石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第六章 經濟交通

第一節 貨幣

前に言へる淺野屋次郎兵衞は、同家第三世にして法號を宗古といひしものとし、金屋彦四郎は第四世吉惠にして、後藤才次郎は初代吉定なり。次郎兵衞等の銀座たりし元和寛永の頃は、領内諸鑛山に於ける金の産出最も多額なる時に當りしのみならず、外よりも亦山出しの金を齎し來るものありしを以て、原料の豐富なりしこと前後にその比を見ず。而して兩銀座はその一部を花降・竹流・色紙・短册等の吹貫に製したる後、次郎兵衞又は彦四郎の極印を施し、之をの倉庫に貯藏せり。こは即ち軍用金に當つるものにして、城内東丸なる獅子土藏に收めらる。この倉庫は大獅子・小獅子と稱する三棟あり。各扉に獅子の彫刻あるを以て名づく。その職員に獅子土藏金支配及び大(オホガネ)奉行あり。後寶暦九年の火災に罹り、小獅子土藏一を殘す。之より小獅子土藏を大土藏といひ、奉行を亦大奉行といひしが如し。青地禮幹の著はせる浚新秘策中寛保三年十月の條に、大槻朝元の奸惡を記して、彼が獅子の土藏を開きて、利常の時その包裝に、他國扶持方用銀と書して貯へたる朱封銀の大半を、大坂に輸送したることを摘發し、且つこの朱封銀の精良なること、現今通用のものに一倍する好なりといへり。寛保の頃にありては、質尚甚だしく劣惡ならず。然るにの貯藏が更に一倍の好なりと言ふを以て見れば、いかにこれ等吹貫の優良なるものなりしかを察し得べし。貯藏以外は之をに當てらる。このも亦次郎兵衞若しくは彦四郎の極印を施したるものにして、寛永元年の勘定書に今極の御本に吹くといふもの即ち是なり。今極とは今極印の義にして舊來の極印に對したる名目なり。