石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第五節 鑛業

寛永五年寶達金山の鑛鋪崩壤し、多數の坑夫爲に埋沒して死せり。是を以て世にこの金坑の採掘せられしを、天正十二年よりこゝに至るまで四十五ヶ年に過ぎずとするものあり。然りといへども左記御算用場奉行稻葉左近の文書に、同金山に關する古來法度を集録して下附したるものあるを見れば、寛永七年に於いて鑛鋪が必ず修理再興せらるゝに至りたるを知るべく、その後尚繼續採掘せられたる確證も亦存せり。
寶達之御金山先年御定之御樣子御條數之事
 一、御金山之義、金づる次第、河筋者岡・ふち共に海ぎわ迄之事。
 一、小屋木・炭木手寄次第に可仕事。
 一、御金山に、從所々罷越走人之義、給人衆・並百姓中・町人に不限、御金山御横目・奉行衆え不案内、卒爾に尋來改申義御停止之旨に候。但走人之依樣子、御横目衆並山御奉行相談之上を以、申付樣可之事。
 一、御金山、從跡々有來候金掘並町人・掘子・大工、他所え罷越義於之者、有所承屆可申理候。從前々御定之筋目、是又御横目衆相談之上を以、急度可申通事。
 一、新見立之儀、寶達近邊何方に茂可申付事。
 右何れ茂、御金山取立申樣にとの義に付而、如此之御法度に候之間、可其意者也。
    寛永七年二月二日                  稻葉左近(御算用場奉行) 名判
             吉田村 理右衞門   寶 達 仁右衞門
             同  (寶達)  與兵衞   野 田 能右衞門
〔貨幣録〕
       ○
寶達山御買玉金子位付并兩替判金詰代詰之目録
 一、玉目十八匁四分   かす一   判に十匁惡
   右之玉金子判金一枚に五十四匁八分一厘がへ
  此判金詰三兩一匁五分七厘
  此代詰百五十一匁五厘
   但兩替四百五十目がへ
 一、玉目三十九匁四分  かす一   判に十一匁五分惡
   右之玉金子判金一枚に五十六匁一分二厘がへ
  此判金詰七兩九厘
  此代詰三百十五匁九分二厘
  但兩替四百五十目がへ
  代合四百六十六匁九分七厘    朱封銀
      以 上
    寛永二十年八月五日               銀 座  八左衞門 印
〔貨幣録〕
       ○
請取申子之事
  合四百六十六匁九分七厘      朱封銀
 右者玉金子五十七匁八分指上申代として請取申候。直段之儀は、金澤てんひんや(天秤屋)相場書指上申處如件。
                        能州ほうだつ金山
    寛永廿年八月六日                  三 右 衞 門  判
      河合傳次殿 青木與兵衞殿 福田彦左衞門殿
〔貨幣録〕