石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第七節 製織

降りて文政の頃に及びては、小松製絹業益衰微したるが如く、同二年の覺書に『之儀、慶安・承應之頃は莫大出來之躰、其後寛延之頃より六七萬、或者八萬疋計出來之儀も有之、年々増減者有之候得共、右之通織高次第に相減候趣に御座候。』といひ、且つ織高を以てすれば、明和・安永の頃にも尚今日の如きことありといへども、品等に上下の別あるが故に、收入の高に至りては甚だ差あることを言へり。次いで同六年の書類にも、方今小松の賣行不良なるも、之を貯藏するときは代を運轉し得ざるが故に投賣を敢へてするものありて、の價益下直に傾き、遂に機業を停止するものすらありと記し、之が救濟法として、京都又は松任にて染め、金澤の呉服店をして賣捌かしめんことを計畫せり。その實際に行はれしや否やは明らかならず。