石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第六節 刀工

勝家は古刀紀より繼續したる刀工なるが、慶長以降同銘二代を襲ぎ、寛永の頃に及びてその跡を絶ちたるが如く、その住所は不明なるも橋爪系の本場たる能美郡能美村にあらざりしかと思はる。この勝家に就いて注意すべきは、從來の刊本が之を伊豫大掾橘勝國の二男なる善八郎勝家と連續したる關係ありと誤認したるもの多く、新刀紀の勝家同銘五六代に及ぶと記せることなりとす。然りといへども寛永勝家絶えたる後貞享の善八郎勝家の出づるに至るまで、その間約五十年を隔て、且つこの勝家は藤原勝家と銘じ、後の陀羅尼橘勝家と切るものと明確なる相違あり。而して慶長勝家の作風は古刀の域を未だ脱せず。反り淺きものと中反りのものとあり。身幅稍廣く、切味本位のもの多く、地鐵は板目肌にして白け肌混りざんぐりとし、刄文は五目亂多し。その一に賀州住勝家と銘じ、長さ三尺五寸三分の反り高き大太刀にして、慶長十七年二月吉日の裏銘を有し、五目亂盛なる出來物ありき。