石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第二節 物價

天保中の凶作は四年に初り、米價は同年十一月に一升錢百八文、五年正月に百十三文となり、五年・六年の收穫豐饒にして平價に復したりしが、七年には又不作にして騰貴せしかば、七月晦日夜五つ半時、石川郡本吉領字高濱の松林中に聚合したる群集は、直に本吉なる濱町の米穀小賣商新村屋仕右衞門の家に亂入し、正壽寺の境内に入りて梵鐘を鳴らし、その相圖によりて片町の紺屋三郎兵衞を襲ひ、次いで紺屋又助方に亂入し、又明翫屋傳兵衞の家屋を破壞して四散せり。本吉にこの騷擾ありたる翌八月朔日小松町にも亦打毀しあり。この日夜五つ時より能美郡山手の農民小松に入り來り、三日市町泉屋市兵衞・同町山上屋喜兵衞及び梯村北市屋孫三郎の家を破壤し、次いで西町の山上屋源右衞門・中町の笠屋彌兵衞・泥町の北市屋永助の店舖に小損害を加へ、曉七つ時に及びて逃走せり。是等の被害者は皆米商人とす。而も米價は尚奔騰し、この年十月金澤に於いて一升錢百二十三文となり、八年二月には百七十二文の最高價を現出せり。

 天保七年申八月、本吉町紺谷三郎兵衞方え大勢亂入仕候一件に付私共早速出役可仕旨被仰渡候に付、則石川郡平加村迄出役仕り承合候處、一昨晦(七月)日夜五半時之頃、本吉領字高濱と申松林へ大勢集まり、最初濱町批(ヘギ)屋新村屋仕右衞門方え亂入、店に有之白米八斗程俵米三石切解き往來へまき散し候處、通り少々打毀ち、夫より正壽寺釣鐘七つ計つき鳴らし、右を相圖と見え、片町紺屋三郎兵衞方え亂入、前通り餘程打毀、奧間並諸道具等多疵付、夫より紺屋又助方へ亂入、少々打毀、又々明翫屋傳兵衞方え亂入、是又少々打毀、何方え歟引取申由に御座候。
 一、右人數二百人計に而、三手に相成前後相扣、一手は亂入仕候由に而、右之者ども相言葉に、百八文と申懸候得ばハ・サウカイナと答申候由。右答不仕者は割竹に而打擲におよび候由に御座候。
 一、近年米續而高直候處、當年格別凶作、次第直段相募り候に付、當朔(八月)日夜山手村方百姓共相集り[御公領地枝村 小田村と申事]夜五つ時より曉七時までに三軒[三日市町泉屋、同町山喜、梯 北市屋孫三郎親は同町年寄也]打毀申候。外に三軒[西町山上屋・中町笠屋彌兵衞兩人共へ ぎ屋、北市屋是は行松文助事なり。]手懸申候。誠に前代未聞之騷動に御座候。人數高は五六百人計、撰人之樣子に而町方え打入、町方相廻り打毀申家を少々宛手懸置、四日市町五間堂屋前え集り、酒を出させ何も呑申由。夫より三日市町銀座に取懸り申候。家・諸道具等迄盡く打こわし、批屋の事故大豆・小豆・米等數十俵こもを打破、往來へ蒔散し申候。泉屋には宜品共は藏へ入、口に炭を積、戸前に角物・牧木を夥敷積置候故、藏には格別手を懸不申由。夫より山喜を打毀、是も壁杯打落、天井・敷居・板敷等迄も打毀、柱・敷居一本も不殘、鐵に而半分程切込有之由。夫より梯北市屋へ取懸り、是も右同樣に而藥種抔往來え打散し、諸道具も往來え投出し、盡く打こわし、夫より藏へ入込、酒桶其外着類・皿鉢之類、鐵に而箱共に打こわし申由。金之類はたゝきまき、或は後(ウシロ)の川に投込抔仕候由。
〔續漸得雜記〕

金澤商人番附 金澤市大友佐一氏藏