石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第二節 農業(中)

土屋義休は通稱又三郎、石川郡御供田村の農勘四郎義正の子なり。寛文四年五月父の横死せる後を受けて十村となる。元祿改作奉行園田左十郎罪あり。義休亦之に坐して十村の職を奪はれ、獄に繋がるゝこと一年餘に及べり。既にして赦さるゝことを得、後剃髮して直心といひしが、又その事を御算用場奉行に告げざりしを以て百日の遠慮を命ぜられき。義休頗る記性あり。北陸に於ける戰國以降の歴史に通ず。寶永二年金城隆盛私記を著し、次いで正徳四年三州大路水經を脱稿せり。後者は加越能三州の河水に就きて記すること極めて詳密なるを以て、大に藩吏の珍重する所となり、後大澤君山之を補綴して上中下三卷と爲せり。寶永四年義休又耕稼春秋七卷を著し、農事に關する細大を詳叙す。室鳩巣この書に序して曰く、直心世々農を事とするを以て、夙夜意を稼穡に留め、常に此を以て子孫に訓へ僕隸を督すること、未だ曾て一日も怠らず。乃ち播殖種藝を録する數十年間にして、之を天の時と地の宜しきに驗するものを七卷とせり。鳴呼此の人の如き者、之を今世に求むるに絶えて無くして僅かに有る者なり。豈所謂三代の遺民なる者か。五方の民をして皆直心の心を用ふるが如くならしめば、安んぞ民食足らず國家富まざるの患あらんやといへり。義休享保四年四月を以て歿す、時に年七十八。