石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第二節 陶磁

松屋菊三郎は文政二年四月能美郡一針村醫師山越賢了の家に生まる。天保四年粟生屋源右衞門に就きて製陶を學び、六年陶畫を齋田屋伊三郎に習ひ、尋いで又業を古酒屋孫次に受く。八年菊三郎は石川郡大野なる中村屋辨吉の紹介により、攝津國三田の九鬼侯に聘せられてその御庭燒に從事せしが、十年京都に出で名工尾形周平に就きて製陶著畫の秘薀を極め、又樂燒を山本修夫に學び、弘化元年再び郷に歸り業を一針に創む。既にして小松町松屋佐兵衞の家を襲ぎ、八日市町に陶場を開き、嘉永初年青九谷燒を改良せり。青九谷燒は、嘗て江沼郡吉田屋窯あり、能美郡蓮代寺窯ありしといへども、菊三郎は前者の如く全面を塗詰にすることなく、後者よりも純粹精良なる磁器を用ひ、特にその著畫に新味を加ふることを案出して成功せしなり。文久・元治の交、菊三郎蓮代寺窯改造して古九谷再興に沒頭し、後之を本江村に移し、又八幡村に新窯を築きしが、明治元年業を子佐平に讓り、隱栖して曜榮と號し、二十二年七月七十一歳を以て歿せり。菊三郎の陶業に從ふや、熱誠研究の事に當り、その青九谷を研究せし時の如きは悉く家資を耗盡し、終に古下駄を燃料とするに至りしといふ。