石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第五章 殖産製造

第一節 農業(上)

秀吉の時に至り、海内の田制と税制とを畫一ならしめんと欲し、信長の遺策に從ひて檢地の大事業に着手せり。この檢地は、世に天正の石直とも文祿檢地とも稱せらるゝものにして、天正十二年十月山城國狹山郡に施行したるに初り、次第に九州・四國・關東・東北の各地に及ぼしたるものなるが、我が北陸に於いて之を實行したるは、その最も晩年に屬したりき。是を以て、加賀能美郡領主村上周防守頼勝の如きは、天正十九年に於いて尚秀吉の法に據らず、その獨自の標準を以て檢地封内に行ひたるを見る。以下の計算は凡べて五捨六入の法に據る。

 加賀能美郡内長田村檢地帳(表紙)
                          加賀能美郡
      田   方                 長   田   村
 上  鳥 居 一段二畝      一石五斗(八斗カ)           新  衞  門
 上  同 所 二段八畝九歩    四石二斗三升七合五勺     甚  兵  衞
 上  同 所 一段七畝廿五歩   二石六斗五升四合二勺     甚  五  郎
 中  同 所 三段十六歩     四石五斗六升六合七勺     與  三  郎
 下  同 所 九畝十六歩     一石四斗一升六合七勺     孫  二  郎
 中  鳥 居 三段六畝      五石四斗           助  衞  門
 上  同 所 一段九畝五歩    二石八斗七升八勺       四 郎 衞 門
 中  同 所 一段九畝      二石八斗五升         孫  二  郎
 下  同 所 二段一畝      三石一斗五升         次  兵  衞
 中  同 所 一段九畝廿八歩   二石九斗六升六合七勺     新  兵  衞
 上  同 所 一段三畝      一石九斗五升         一  針  屋
 上  鳥 居 一段四畝      二石一斗           八  里  屋
 中  同 所 一段一畝廿一歩   一石七斗三升七合五勺     四 郎 衞 門
 上  同 所 三段二畝      四石八斗           次  兵  衞
 上  同 所 二段九畝廿歩    四石四斗三升三合四勺     太 郎 衞 門
 下  同 所 一段十九歩     一石五斗七升九合二勺     八 郎 兵 衞
 (以下三百三拾三項略)
      畠   方
 上  八町畠 一段三畝五歩    一石九升四合九勺       五郎左衞門  
 上  同 所 七畝十八歩     六斗二升五合         太 郎 衞 門
 上  入町畠 六畝六歩      四斗三升五勺         四 郎 衞 門
 上  同 所 一段八畝      一石五斗           五郎左衞門  
 上  同 所 八畝十四歩     六斗九升九合一勺       三 郎 兵 衞
 上  同 所 一段五畝十歩    一石二斗七升三合一勺     は ゝ き や
 上  同 所 一段三畝十八歩   一石一斗二升五合       一  針  屋
 上  同 所 二段十二歩     一石六斗九升四合四勺     與  三  郎
 上  八町畠 六畝廿六歩     五斗六升二勾         甚  兵  衞
 上  同 所 一段七畝廿歩    一石四斗六升一合       九 郎 兵 郎
 上  同 所 一段五畝廿歩    一石二斗九升六合三勺     次  兵  衞
 上  同 所 五畝九歩      四斗三升七合五勺       八 郎 兵 衞
 上  同 所 七 畝       二斗三升三合三勺       宗 左 衞 門
 上  同 所 二段四畝      二 石            孫  兵  衞
 上  みそち 一段三畝      一石八斗三合三勺       甚  兵  衞
 上  同 所 五畝十歩      四斗三升九合六勺       九 郎 兵 衞
 (以下八十二項略)
 上  田   十九町十四歩       段別一石五斗代
      分米二百八十五石五升八合三勺
 中  田   二十三町三段八畝九歩   段別一石五斗代
      分米三百五十石七斗三升七合五勺
 下  田   十七町九段十六歩     段別一石五斗代
      分米二百六十八石五斗六升六合七勺
 上  畠   三町九段九畝二十三歩   段別八斗三升三合三勺代
      分米三十三石三斗三合三勺
 下  畠   三町四段二畝二十八歩   段別三斗三升三合三勺代
     分米十一石四斗二升七合
 屋  敷   一町八段五畝十一歩    段別八斗三升三合三勺代
      分米十五石四斗四升二合三勺
 田畠屋敷合  六十九町五段六畝二十九歩
      分米合九百六十四石五斗三升五合
                             村 上 周 防 守
    天正十九[辛 卯]年九月廿一日                  頼   勝 在判
〔事林明證〕
前掲の文書に據るときは村上頼勝の檢地は、田を上中下三等に分かつも、その斗代に於いては全然同一とし、畠は上下の二等として斗代に差違あらしめ、宅地は之を上畠に準ぜり。思ふに上中下田の斗代を一にするは、上田の竿を短くし、下長の竿を長くしたるに因るなるべし。地積の名目は、町段畝は十進法に因り、而して一畝は三十六歩より成る。是等によりてこの法の尚未だ天正の石直に據らざりしを知るべし。段の十分の一を畝と稱することは寛正の文書に已に見えたりといへば、頗る古くより一部に行はれし所なるが、この頃に在りては普く用ひらるゝに至りしなり。