石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第四節 林業

凡そ山林有に屬するものは之を御林と稱す。能登に在りては寛文中舊七尾城跡・末森城跡及び各村の論地となれるもの等十五ヶ所を選びて鎌留御林と稱し、雜木の伐採は言ふまでもなく、下草・枯枝といへども之を採取するを禁じたるもの即ちその濫觴にして、元祿七年更に新御林を設定するに及び前者を往古御林と呼べり。後また各村數ヶ所の民有林を選定して准藩有林とす。寶暦の頃に至り字附御林といふもの是なり。享利元年改めて往古御林の外一ヶ村に一ヶ所の御林格山を存し、その他を百姓稼山とす。後慶應三年に至り、他の一般領内と同じく、能登にも亦享和以降林勢の有とするに不適當となれるものを廢して新たに一ヶ村一ヶ所の御林山を選定することを命ぜられしも、時將に末に屬してその果して實施せられしや否やは疑問なり。加賀に在りては文献の存するもの尠く、林制の經過甚だ明らかならず。又唐竹及び矢箆竹の藩用に供すべき藪を、御林藪とも御藪とも稱し、御林山に准じたる取締を行へり。明治三年三月御林山等の中、水持・雪持並びに風除簿の目的に添ふものを除き、他は悉く之を民聞に入札拂に附することゝせり。