石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第一節 貨幣

寛永十三年六月幕府初めて寛永通寶鑄造して全國に通用せしめ、從來各地に製造通用せる新古鐚錢を悉く禁止せり。因りて翌月加賀藩は、幕府の令以外別に布達を出し、錢一貫文を十六匁の割合に通用すべきことを命じ、同十四年四月にも錢一貫文の價を金一分若しくは十六匁に宛つべきことを命ぜり。

 於江戸、新錢古錢賣買之儀、如此御高札之候條、自今以後、御分國中錢遣、江戸御定子を以出し取仕候者、此物一貫文に付、十六匁之積を以可受用。若至背御法度者、可曲事旨被仰出處也。仍如件。
    寛永十三年七月廿八日                 横山山城守 在判
                               本多安房守 在判
〔三州寳貨録〕
       ○
御  定
 一、上錢一貫文に付金子一分宛
 一、上錢一貫文に付子十六匁充
 一、大かけ錢  一、われ錢  一、かたなし錢  一、ころ錢  一、新錢  一、なまり錢六錢之外不撰事。
 右條々若相背族於之者可曲事旨被仰出者也。仍如件。
    寛永十四年四月十三日                 横 山 山 城 守
                               本 多 安 房 守
〔袖裏雜記〕
       ○

 此年(寛永十三年)まで方々錢づかひにて有けれ共、關東北條五代の間は永樂錢を鑄出し、關八州迄に是を用ひ、國々所々にてはやりし錢有て、他國にては用ひ難し。後には末々に成て、新古の上錢惡錢見分難し。北國筋には曾て錢を見知らず。關東錢は水戸錢とて人嫌ひ、又坂本にて鑄出すを坂本錢とて又嫌ふ。如然に有ければ、天下一統に可成とて改め、寛永の錢を鑄させられ、一つ形に成ければ、今迄錢遣ひのなき所まで一統に成けり。寛永にさへ後々は善惡有けれ共、遣ふに損徳はなし。
〔三壺記〕