石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第二節 農業(中)

枝權兵衞石川郡坂尻村の人、文政八年齡十七にして村肝煎となり、爾後恪勤精勵身を以て公事に盡せり。當時手取川の十八河原より分岐する富樫用水ありて、草高一萬七千石の田地に灌漑せしが、その取入口の適當ならざると設備の不完全なるが爲、汎濫早魃の困苦尠からず、損害亦隨つて大なりき。權兵衞時に井肝煎を兼ねしが大に之を憂へ、藩臣本多圖書の與力にして産物方の吏たる小山良左衞門に進言し、取入口を上流に移し、白山村安久濤ヶ淵より九重塔に至る間に隧道を鑿ち、更に鶴來古町に至る運河を開かんことを以てす。良左衞門亦鶴來金澤間に運漕の便を開かんとするの志ありしを以て、相議して地勢を調査し、權兵衞は自ら隧道百七十間・運河四百間の工事を督せり。然るに事業の困難甚だしかりしかば、關係村民等囂然として之を非難し、土工は多額の勞を得んが爲に妄動し、遂に盡く私財を抛ちて尚且つ足らざるに至りしも、權兵衞は毅然として屈することなく、慶應元年二月に初めて明治二年五月に竣れり。是に於いて水禍旱害全く除かれ、流域三十九ヶ村の農民その徳を崇びて、二人の爲に生祠を設く。明治十三年二月二日權兵衞歿する時齡七十二。昭和三年十一月十日從五位を贈らる。