石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第四節 林業


 秀得其職(小塚藤十郎)に有し時、封内大聖寺藩)の松次第に薄くなることをなげきて、越前の松の植樣を尋問して、封内の山々男松を多くせんと欲す。故に植松をするに、土地を不撰植さへすれば佳也と、先上福田領北濱道極樂寺村より出村したる所の女松を皆切らして、男松苗を植る。其植し苗下草となりて、女松苗自然生ひ勝ち、植て二十年餘になる今に至て用に不立松木也。高尾領龜尾と云所皆切らして、跡鎌留にして今に至て二十年餘計、女松の小松迄にて生茂事なし。二ヶ所共に松木生茂し所なれば、植さへすれば生長することゝ心得たり。土も昔の土、松も昔より種落て生じ、生ずれば生長する者なるに、大木の有し所を切て植松をするに、其松用に不立して女松生勝、其女松さへよろ〱として不用の木となるは、如何なる故といふことをしらず。我封内の山の松木は女松多し。濱方の砂地には男松也。
 或人日、我封内は山七歩・田地三歩の所也。北濱邊其外山々の松木迄の所に、其松封内の材木とならず、越前より材木を求來。封内の松を材木に仕て佳也と云り。此事官府に沙汰有て、封内松山多して松山用立、材木に用木不足することいかゞと尋給ふ。一年越前松木津留となりし故、曾宇領深谷の奧にて二年松木を切、府城の材木に用也。今に至て二十年餘、其深谷の松を見るに、小松迄にてさのみ用に可立木になるとも見えず。
 或人の云。越前松山を、自分持山にて自身大切にする故、松木澤山也。封内は御山なる故松木を大切にせず。故に松木不足する也と云り。其事官府より尋給ふ。往昔山井甚右衞門知郡の時、邦内の松山を不殘松高山としたること有。其時封内土民、松木を切事芥のごとくす。故に暫時に松木少くなる。其時小鹽・橋立邊松木を大切にして不切、官府より褒美を給ふと聞傳。不然と答也。
 松高山忙て自身持の松木を見るに、小鹽辻領小四郎持山、三十年餘になるべし、皆切らして小松の男松を植る。今見ることなし。又日末領の松高山、秀得其職に有し時、伊切・新保・濱佐美・佐美・日末と濱邊一つゞきの松林を巡見するに、日末の間兵衞松林深々たる林にて大木あり。今見るに不殘切絶し、小木迄になる。松高山にして自身持の山に、封内の山々を土民に渡さば、舊昔よりも猶芥のごとく木を可切。松木を切事急度制禁有故に、夫に恐れて土民も不切也。
〔江沼志稿拾遺〕