石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第三節 市場

この兩市場を置かれし頃にありては、安宅・本吉・相川等上口の浦々にて漁獲せる魚類は之を魚屋町の市場に運搬し、宮腰・大根布・荒屋・高松等下口海濱の捕魚は之を近江町の市場に輸送せり。然るに能登七尾・輪島、越中の氷見・放生津・岩瀬・魚津等遠隔の地に産するものも、亦地理の關係上之を近江町に出すを便としたりしが故に、その繁昌日に月に加りたるに反し、魚屋町は商品の供給を受くること少く、從つて衰勢に陷るを免れざりしかば、遂に之を廢して近江町に合併するに至りしものゝ如し。その合併の年代は明らかならざるも、享保六年に兩問屋ありしこと前述の如く、而して兩市場の併合したるを亦享保中にありと傳ふるものあるが故に、略之を推定するに難からざるなり。但し魚屋町に於ける家屋の構造が、魚問屋たりし當時の舊態を存したることは遠く文化中に及び、軒下の奧行を六尺に作りて荷物を置くに便じたりき。思ふに之より先寶暦の大火災ありて、この地亦盡く焦土に歸したりしも、その復興せらるゝや尚依然として魚屋町時代の遺風を恪守せしが爲なるべし。然るに爾後改造するもの漸く多く、天保・弘化の頃に至りては魚屋町時代より營業を繼續せる野々市屋の附近兩三戸のみに六尺軒を見たりといへり。