石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第六節 刀工

清光系中に非人清光と稱せらるゝものありて、その名最も世に喧傳せらる。而して從來の刊本多く之を播磨大掾清光と同一視せるは、神田勝久の著したる新刀銘鑑が、『播磨大掾藤原清光は大体の作出來不出來も有。しかれど業物として世に稱美す。先板に事書委し。但し世間に乞食清光といふこと口傳あり。』と記したるに起るものにして、誤謬の甚だしきものなりとす。播磨大掾清光は越中富山の住人にして、非人清光金澤郊外笠舞非人小屋に收容せられたるもの、その同人にあらざるや明らかなり。而してその非人小屋に收容せられたりといふ清光も、亦決して一人にあらず。
その初は寛文末年若しくは延寶初年に於いて産を失ひたる長兵衞清光がこゝに收容せられたるに初りしなるべく、貞享四年十一月非人小屋裁許よりの上申書に、『刀鍛冶清光長兵衞飢渴に及び、願に付先年非人小屋入に相成、小屋内にて長兵衞父子三人細工仕云々。』と見えて、その父子三人といふは長兵衞の外、延寶六年八月津田宇右衞門等より非人小屋裁許に與へたる文書に見ゆる長右衞門並びに弟八兵衞を指すものゝ如く、之に次いで元祿元年三月の文書には長右衞門及びその弟次郎九郎・太郎の收容せられあることを言ひ、享保五年正月鍛冶取調の時には、『非人小屋に罷在清光長右衞門幷せがれ清光長兵衞』と見ゆるが故に、世代を以てすれば長兵衞・長右衞門・長兵衞の三代に亙り、尚その一族にも收容せられたる多かりしなり。然りといへども特に非人清光と稱せらるゝ佳作は延寶頃と認むべきもの最も多く、その作風は概ね姿良く、地鐡澄み、小杢目・小板目混り能く錬れ、刄文も直刄・丁子亂等ありて、一般凡作の清光に比し遙かに趣を異にするものあり。銘は清光の二字を切るもの多く、極めて稀に笠舞住又は於笠舞と附記することあり。思ふに初の長兵衞清光なるべし。甞て遊就に陳列せられたる脇差は、長さ一尺八寸許の亂刄にして、表に加州笠舞住清光、裏に延寶九年八月日の銘あり。別に象眼を以て表に延寶九年戌二月九日次胴土段拂味上々キリテ松波時右衞門、裏に同月廿七日雁金土段拂上々キリテ同人と鐫せり。