石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第八節 雜業


 天正十一年、高徳院(利家)樣御創業能州御領被遊候後、今年石川・河北兩郡御加増御座候。然處越中佐々内藏助樣、加州二俣越に而急切當國え御責入被御座、御手當人馬用意之際、二俣村百姓次郎右衞門越中に紙草買求之爲罷越、御道筋に而慥成儀承、逐一此方樣に御注進申上候。然處越中勢より、加州尾山へ被指向候道案内可仕旨、二俣え内通申來御請仕り、其際次郎右衞門即時に此方樣え又候御注進申上候。其砌御當國より、要害之地字高峠と申處え砦一ヶ所急に御築に相成り、右次郎右衞門及人夫等指出、速に御出來に御座候。右高峠と申は、越中より二俣越大河谷道等、當御城下え出申候二俣街道に御座候間、二俣村より十七八町隔西之方に御座候。其越中よりは二俣村領、同村より東之方枇杷落しと申處に砦被築立候得共、御當國より此筋え御固被仰付候儀右注進申上候故と奉存候。
 天正十二年、右之趣に而高徳院樣御滿足に被思召、御懇蒙御意、爲御褒美御扶持高二十五石三斗・屋敷高五斗拜領被仰付候。身分望之儀可申上旨被仰出候得共、其際御辭退申上候由に承傳候。
 文祿元年、高徳院樣より初而御料紙御用被仰付、紙肝煎・同組合頭役之者被立、誓紙被御付、御好之紙漉方傳授被仰付候。紙品之儀、一大杉原紙、一御書杉原紙、一御捻御書杉原紙、一中奉書紙、一小奉書紙、一中廣杉原紙、一五色延御書杉原、一五色布目御書杉原、一御書上包紙、一上の上包紙、一中の上包紙、右之通りに而出來、紙見屆之御印御渡、其筋より黒肉を以而出來紙認之上に相用拳指上候。且紙肝煎並組合頭役料、柴山・抄山を拜領被仰付候。且又右御料紙出來方入用之紙附板、檜之マサに而、長六尺幅一尺九寸厚一寸三分七百枚拜領被仰付候。
 文祿二年、御料紙出來之上、紙肝煎見屆之上可指上旨被仰出。肝煎見屆之驗印形押可申旨に而、則御印御渡し被遊、其出來御料紙吟味出來之際、爲見屆右御印紙認之上え黒肉を以相用指上候。
 文祿三年・大納言(利家)樣・肥前守利長)樣御用御料紙二俣村より漉上候に付、御郡役御免被遊候旨被仰出、右御兩殿樣より御書頂戴仕候。且御用之御料紙數多出來、並指運方村方より相勤候に付、御年貢米御藏納仕儀無御座、御料紙代物え御指次被下、御年貢米より却而餘計に被召上御藏米御渡被下候。
 慶長七年、二俣村之邊山に檜木夥敷有之、谷新保村・砂子阪村は二俣村の山續に而、折々地境論有之候由に而、右二ヶ村山地子事、御納所之界二俣如何樣と茂申付さくばいすべき旨、今年四月瑞龍院(利長)樣より村方次郎右衞門總百姓中へ御印被下置候。依て山地子御納所之事、本村え打込上納仕り、二百四十二俵之代三貫九百四十四匁一分五厘之内、二十四匁一分五厘肝煎役料山役銀を除、殘三貫九百二十匁毎歳御納仕來申候。右之通に御座候而、兩村此時より二俣へ付屬仕候。
 元和二年、二俣村御檢地極高御付候。二俣村之儀は、醫王山之奧東南之澗水一瀬、西南之谷より一瀬、兩川打合候ヶ所に村立有之。右東南之一流水勢強清らかに付、此水を以製候。奉書等紙性至而精品に相成候に付、右御檢地之節、御料紙漉右水邊之頭に居住替仕儀に御座候。
 寛永年中、微妙院(利常)樣被仰出御好之御料紙、一大奉書紙、一玉子色奉書紙、一御捻奉書紙、一延小奉書紙、一新御捻奉書紙、一新御好小奉書紙、一御捻奉書替り紙、一御本結紙、一大高檀紙、一御鼻紙、〆拾品。右之御料紙見屆之爲御印御渡被遊、其歳朱肉を以相用申候。依而高徳院樣御好御料紙には黒之御印、微妙院樣御好御料紙えは朱之御印相用、兩樣振分り居申候。一並中廣杉原紙、一並杉原紙、一並大杉原紙、一大杉紙、一小杉紙、一中杉紙、一大中折、右之紙御好之品に御座候。此品は御平生御用紙に付、右樣の見屆御印不相用候。寛永年中、陽廣院樣紙漉御覽被(光高遊度被仰出、二俣村へ御行歩御出、則御覽被御座、其節者同村本泉寺御小休被遊候。
 寛永十六年、今年より御年貢米御藏納仕、御料紙代時之米相場を以子に而御渡相成候。然處御免之御郡役之儀、外村同樣に相成。雖然御料紙御用之夫役村中より相勤候に付、百姓中迷惑仕候段及斷候。
 同二十年、右村方百姓御斷候儀に付、今年より御納所免五ッ五歩之内一ッ御用捨被仰付候。
 正保三年、富山樣・大聖寺樣此方樣へ御願に付、兩御領之紙漉之者え、御料紙漉方指南可仕旨被仰渡江沼郡より中田村五郎兵衞と申者、二俣村え被遣置候。婦負郡には當村御料紙漉之内二人被遣置候。同所はいたち川於川下、漉方彼地之者へ教申候。
