正保4年 1枚 316.5cm×479cm | >>目録へ | 
クリックすると原本の画像が開きます | 慶長・正保・元禄・天保の4度、江戸幕府は主要な大名に1国ごとの地図である国絵図と土地台帳の郷帳の提出を命じた。国絵図は、極彩色を施した巨大で重厚なもので、徳川将軍の権威の象徴とされるとともに各藩領内の地理を掌握する基本図となった。能登の正保国絵図は、正保4年(1647)に提出された。当館には、正保の加賀・能登、元禄の加賀・能登・越中の計5枚の国絵図の下図が残されている。本図は、長く年代不明とされ、『国絵図の世界』(国絵図研究会編 柏書房 2005)でも紹介されていないが、調査の結果、正保国絵図の下図であることが判明した。縮尺は国絵図の基準である1里6寸(1/21,600)。 |
翻刻文 ① |  | 能登国四郡絵図 一、羽咋郡 七万八千九百九十七石 一、鹿嶋郡 六万七千三百二石 一、鳳至郡 五万二千五百五十九石 一、珠洲郡 弐万六千百四十七石 右四郡高都合二十二万五千五石 内 弐十一万千四百三十弐石 い 松平犬千代領分 壱万三千五百七十三石 ち 土方河内守領分 |
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