石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第二節 農業(中)

中橋久右衞門は、河北郡淺田村の人なり。享保羽咋郡邑知組の村吏を命ぜられ、來りて千代町村に居る。是より先邑知組の一半は、或は荒廢用ふべからざる沼澤たり或は灌漑の便を缺ける焦田なりしかば、久右衞門は改作奉行荒山三右衞門と謀り、に請ひて溜池開鑿の工を始め、下肝煎十三人を指揮し、羽咋の農善五郎を擢でゝ土工を董督せしめ、遂に四個の溜池を得たり。その一は菅原池にして、菅原の山間に在り。面積十六町歩。俗に周圍一里と稱せられ、池畔谿谷に出入迂回するを以て四十八谷堤ともいふ。その二は杉野屋池にして、奧堤・前堤の二あり。孰れも杉野屋に在りて、郡中四大池の中に數へらる。その三は藪野の山間なる藪野池にして、主として今の北邑知・若部・中邑知三村に注ぎ、その四は柳田の山間にある柳田池とし、柳田等の耕地に灌ぐ。而して是等の溜池によりて灌漑せらるゝ田地は、草高一萬三千九百四十石に上れり。溜池の成るや、久右衞門は善五郎を擧げて溜池肝煎と爲し、下流各村より米十石を徴してその俸に當てしめき。是より後郷民久右衞門の徳を崇び、像を彫みて菅原に祀り、毎歳五月廿五日關係三十六ヶ村は業を休みて溜池祭を行ひ、今に至るまで尚之を廢せず。大正十三年二月十一日久右衞門に贈るに從五位を以てし、その遺徳を表彰せらる。久右衞門の生歿年月は共に明らかならず。