九月十一日
折々之雨天可有之奉存候、
然而当年殿様鮭猟ニ
御越可被遊候、附而者
鮭役有之候組々ニ而、
先年右之場
 
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野行有之候哉、左様ニ候ハゝ
年歴候共ニ御宿蒙
仰候者等互ニ申出候様、
御達し候共ニ鮭取レ初入
猶盛りニ登り候時節、凡
之場ヲも申出候様御承知
可被成候、以上、
  藤森の書状相ハからず
   以書付申遣候
      桐原分
       斗次郎
右之者御用之儀有之候間、
明十六日朝四ツ時、印形持参村
役人差添召連可被罷出候、
           以上、

 九月十五日  篠田武太衛門
一御部屋以前通ニ相成
候ニ付、川除諸普請
 
  (改頁)      画像216
 
以前へ御引戻し、御目
論見帳者川除方より
被差出、御普請出
役者御部屋より被差
出ハ村請普請之儀
も願出候得者、是又
以前通ニ相成候段、
池田部屋ニ而被申聞
候、此段御承知被成度候、
           以上、
   以書付申遣候
鉄炮猟之儀御免札
致所持候共、其組限殺
生者格別其外之者
共諸殺生者、従
 
  (改頁)      画像217
 
前々厳敷御停止之
処、御免札所持いたし候
者共他組迄も立入、或
者猪鹿威ニ事寄、隠
鉄炮拵置致殺生候
趣相聞、不埒至極ニ付
心得違無之様度々
申達候処、猶又相流
隠筒者勿論、諸殺
生近来別而猥ニ相成
候趣相聞、以之外不
埒之事ニ候、畢竟
村々役人共被仰出之趣
等閑ニ相心得候故之
義ニ而不調法之事
 
  (改頁)      画像218
 
ニ候、以来屹度差示、
其上ニも不相用者
有之候者、早々訴可申
候、猶見廻り之者御召出
不時ニ相改、隠鉄炮
御免札無之者并殺
生道具所持致
ニおゐてハ、当人者勿
論役人共迄、屹度御咎可被仰付候間、
右之趣精々可申聞
置候、右之趣組下村々
并寺社江も不洩様
可申聞候、追而此書付
可相返也、
 
  (改頁)      画像219
 

 九月十三日  郡所印
   以書付申遣候
     庄内組宮淵村
       ふ里事
         ふミ
右者当人ハ廿九日朝村方
風与罷出、行衛不相知旨
訴出候、左之人相之者
村方江参候ハゝ、留置
右村庄屋方致返
達候様、組下村々
不洩様可申聞候、
追此書付可相返也、
  右ふミ人相衣類
 
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一年齢 四拾壱歳
一中肉中勢ひ
一顔 丸き方
一目 少シ大キ方
一髪之毛 厚キ方
一言舌 静成方
一其節之衣類紺
竪縞紫糸入之袷
を着し、下ニ毛
岡染之繻伴を着し、
無地古ひ染之帯を〆

 九月十八日 郡所印
      筑摩村
        久兵衛
右之者、明後廿三日御呼出し
 
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  九月廿九日
   神尾喜作殿
   増田為右衛門殿
   喜多村熊太夫殿
    組田蒸三殿
    岩井浦右衛門殿
明後朔日六九通保高
組江御出張被成候、尤
御刻之儀者正六ツ時
御出立之趣、郷御目附
より被仰聞候間、右御通
奉申上度、如斯御座候、
          以上、
藤森江次
 
  (改頁)      画像222
 
    三才村
      庄左衛門
右之者御用有之候間、明後十
三日朝村役人召連、郷御目附
江罷出候様、御達ニ御座候、御承
知可被成候、早々以上、
 十月十一日  金井源左衛門
      御状ニ而是ハ申遣し候
     小島村
       源市郎
     桐原分
       太左衛門
右之者共十月十二日右村之
長百姓役申付、十三日ニ御
代官所へ申上ル
一来ル十九日御収納方御差
 出、八日寄納引続村々
 納被仰付候、当年
 
