石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第二節 農業(中)

國田敬武は通稱彌五郎、世々羽咋郡堀松に住し、十村の職を奉じて令名あり。敬武文政十年を以て生まれ、年少にして七尾に遊び、儒醫安田竹莊に就きて漢籍を學び、又自ら國學を研鑚して平田篤胤の風格を慕へり。敬武二十三歳の時父の職を襲ぎて土田組を裁許せしが、事に當りて明敏果決、性廉潔實直にして專ら郷民の爲に利便を謀るを喜べり。土田組の中に米町川あり、河身屈折甚だしく、頻年汎濫して害を與へ、邑民頗る疲弊せり。敬武乃ち郷民吉田彦次郎と謀り、許可を得、弘化四年梨谷小山の地内二百九十五間を改修し、嘉永三年清水今江の地内三百九十二間を改修し、更に安政六年北吉田地内四百九十間を改修せり。是に於いて水利漸く通じ、土質從ひて向上し、濕田は乾田となりて收穫往日に倍蓰すといふ。敬武又徳田・高濱間の道路を改善して交通の便を謀り、或は山間の地を拓きて桑園を設くる等、その功最も多し。是に因りて嘉永三年は田一町歩を賞賜し、同六年又四町歩を授く。敬武明治六年四十七歳を以て歿す。