石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第六節 刀工

刀工の衰運は寶永に入りて益甚だしく、遂に彼等は山林下刈を特許せられてその生活の維持を謀るに至りたりき。寶永三年四月十村等の書上に、『金澤刀鍛冶共年々困窮致し及迷惑に付、河北郡菱池御林、上山・北袋・市御林、小竹御林、田屋御林下刈仰付、御役銀毎歳可指上旨相願。依兼之若・家平・光平・幸昌・信貞・家忠勝國等、御林六ヶ所之下刈仰付。』といひ、又享保元年四月國平家忠・包廣・光平・幸昌勝家・國重・家弘等より町奉行に提出したる願書にも、『去年も度々御歎申上候通り 人々困窮仕、其上公儀・御家中細工ひしと不仰付、彌及渴命。就河北郡菱池村・田屋村・小竹村・北袋村・上山村・一瀬村六ヶ村御林下苅之儀、先年之通三ヶ年之年季に而被仰付下度候。』といへるもの即ち是にして、彼等はこの下刈により薪材を市民に提供し、以てその衣食の資を補はんとしたるなり。事情既にかくの如くなりしを以て、刀工の技術年と共に低下したるも亦已むを得ずといふべく、享保五年幕府が諸國鍛冶の實際を調査せし時、之に對する加賀藩の答申は左の如くなるものなりき。

     加州金澤居住候打物仕候鍛冶
                              陀羅尼橘勝國 善 三 郎
 二代目將監家次流に而、先祖勝家より當勝國迄六代家業致相續、今以打物細工仕候。當時宜敷仕候。
                              兼    若 甚 太 夫
 志津三郎兼氏流にて、先祖兼若より當兼若まで六代家業致相續、今以打物細工仕候。當時打物宜敷仕候。
                              國    平 吉 兵 衞
 二代目將監家次流に而、先祖勝家より當國平まで五代家業致相續、今以打物細工仕候。寶永七年朝鮮人來朝之節、御太刀・御長刀被仰付打立申候。近年病身に罷成 當時打物不仕候。
                              家    弘 [吉右衞門 國平吉兵衞せがれ]
 父國平吉兵衞より致傳授、今以打物細工仕候。
                              家    忠 四郎兵衞
 二代目將監家次流にて、先祖勝家より當家忠まで五代家業致相續、今以打物細工仕候。
                              幸    昌 藤右衞門
 加州藤島友重流にて、祖父幸昌五郎右衞門より當幸昌まで三代家業致相續、今以打物細工仕候。
                              包    廣 仁   助
 幸昌藤右衞門甥にて、藤右衞門より致相傳、打物細工仕候。
                              光    平 忠右衞門
 二代目將監家次流にて、先祖勝家より當光平まで六代家業致相續、今以打物仕候。
                              橘  勝 家 七  郎
 二代目將監家次流にて、先祖より當勝家まで七代家業致相續、今以打物細工仕候。
                             清    光 長右衞門
 加州藤島友重より當清光まで、八代家業致相續打物仕候處、近年病身に罷成、當時打物難仕候。
                              清    光 [長 兵 衞 長右衞門せがれ]
 父長右衞門より致傳授、打物細工仕候。
                              信    友 太郎右衞門
 加州藤島流にて、父信貞五郎右衞門より家業致相續、今以打物細工仕候。
                              兼    卷 五郎右衞門
 濃州和泉守兼定流にて、先祖兼卷五郎右衞門より當兼卷まで六代家業致相續、今以打物細工仕候。
                              國    重 四郎三郎
 兼若甚太夫甥に而、甚太夫より致傳授候。當時打物不宜候。
 右加賀守領分に罷在鍛冶如此御座候。此外打物仕候鍛冶無御座候。以上。
    二月十日(享保五年)
〔諸國鍛冶吟味有之節之覺〕