  (改頁)      画像223
 
 之儀者雨天打続籾干方不冝
 候得者、十九日迄間も可有之間
 キ方念入候様御達ニ候間、御承知
 可被成候、以上、
 十月十二日   金井
一永尋ニ相成居候者、或者
 欠落呼戻し被仰付、其後不沙
 汰ニ有之候者有之哉、以来者其
 時之御届候様、郷御目附より被仰
 聞ハ右之段組下へ以来者欠
 落ニ者呼戻り、又者欠落
 いたし候ハゝ、早々申出候様、申
 達候、
  十月十一日  清水
 右上条十三日朝申遣候
   以書付申遣候
          白板村分
           今町
 十月十三日 戸〆   庄蔵
 
  (改頁)      画像224
 
            仲七
          庄内村分
           巾上
            助之丞
外病気之者快気
申出候様役人江申達ス 宮淵村
            伴助
           蟻ケ崎村
            三右衛門
右之もの共御用之儀
有之候間、明後十三日朝四ツ時
印形為持村役人差添
召連可罷出、其節此書
付可相返也、

 十月十一日  郡所印
           小島村
            源一郎
           桐原分
            太左衛門
 
  (改頁)      画像225
 
右之者共江、十月十二日右村々
長百姓役申付、十三日ニ御代
官所へ申上ル
   以書付申遣侯
郡奉行
     暮沼五右衛門
町奉行
表勘定所奉行兼帯
右之通被仰付候間得其意、
組下村々并寺社江も不洩様、
可申聞候、迫而此書付可相返候
             也、
十一月
  朔日  郡所印
   以書付申遣侯
           蟻ヶ畸村
              森之丞
              太津蔵
              十三郎
              伊右衛門
              源之丞
              亀太郎
 
  (改頁)      画像226
 
              安太郎
              七十蔵
              熊蔵
              由太郎
              犀十郎
              半次郎
              金太郎
           白板村
              忠太郎
              嘉蔵
              林太郎
              喜代次郎
           宮淵村
              類吉
              覚左衛門
              布吉
              熊次郎
              安蔵
           庄内村分
            巾上
              松蔵
              太蔵
 
  (改頁)      画像227
 
           渚村
              峯吉
              善太郎
              喜代太郎
           桐原分
           沢村
              喜久次郎
              吉左衛門
              久野三郎
           白板村
            今町
              善助
右之もの共御用之儀
有之間、明五日朝四ツ時
印形為持村役人差
添召連可罷出候、其節
此書付可相返也、

 十一月四日  郡所印
 
  (改頁)      画像228
 
   以書付申遣候
      桐原分
        八右衛門
右之もの御用之儀有之候間、来ル
朝四ツ時村役人差添召連可罷出候、
其節此書付可相返也、

 十一月八日  郡所印  申遣し候
   以書付遣候
 金拾両ニ付
   籾弐拾九俵   金納
   籾三拾俵    買納
右之通、当冬御立直段被仰出
候間、得其意組下村々へ可申
触候、以上、
十一月朔日   篠田武太衛門
 
 組下へ触
 
  (改頁)      画像230
 
   十一月九日
上州と唱候籾上州古ふれと唱
候籾右者籾、正宣御都合ニ相成
候間、右籾之手本籾差出候様、上州
古ふれと唱候者、庄内より者出候
得共、外より者出不申候間、外組者ハ
手本籾差出候様、上州志らはと
唱候籾者出候得共、右ニてハ無之、
上州と唱候籾ニ御座候様精々申
聞候、籾正宣御都合ニ相成候籾有
之候ハゝ、手本籾差出候様ニ御部屋
より被申聞候、右申上度早々以上、
 十一月八日    金井源左衛門
      八日参り
藤井より参、上条十日朝継
一御通用所より被仰聞候、御内御用
 御相談申度、就而者郡中割
 致度申参候、鍛之助差出ス
        金井
        栗林
        藤森
 
  (改頁)      画像231
 
    以書付申遣候
久世大和守様御養方御叔父
栄五郎様御病気之処、御養生不為
被叶、当五日御逝去被遊候、依之
殿様来十四日迄、大奥様同廿四日迄、
御忌中ニ候間、諸事相不慎、御家業
いたし候、諸殺生鳴物之儀者今日より
不苦、且火之用心別而入念可申付候、此段
組下村々并寺社江も不洩様、可申聞候也、
  十二月十一日  郡所印
 十一日夜酉ノ正刻触ル十二日朝廻状帰候
一御奉行方明後十三日野村御出役
 有之候段、五ツ時組頭御役所ニ達ス、庄
 内へ者五ツ時達ス書状
一今町庄屋明後十三日御呼出し直ニ
 達ス
 
