元禄15年4月 1枚 412cm×496cm | >>目録へ | 
クリックすると原本の画像が開きます | 慶長・正保・元禄・天保の4度、江戸幕府は主要な大名に1国ごとの地図である国絵図と土地台帳の郷帳の提出を命じた。国絵図は、極彩色を施した巨大で重厚なもので、徳川将軍の権威の象徴とされるとともに各藩領内の地理を掌握する基本図となった。当館には、正保の加賀・能登、元禄の加賀・能登・越中の計5枚の国絵図の下図が残されている。元禄国絵図は、元禄10年(1697)諸大名に提出が命じられ、同12~15年(1699~1702)にかけて全国83枚(68カ国分)が収められたが、現存するものは5カ国8枚で、加賀藩の原本も現存しない。当館所蔵の加賀・越中の国絵図には、元禄14年□月と記した上に貼紙で元禄15年4月と訂正、能登は元禄14年8月と記載され貼紙はないという特徴があり、加賀藩で作成された伺絵図(下絵図)を、元禄14年9月に幕府絵図小屋で伺絵図改を受け、幕府に提出した元禄15年4月の貼紙を付したと考えられている。縮尺は国絵図の基準である1里6寸(1/21,600)。 |
翻刻文 ① |  | 越中国高都合并郡色分目録 新川郡高 拾九万七千六百拾弐石四升 五百拾八ケ村 婦負郡高 六万四千六百四拾八石 百八拾六ケ村 射水郡高 拾三万八千百八拾三石三斗四升 弐百四拾八ケ村 砺波郡高 弐拾壱万五百五拾六石七斗弐升 五百六ケ村 高都合 六拾壱万千石壱斗 村数合千四百五拾八ケ村 元禄十五壬午年四月 松平加賀守 |
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