石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第七節 冑工

明珍宗好は通稱を徳兵衞といへり。その本姓を知らず。江戸に在りて明珍宗妙の門に入り、遂に技術の薀奧を極めて師の氏を冐すを許さる。寛政の頃金澤に來り住し、三人扶持を食めり。二代宗春、亦徳兵衞と稱す。宗好の子にしてその家を襲ぐといへども、手腕庸劣にして名聲を得るに至らず。宗春の子宗久三代となる。幼名徳三郎、後に源兵衞と改む。宗久幼にして孤となり、家業を傳へざりしを以て嘉永五年江戸に上り、明珍家に就きて學ぶこと三年、歸來その職に從事せり。元治以降騷擾の際宗久製する所甚だ多かりしも、亦凡工なるを免れざりき。