  (改頁)      画像232
 
       桐原分
         正麟寺
         長老
          哲元(ゲン)
          庄屋
          組頭
右之者御町所御用有之候間、明
十四日朝四ツ時印形持罷出候様、
御達申候、
  十三日
一賢忠寺隠居願御免且又閑住
願御免
直ニ達ス
  十一月十四日
一桐原分庄屋庄七郎参り申聞候者、今日
 直段方ニて役人罷出候様申参、定而
 正麟寺後住一件与存候、然ニ夕方
 組頭四右衛門参直段方御用之趣
 申聞候者、正麟寺後住之儀、法教
 継致度与申者も有之、他法ニ而
 継度与申者も有之、右之段申出候間、
 役人場ニおいて得と穿鑿致候、
 何れ之場ニ候哉、其段申出候様達候、
 趣申聞候、
 
  (改頁)      画像233
 
一蟻ヶ崎用水北御門外三軒屋敷
 前御堀揚口跡其儘ニ致置候間、
 早々取繕ひ候様、御達ニ付申達候処、
 十四日源十郎参申候者、冬水掛ケ
 申渡故取繕不致差置候段申
 聞候へ共、左様之例是迄も無之儀候へ共、
 早々取繕元通りニ致候様、猶又申
 達ス、
 
      神尾喜作様
      増田万右衛門様
右者明十五日朝野村より御引取ニ
相成候間、御道筋例之通り可被成御
承知、以上、
 十一月十七日    中田源二郎
 直ニ庄内小島へ達ス
        白板村分
          今町
           仲七
        宮淵村
           伴助
右之者明十五日例之通御呼出し
御座候、此段御承知可被成候以上、
          藤森差出
 
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一御塚道四九六間之内掃除致候
 日取之願差出候処、御加書有之下り
 直ニ遣ス
一助郷金之候ニ付、明十五日掛り村役人
 一両人召連罷出申談致度、金井より
 申参候、庄内筑摩ニ罷出候様、申
 遣ス
一位小島村留(トメ)九郎明日御町所へ村役人
 召連罷出候様申参候、申遣ス
   十一月十五日
   十一月十六日 鍛之助出勤
        白板村
         今町
          忠左衛門後家
            まつ
         同町
          仁左衛門後家
            はな
          右村役人
右之者共明後十八日朝四ツ時印
形持参罷出候様、御達ニ付申上候、
 
  (改頁)      画像235
 
申達ス
一御塚御道掃除埋橋村ニ而為冥
 加致度願御聞届、右ニ付為御手当
 年々籾三俵ツゝ被下候段、御達ニ
 候間、其段申遣ス
   十一月十七日
   十一月十八日
   十一月十九日
一我等病後始而今日出勤
      同役 金井 藤井
      上条 西沢 中沢
      中田 山崎 小丸山
      清水 小等々力 小藤森
一桐原分岡右衛門難渋願、御部屋へ
 上候
一献金来ル晦日差出候様、小藤森より
 通達有之候、上条へ遣ス
一願割十八日相済候、熊倉橋西
 詰壱橋欠折候ニ付、見分北組同役
 帰り之節
 
  (改頁)      画像236
 
奥様
御胎身ニ付赦被仰出候趣、直段
方より申聞有之候ニ付、組下へ申達ス
、尤廿三日迄有無申出候様、申遣ス、
一助郷割五分八御救願
 
  (改頁)      画像238
 
直段方度々御沙汰ニ御座候、赦ニ付
御咎之者御取調へ之儀、猶又今日御
沙汰ニ付、明後廿六日迄無間違
申出候様被申聞候、尤御〓儀之処
者如何相成候哉、難斗候得共、先御取
調無之候而者不相成候間、御取調出来
候組ニ而も、明日少も御差出成可被成候、可
相成者明日被仰上候様、右申上度、早々以上、
               金井源左衛門
廿四日夜八ツ時参り、廿五日朝辰之
刻上条へ継
    以書付申遣候
        白板村
          安兵衛
        白板村分
         今町
          忠左衛門後家
            まつ
          仁左衛門後家
            はな
            村役人
右之者共御用之儀有之候間、明後廿六日
朝四ツ時印形為持他村役人差添召連可被罷出候也、
  申十月廿四日  郡所印
 
