石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第四節 林業

加賀藩民有林は凡べて之を百姓持山と稱し、その林況の良好なるものを選定して准藩有林即ち御林格とす。能登に在りて享和元年以前字附百姓持山又は字附御林山と稱したるもの是にして、その多くは松林を有し、又は栗その他の雜木を混生せり。同年一ヶ村一ヶ所の字附山を殘して之を御林格山となし、他は悉く百姓稼山たらしめき。加賀に於ける制は詳かならず。然りといへども夙く『松山御林』と連記せられたるが故に、亦松山を以て御林格たるの取扱をなしゝものなるべしと思はる。御林格たる百姓持山の七木は、庶民火災・水害に罹りたる時又は民費に係る土木用の資材として伐採を出願する時は、は綿密の調査を爲したる後之を許可し、若し藩用として徴發する時は相當の代價を賠償す。その雜木と下草とは山役銀を上納して採取するを許さる。百姓持山にして御林格たらざるものを百姓持林とも百姓自分林ともいへり。百姓持林の七木に至りては伐採の手續簡易にして、郡奉行のみの職權を以て許可せらる。百姓持林にして良材を生ぜざるときは之を柴山といひ、雜木をも有せざるときは野毛と名づく。百姓持林・柴山及び野毛は之を混じて百姓稼山といふことあり。並びに山役銀を上納す。