石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第三節 農業(下)

不作の年に在りては、子作親作に卸付米即ち用米の輕減を請ふも、親作は從來藩より用米切を爲すべからずとの令ありたるを理由として之を許さず。隨つて子作等は、輕微の違作に逢ふも尚且つ騷擾することありき。是を以て天保九年、貸米を行ふ場合には、その量に準じて、親作も亦子作に用捨すべきことを命じ、用捨米の比率も亦自ら定まることゝなれり。

 用米切之儀は不致樣先年申渡候儀有之候に付、相對にて見延米と申名目にて用捨致し候者も有之体に候へども、根本かね合無之、懸り〱に切り申儀ゆゑ、子作も色々とねだり申儀も有之体。元來御貸米等有之節、用米切り不申儀は不相當儀に候間、以來は乃至御貸米之高御收納に壹割之御用捨に相當候はゞ、作徳にも壹割の征(シヤウ)にて致用捨、都而御貸米之征を以用米之内切り申儀に取極申渡候間、親作子作心得違不致樣嚴重可申渡候。併御貸米等無之年に而も、子作難儀用米切遣候儀は、親作子作之間柄に可之處、不取違樣可申渡候。以來若心得違之者有之、御貸米之年用米不切者、又は無謂ねだり申子作之候はゞ嚴重可相糺候間、無泥可斷候。以上。
    戌 八月廿三日(天保九年)
〔河合録〕