第六章 經濟交通
第一節 貨幣
然るに十一月に至るも、到底この銀仲預銀手形を回收して、正銀を仕拂ふの準備なかりしかば、交換の爲に新手形を造りて之を發行したるのみならず、翌十年三月更に百目手形總額二千五百貫を増發して、正銀と混用すべきを命じたりき。かくて銀仲預銀手形の漸次増加するに及び、金銀貨は殆ど姿を隱し、藩外に旅行する場合等を除くの外、自國内の商取引は全く預銀手形のみにて用を辨ずることゝなれり。文政十年銀仲預銀手形を發行せしめし時、金澤町奉行より米仲買肝煎に與へたる達書は即ち左の如し。
御勝手向爲二御融通一、今般別段銀仲預り百目宛之銀手形出來指出、一統通用之儀、別紙寫之通り夫々申渡筈に候。右に付仕法方之儀、左之通可レ被二相心得一候。 一、當年より御家中増御借知之内、正米一萬二千石宛、來子年より四ヶ年可二相渡一候條、右を引當にして、銀手形二千五百貫目、町會所引受に而出來、御算用場え可レ被二指出一候。尤右一萬二千石町會所において拂立、其代銀程宛年々消合、卯年に至り相渡置候根銀を以て、不レ殘消合可レ申候。各手形御算用場可レ有二加印一候。但一萬二千石拂立日限之儀は、其時に御算用場可レ被二示合一候。 一、指當り爲二根銀一先只今二百貫目可二相渡一候條、銀仲え相渡置、他國指引方等、正銀に而指遣不レ申候而難レ叶向々は、斷之品入レ念承糺、右根銀を以て引替指遣樣、可レ被二相心得一候。猶又根銀之儀は、追々右之通に候條、都而町會所引請、取締等嚴重可レ被二相心得一候。猶又御算用場奉行示合可レ被レ申候事。 三 月(文政十年) 〔御定書〕 |