石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第四節 交通

加賀・能登二國中に河水多しといへども、皆架するに橋梁を以てして行旅の利便を計れり。然るに獨手取川に於いて渡を用ひたるは、啻に河幅の大にして架橋工事の容易ならざりしが爲のみにあらず、亦一旦緩急あるの時據りて以て防禦すべき天險と憑みたるによる。是を以て朔風凜烈として肌を劈き、六花繽紛として笠を重からしむるの時に當りては、旅客の困難到底之を今日より想像すべからざるものありき。元祿十四年美濃の東花坊支考がこの國に入りたる時、手取川の状を叙して『此川は北國第一の難所なるが、其見渡しは一里ばかりもあらん、川上は峰そばだちて雲その間につらなり、川下は海あれて波こゝもとに近し。今は水枯のその時だに八瀬九瀬にわたりくらぶれば、東南に雲晴れて彼大井川の川越の富士の雪見するに異ならず。』といへるは、夏季渴水の期に會したるなりといへども、天明五年橘南谿の曳杖は實に極月十二日に在りたるを以て、『粟生と水島との間に手取川といふ大河ありて、川原幅壹里、其中に七筋八筋の川流れたり。其雪吹には河原越し難し、逗留し給へとすゝむる人あれどまだ晝過る頃なり。極月頃なれば日々雪は降べし。いつかのどやかに越すべき。ふゞきとて何程の事やあらん。此河原一つ越さでや有べきと思ひあなどりて、晝食丈夫に食し、身には鎧合羽・腰卷合羽・袖合羽と三重まで着し、扨川原に出たるに風の烈敷事つるぎの如く、雪は氷りて矢の如く下より上に逆樣に降り、三重の合羽も紐切れ袖破れて不動尊の火炎の如く頭より上に舞ひ上り、目も開くべからず。』とその慘状を物語れり。此くの如く降雪又は増水により旅人の困難するに乘じ、舟師等の濫に賃錢を貧らんことを虞れ、は彼等に對して適當の給を交付し、士人に對しては全く之を徴するを得ずとなし、庶民にもまた過大の要求を爲すべからざることを定め、粟生の渡頭には特に高札を立てゝ注意を促せり。而も尚彼等は窃かに旅客を苦しむるの弊風を絶たざりしかば、寛政二年十二月御算用場奉行恒川七兵衞・水原五左衞門より、寺井村の十村孫三郎に書を遣はして詰問せしに、孫三郎は舟師等自ら強請することなしといへども、増水等の際には士人の好意によりて五文・三文を受くることあり。商人等に對しては規定により少分の船賃を得るを慣習とすと答へたりき。されば士人の船賃は、その額を定めずといへども亦常に之を受くるを例とせしが如し。

 一、侍奉公人に船賃取申間敷事。
 一、商人たりといふ共其身に不應船賃取申間敷事。
 一、夜中たりといふ共往還無滯樣に船を出可申事。
 右條々於違背は、後日に相聞といふ共御穿鑿の上可嚴科者也。
   延寶二年八月 日
〔手取川渡場高札寫〕