石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第三節 市場

切物商現銀商より變化したる一方法なり。蓋し給人知行米を收納する期日は、正徳以前より半納本納の二回に分かれたるが、その半納期たる七月朔日に在りては尚未だ新穀を收穫するに至らず。是を以て給人はこの時を待ちて米切手を發行し、仲買の取次によりて之を賣却すといへども、實米の受渡は秋收の後に至らざれば行ふこと能はず。故を以て米場に於いても、亦半納期以後新穀の切手賣買を開始するに拘らず、眞の現銀商を行ふこと能はざるを以て、勢ひ短期の延取引を行ふの必要を生じ、賣買手付證文に十日切又は二十日切などゝ實米引渡の期限を記入するに至りたるもの、これ即ち切物商の起れる所以なり。然るにこの慣習は漸くその利用範園を擴張し、終には半納期以外の季節に於いても、亦切物商を行ふことゝなれり。而もその初期に在りては、米切手の延取引を爲すに過ぎざりしが、元文中より老臣長氏越中氷見に有する藏米を建米とすることゝなり、次いで本多氏の藏米に及び、寛政五年米仲買の出願によりて六ヶ所建米の切物商を免許せらるゝに至り、こゝに初めて切物商の盛況を見たり。六ヶ所建米と稱するは、老臣收納米にして藏宿が特殊の取扱を爲すもの、即ち本多・長・横山・村井・兩前田・兩奧村の收納米の中、越中高岡・氷見・放生津・岩瀬・滑川・魚津の六ヶ所に在るものをいひ、これが切物商はいづれの藏米を受渡に使用するも賣主の隨意なりとせるなり。後寛政十一年更に越中の泊・横山二ヶ所の藏米を加へて八ヶ所建米とし、賣買の單位を百石と定め、當月限及び二ヶ月限りの取引を開始するに至り、愈米穀商界に活氣を呈したり。