石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第三節 描金

又別に五十嵐氏あり。その初祖をまた喜三郎と稱し、二世以下を宗兵衞又は宗平といへり。

 五十嵐喜三郎 喜三郎儀、道甫存命之内養子に罷成候處、蒔繪御用被仰付相勤罷在候。其後護國院樣(前田吉徳)御代、江戸御參勤御土産等蒔繪御用被仰付相勤罷在候所、元文四年七月病死仕候。
 五十嵐宗兵衞 宗兵衞儀、蒔繪細工仕罷在候處、大應院樣(前田宗辰)御代、江戸御參勤御土産等蒔繪御用被仰付相勤 罷在候所、寛延三年十二月病死仕候。
〔描金事歴〕
こは喜三郎家の由緒の一部分なり。こゝに言ふ道甫は喜三郎道甫にして、本系の初祖喜三郎は道甫の生前養子となりて喜三郎を襲名せるものなりとし、前田吉徳に仕へて元文四年七月歿したるなり。二代宗兵衞は吉徳宗辰・重煕の時に當り、寛延三年十二月歿し、次いで三代宗兵衞は藩侯重教が明和三年參觀の際幕府献納せし蒔繪を製し、又越中城端の蒔繪に新意匠を加へ、金粉を應用して好評を博せり。明和六年九月歿す。四代を宗平といふ。前名を亦宗兵衞といひ、初め藩侯重教の地謠を勤めしが、同職に廣屋宗兵衞ありしが故に、命によりて改めしなりといふ。宗平治脩齊廣二侯の命を奉じて蒔繪を製し、文政六年五月歿す。五代宗平、文政七年以降御用蒔繪師となりて、嘉永二年十月歿し、六代宗平その後を承けて、末の御用蒔繪師たりき。
 喜三郎━━━━宗兵衞━━━━宗兵衞━━━━宗 平━━━━宗 平