石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第八節 鏤工

後藤祐乘の直系は、第五世徳乘の時に至り、長乘の系に對して下後藤と稱せらる。徳乘の子に顯乘あり、通稱を理兵衞といひ、諱を正繼といふ。寛永前田利常祿して百五十石を與へ、隔年金澤に在留せしむ。顯乘の子を程乘とし、理兵衞光昌と稱す。父の祿を襲ぎて亦上後藤と隔年來仕す。越登賀三州志來因概覽に、金澤府城に接する蓮池苑内に程乘屋敷と稱する地あり。こはもと作事場の遺址にして、往昔良雕後藤程乘光昌金澤に來りしときこゝに寓居せしが故に此の遺名ありといひ、松雲公夜話録追加にも、程乘の金澤に來るや、日々綱紀の譚伴となれることを記せり。葢し之より先、顯乘・覺乘等の來るや、亦蓮池苑内の貸屋敷に淹留せしが如しといへども、就中程乘の來れるは寛文の前後にして、時代稍後れたるを以て程乘屋敷の名を傳へられたるなるべし。程乘の次子に悦乘あり。理兵衞光邦と稱し、演乘と交代して來仕せしが、後辭して江戸に留り、子孫世々前田氏祿を食みたりき。葢し悦乘・演乘の時に及びては、金澤の工人にして、已にその技に長ずるものありしを以て、故らに彼等の來るを要せざるに至りしものゝ如し。後藤氏諸工の作品は、之を以て藩侯より搢紳に對する贈遺に充て、或は殊遇の臣隸に賜ひ、頗る世人の珍重する所となる。その技術は概ね之を小柄・笄・目貫・鍔等の刀劍附屬具に施し、金・・四分一・赤等を材料として、浮彫最も多く、毛彫之に次ぎ、交ふるに象眼を以てせしが、桑村・水野・加賀後藤金澤に住する工人は、特に毛彫象眼の法に工夫を加へ、地金を鑚鑿するにその底部を表面よりも廣くし、こゝに他の金屬を鎚植して圖檬を爲し、決して脱出剥落することなからしめたりしかば、加賀象眼の名廣く世に行はるゝに至れり。加之ならず江戸には元祿の頃横谷宗珉ありて、生彫(シヤウ)と名づくる一種の鑚法を創め、時代の風潮に伴ひて瀟酒なる鏨を振ひ、畫家の筆致を躍動せしむるを主としたりしが故に、後藤家の如きも遂に之に感化せられて特有なる醇厚の風を失ふに至りたるも、獨加賀に在りては土地の北陸に僻在すると、人情の質朴なるとによりて、長く先人の遺蹤を墨守し、所謂加賀象眼の名聲を失墜せざることを得たりき。