  (改頁)      画像239
 
           蟻ケ崎村
              熊蔵
           白板村
              喜代次郎
           宮淵村
              類吉
           桐原分
              久野三郎
右之者共印形持参、明後廿六日御呼出
ニ御座候、尤村役人も印形持候様被仰聞候
           庄内村
              重左衛門
右之者印形持参、明後廿六日御町所
御呼出しニ御座候、尤村役人印形心掛候様
被仰聞候、右申上度、早々以上
   十一月廿四日      金井源左衛門
 
一赦ニ付御咎人取調組方より無之段申
 出ル、中林村米吉事惣三郎当月御廻役
 被仰付候得共、其段申上候、
 
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   十一月廿八日
一御廻米四百三拾四俵
   内
   六拾俵  正米
   三百七拾四俵、金納
一御廻米千六百七拾俵 嶋立組
   内
   百九拾壱俵 正米
   千百七拾九俵 金
右之通割合仕候間、御承知
可被成候、以上、
  廿八日    中沢
  廿九日朝上条へ継
   十一月晦日
一御廻米御改之儀、来月五日御改、
 同六日附人ニ相成候ニ而も、差支
 無之哉、御尋有之候間此之段申
 上候間、此段御承知可被下候、
 
  (改頁)      画像241
 
一此間調書差出候、御咎人之儀此節
 心底取直し御救免御座候とも
 冝候?、又者以今心底も不取直
 御免御座候而者、何敷御志申付
 一両日中ニ差出候様、返ス/\も早々
 差出候様、被仰聞候、此段御承知
 可被成候以上、
  十一月廿九日   金井佐源太
晦日朝中田より参上条直ニ継
   御形手願之覚
一籾六百九拾八俵三斗八升八合
   御手形願之覚
一籾六百九拾八俵三斗八升八合 高出組
   内
    三百八拾六俵 増沢次左衛門入
    百五拾弐俵  平林要右衛門入
    百六拾壱俵  中藤茂五右衛門
一籾七百八拾壱俵       嶋立組
   内
    三百八拾六俵 中村弥左衛門入
 
  (改頁)      画像242
 
    弐百三拾四俵 平林要右衛門入
    百六拾壱俵  中藤茂久右衛門入
一籾四百五俵    山家組
          小松清兵衛入
一籾三百八拾俵   岡田組
          二木豊四郎入
一籾四百五拾弐俵  庄内組
   内
    三百八拾六俵 折井庄左衛門入
    六拾六俵  中藤茂久右衛門入
 
〆弐千七百拾六俵
      三斗八升八合
右之通囲穀御手形奉願
上候、以上、
        御蔵掛
         高出組
           七郎左衛門
         嶋立組
           腰六右衛門
         山家組
           三重三郎
         岡田組
 
  (改頁)      画像243
 
           赤羽忠九郎
         庄内組
           百瀬庄次郎
   折井伴右衛門殿
   金井源左衛門殿
   藤井佐左衛門殿
   上条覚左衛門殿
   中田源次郎殿
別紙囲穀世話役より認
出申候間、例之通、
 
  (改頁)      画像244
 
  十二月三日
              宮淵村
              白板村
              筑摩村
              桐原分
 右村々御領所刎銭上納、来ル五日
 村役場へ取立、無間違上納致候様、
 御達ニ付申達候、
一囲穀詰替願明日差出候様、申出候、
 御部屋ニ而被申聞候、以上、
           上条長之助
一弐両         庄内組
 右者献金出不足ニ付人別・名前急
 ニ被仰上候様、郷御目附より被仰聞候、尤
 外組ニも御座候而御書付会所取置
 申候、右附紙いたし差出候様是又
 被仰聞候、此段御承知可被成候、以上、
           中沢孫右衛門
   十二月四日
尊公様明日御目附御出勤、御自身
可被出候様被仰聞候、
追而中田氏明日上田御越候ニ付、尊公御
出頭被成候、是又御承知可被下候、
 