 承應二年、紙肝煎助右衞門御咎之筋有之、役儀御取放、右役儀料紙組合頭之内太郎左衞門え當分裁許被仰付。助右衞門儀平御料紙漉被仰付候。
 同三年、右太郎左衞門代り役、御料紙組合頭之内甚助え被仰付寛永之度以來連年被仰付置引免、太郎左衞門故障に而願次不仕、御納所御印免に立歸候。
 明暦元年、今年御料紙十村附に相成り、御所村源兵衙裁許被仰付候。
 同年、微妙院樣御料紙御用、肝煎甚助・組合頭兩人小松表え相詰申候に付、於居村太郎兵衞肝煎加人被仰付候。
 同二年、松雲院(綱紀)樣被仰出料紙御樣(タメシ)之漉被仰付候。且御料紙代御米に而御定被仰付候。
 萬治二年、御料紙漉与村中与出入爭論有之、双方御咎被仰付。此時御代々樣御直判之御書類等、御料紙漉え被下置候品々、御上表へ御引揚に相成候。
 寛文元年、右御書類等御引揚に相成候間、高徳院樣・微妙院樣より御渡被置候黒朱肉御印、御渡相成申候。
 寛文十年、二俣村御納所村御印御渡御座候。
 延寶四年、二俣村並御料紙漉上候古來之儀御尋被仰渡、具に書上申候。
 天和三年、御料紙寸法貫目直段付帳、御會所御印に御成替相渡り候。
 元祿七年、御料紙御定直段は無御構御定之分一割下落押直段被仰付候。
 元祿七年、田島村より御料紙漉上度願立候得共、先年御國勤之砌、二俣村より御注進申上候儀、曁砦御築之砌格別之働有之儀被聞召、爲御褒美悉皆之御料紙仰付、其上御傳授被仰付置候。
 寶永七年、皮楮直に御買上に相成候處、御僉議之筋有之、今年より御料紙漉之者を以爲御買成候。
 正徳五年、西國筋出來之皮楮を以ためし漉被仰付候。且右楮に而御料紙漉上候人足圖(ツモリ)御極帳、於御郡所御出來御渡置、且御町會所えも被遣候得共、本御料紙より紙性不宜に付、他國楮相用候儀御指止に相成候。
 享保六年、御紙漉共え六百五十石御貸米仰付候。
 同八年、御紙漉共え六百七十石御貸米仰付候。
 元文四年、村方之内賣紙漉稼之者御料紙漉上申度願上候へ共、段々御僉議之上不仰付候。
 延享二年、御料紙漉え御渡二十五貫目、無利足御貸付御座候。
 寛延二年、御料紙漉え御貸米四百石被仰付候。且今年御料紙漉甚助・七兵衞持家火災仕り、紙附板爲四貫五百目被下候。
 天明二年、御料紙漉へ二百五十石御貸米仰付候。
 寛政二年、御料紙漉彌次兵衞・八右衞門持家火災仕、紙附板御渡御座候。
 文化元年、大奉書紙附板・大杉原紙附板、前々御渡之板悉相損候に付奉願候處、御聞屆に相成り、大奉書紙附板は大坂より檜之良材御取寄に而出來、百五十枚御渡。大杉原紙附板は中宮村に而栃之大樹を御伐出し、板數三百枚御渡被仰付候。
 同八年、二御丸御造營御成就、御家督並御入國御祝御能拜見仕り候紙肝煎等御料紙漉、不殘御殿へ罷出、御赤飯頂戴仕候。
 天保十年、諸價高貴に相成、錢相場銀札百目に付十一貫五百文之處八貫文に相成、楡木あく灰錢買に候處、御料紙代引合兼、中間料等貳割増被仰付候。
 弘化五年、村方流行病有之、紙漉多死去候に付、御献上紙等漉立方指支、委細御達申上。御献上紙は三ヶ年漉立候樣被仰渡、前二ヶ年十一貫五百目宛拜借仕り、三ヶ年目御献上紙代請取候上、右二ヶ年分元利返上仕、右繰々借用仕候。
 嘉永元年、御献上紙仕抹仕候大藏相建度願、御二貫目拜借仕候。
 安政二年、玉子色奉書紙附板相損申に付、御郡所へ御成替御願申上、御聞屆に相成、檜の木に而長六尺幅一尺六寸厚一寸之者御會所に而出來御渡、古板者御引揚に而御拂に相成候。
 安政三年、中納言齊泰)樣御歸國越中路御廻道二俣越被遊、二俣村御料紙漉を御覽被遊度旨、江戸表より仰參候段、御郡所より被仰渡。因玆紙肝煎方え漉場新出來相建、紙道具且又新たに仕。今年四月十八日二俣村に御着、漉場え御入之節、紙肝煎上下着用仕、御前え罷出、大奉書紙・大杉原紙漉立、並楮たぐり、或は紙を板に張り干揚候迄之製法、男女人夫所作仕候を御覽被遊、御直に御尋被御座候而、御機嫌能被入御座候。其節前田美作守樣御供に而、御一集に御出に御座候。
 萬延元年、御料紙漉極難澁仕、數百年來御献上紙御用全相勤候得共、渡世仕兼候族段々御願申上、御貸米四百石奉願候。然處重々御僉議之上、御二十貫目二ヶ年春毎御貸渡、三ヶ年目御献上紙代請取仕候上、右四十貫目之分無利足返上仕儀十ヶ年之間御聞屆之旨、御勝手方御席より被仰渡候段、御郡所より被仰渡、則其以來請並上納仕來申候。
〔御献上紙等御料紙由緒覺帳〕