石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第二節 農業(中)

農民中土地を有すること最も大なる者、若しくは家格の由緒最も正しき者は、數村を併合したる組の長たることを命ぜらる。之を十村といひ、他の大庄屋といふものに當り、慶長九年本保與次右衞門長廣が能登の奧郡に下りたる時、その地の大百姓にして從來藩用を勤めたるものにこの職を命ぜしより起るといふ。長廣は前田利常の伯母の夫なり。十村とは十ヶ村内外を支配するより起りし名稱にして、初めは十村肝煎とも十村頭ともいへり。然るにその後十村肝煎の病死し若しくは罪を獲る毎に、その所管を附近の他組に併合したるを以て、寛永十三年三月以降村邑の數幾十ヶ村にして大組と稱したるものと、十幾村にして小組と稱するものとを生じたりしが、而も依然として十村肝煎の職名を改めず、萬治以降に及び十村肝煎を略して單に十村とのみ呼ぶことゝはなりしなり。十村の任務は一組内の百姓を支配し、收納方・高方等凡べて關係せざることなく、常に村内を巡視して農事を勸奬することを掌る。十村はその組の屬する郡内のものより擇びて命ぜらるゝを常とすれども、若しその郡内に十村たるべき器量ある者なき時は、他郡出身のものを赴任せしむることあり。之を引越十村と稱す。十村階級には、御扶持人十村無組御扶持人十村平十村等の別あり。

能登口郡十村肝煎任命書 鹿島郡越路村藤井藤七郎氏藏