  (改頁)      画像245
 
             金井佐源太
           白板村
             忠太郎
             嘉蔵
             林三郎
           渚 村
             峯松
             善太郎
           蟻ケ崎村
             由太郎
             犀十郎
右之者共明五日御呼出被仰出候間、
例之通御承知可被成候、以上、
           金井佐源太
    東五ケ村助郷差村ニ付金子
    一件
一千五拾弐両五匁之内
   五百四拾四両、通用所より
   御取賄有之ニ付、十一月十二月
   弐ケ月分之利九両、昨年
   御礼金之内江御加へ相成、
 都合
  千六拾壱両五匁ニ相成
 
  (改頁)      画像246
 
  十二月六日
   以書付申遣候
大町村有之候御紺麻入札被仰付候間、望
之者者入札相認メ、来ル八日朝四ツ時当
役所可致持参、員数之儀者大町村麻
問屋へ承合可申候、右之趣組下村々可申聞、
望無之組ニも当日可相断候也、
         郡所印
一皮類御せんき之儀、最早狐皮斗ニ相成
 候間、成丈致出精出し候様、猟師共可
 申達旨御達可被下候、
 右御達し上条へ継
   十二月七日
   十二月八日
       庄内村晒屋
          八百蔵
         新吉倅
          八十吉
          徳次郎
          徳蔵
          孫十
右之者共御用之儀有之候間、明九日
朝四ツ時印形為持村役人差添召連
罷出候也、
    郡所印
 
  (改頁)      画像247
 
       宮淵村
          覚左衛門
          亀十
右之者明九日御呼出候間、例之通御承
知可被成候、以上、
   十二月八日    上条長之助
右両様直ニ申遣ス
一助郷金之儀御相談申上度候間、明後
 九日御出勤可被成候、以上、
   十二月八日    金井源左衛門
 右中田へ夜五ツ時継かへ
 
  (改頁)      画像248
 
   十二月十六日
来春御目見人別病気相知
候者者、来ル廿日迄ニ被仰上候様被申聞候、
右御承知可被下候、以上、
  十二月十五日    金井源左衛門
    以書付申遣候
           蟻ケ崎村
          同村組頭
             七郎兵衛
           三才村
          同村組頭
             新左衛門
           中林村
           桐原分
          右同し
             庄屋
             組頭
 
右之者共御用之儀有之候間、来
廿日朝四ツ時召連可被罷出候以上、
   十二月十五日  篠田武太衛門
一在方大工共作料請方之儀、様々
 ニ候得共、材木共ニ請負いたし候
 者有之趣御聞申置、御趣意不
 冝候、御極印之木品山師共ニハ
 買請候而も、右ニ而は木品商ひ
 
  (改頁)      画像249
 
 之筋ニ当り候間、右様之稼方致
 候者者、商札請候稼方致候様、
 御吟味役より被仰聞候、右之通達
 申上度、早々以上、
十二月十日      上条覚左衛門
           等々力伝右衛門
右十五日夜中田より参り六日朝
中沢へ継
   以書付申遣候
           白板村
              嘉 蔵
              忠久郎
              久 七
              了次郎
           桐原分
              仁右衛門
              千代太郎
           小嶋村
              兼次郎
           征矢野村
              文 吉
           渚 村
              喜代三郎
           埋橋村
              米 吉
           筑摩村
              三之〓
           庄内分
              相之助
 
  (改頁)      画像250
 
           桐原分
               組 頭
               職セ話
               市 蔵
               瀧 蔵
               弥五右衛門
               八百之助
            庄屋
             折井庄左衛門
右之者共御用之儀有之候間、来
廿二日朝四ツ時村役人差添
召連可被罷出候也、
   十二月十八日  郡所印
   以書付申遣候
        蟻ケ崎村
            半蔵
右之者御用之儀有之候間、明後
廿三日朝四ツ時村役人差添
召連可罷出候也、
 十二月廿一日  郡所印