石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第三節 市場

藩治の初期に在りて、魚類の賣買は必ず之を一定の場所に於いてせしめ、決してその他の所に於いて行ふを許さゞりしことは、天正十四年七月利家魚町年寄中に與へたる命令によりて知るべし。但しこの魚町といふは、能登七尾に於ける魚屋の營業區域をさすものなるが故に、金澤の城下にては果して如何の状なりしかを知る能はずといへども、當時尚大市街の形勢を爲すに至らざりしを以て、恐らくは同一の制令を設けられたりしなるべく、魚問屋の店頭に於いて、若しくはその店員の配給によりてのみ發售分散せられしが如く思はる。利常の世袋町に魚市場の起りたる後寛永四年九月の定書に據るときは、請賣業者は問屋の拂渡價格に二割の利子を加へて賣捌くべしといひ、且つ彼等の暴利を制限する爲、日々の收支を帳簿に記入して、一ヶ月毎に町奉行下代の檢閲を經ざるべからずと規定したるを以て、是より前既に城下の膨脹に伴ひて、所々に請賣業者を散布せしむるの利便を感じ、乃ち之を許可するに至りたるものなるべく、而して魚類の公定價格は問屋六人の協議によりて定め、之を請賣業者に賣渡すことゝせり。問屋の數は、時代によりて必ずしも一定せず。且つ株立たらざりしが如く、在來の營業者以外、適當の者には何人たるを論ぜず免許すべしとせられたり。この年問屋業者は、彼等が藩侯所用の魚介を撰進するの地位を占むるを以て、その營業に對しての保護を得んことを懇請し、遂に御城二十貫目の貸與を受け、而して之に對する報恩の意味を以て問屋業者より毎年子百枚を上納すべきことを定めたり。

 當町魚物賣買之事、魚屋外脇々にて賣買一切令停止。若違背之族於之者可成敗者也。
    天正十四年七月四日                 利     家  印
      魚 町七尾) 年 寄 中
〔加賀志徴〕
       ○

 一、御菜のもの共遣用として、御理申上に付而、御城二十貫目被仰遣候。右之爲御禮毎年子百枚宛可指上旨申上候。年々無滯可指上候。但右之召上者、百枚之御禮赦免之事。
 一、當町惣樣魚屋方、二分之新役並札役當年より御赦免に付、惣樣魚屋共手前より爲御禮毎年子五十枚宛可指上候旨申上候。是亦年々無滯可指上候。
 一、諸浦より當地へ持來候肴、如前々先とひや六人之者ども手前に而直段相定、請賣之者どもかたへ可相渡事。
 一、請賣の者ども肴商賣直段之事、問屋相定候直段に二割の利足を取賣可申候。此外肴高直に賣申候ば、請賣之ものども可曲言候。然者請賣之もの共毎日日限を付置、月切に兩下代手前に而可勘定事。
 一、魚屋かた問屋之事、先とひやにかぎらず、何に而も慥成もの望次第に可相定候。自然浦方之者に對し非分之儀有之付而は可曲言事。
 右之通急度可申付候。仍如件。
    寛永四年九月十七日                  横 山 山 城 守
                               本 多 安 房 守
      石 川 茂 平 (金澤町奉行)殿
      宮 崎 藏 人 殿
〔慶長以來定書〕