石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第二節 陶磁

若杉窯春日山窯と同じく、加賀藩より經費の補助を與へられたることも、亦特に之を注意せざるべからず。葢し當時の藩制産物方と稱する役所ありて、内の物産を奬勵することを掌りしが、文化十年年寄村井長世その主任となり、十一年に罷め、文政元年再び就職し、四年その免ぜらるゝに及びて算用場奉行兼務に歸せり。若杉窯は實にこの産物方の保護を得たるものにして、文政二年の達書にこの事に關するものあり。

 加州能美郡若杉村燒立候石燒陶器、相應に出來致候に付、來春より他國入石燒陶器都而差留、若杉燒を以御國用相辨候趣、詮議之上産物方年寄中へ相達、被承屆候之條被其意、早速夫々可申渡候。依而以後心得違之者有之、他國燒積等を以取扱候之儀相顯候者、其品取揚咎め可申付候。此段兼而可申渡候。以上。
    十二月廿八日(文政二年)                     産 物 方 役 所
〔加賀陶磁考草〕
これ若杉窯が林八兵衞の經營中に屬し、産物方は村井長世が主任たりし際のことにして、當時恰も尾張・肥前等より磁器の輸入夥しく、金銀貨幣の流出するもの年々鉅額に上りしが故に、自給自足によりて財政の危難を免れんとする必要上この法令を發するに至りしなり。次いで算用場奉行産物方を兼攝したる期問に在りては、文政四年又左の達書あるを見る。

 各支配所之内陶器出來之ヶ所、且以前有之當時退轉之ヶ所も可之候間、右之委細可書出候。以上。
    十月廿日(文政四年)                       御 算 用 場
〔加賀陶磁考草〕
こは現に開窯せるもの、若しくは既に絶滅に歸したる廢窯を調査し、益保護の途を講じ、國産の數量を増加せしめんとの意に出でしものなるべし。次いで文政十一年に亦左記の達書あり。

 他國出來陶器入津之儀指留置候得共、今年一作口錢三倍増取立入津差解候條、此段夫々被、且著岸之浦々にて右口錢取立、當十月中産物方役所へ指出候樣浦改人等に可申渡候。船積に而無之取寄候分は、浦方口錢三倍増に相當り候役銀取立、是又十月中可指出候。船積有無之儀、取扱候ヶ所に而入念しらべ方可之候。以上。
    三月廿四日(文政十一年)                     御 算 用 場
〔加賀陶磁考草〕
此の後文政十二年に於いても亦同樣の達書あり。是によりて當時の事情を想像するに、産物方若杉窯資銀を貸附して奬勵する所ありたりといへども、その産額尚寡少にして内の需要を充たすに足らざりしを以て、已むを得ず輸入の禁を弛め、遂には之を撤回するに至りしものゝ如し。元來産物方なるものは、年寄が主附たりし時と、將た算用場奉行兼務たりし時とに論なく、輸入物貨には口錢と稱する關税を徴收し、又は全くその輸入禁止し、之に反して領内の生産には資本を貸與して之が發達を助長するの政策を執りしものにして、假令結果に於いて充分當初の目的を貫徹する能はざりしにもせよ、陶業奬勵の如きは最も機宜に適したる措置なりしなり。