石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第二節 陶磁

若杉窯は、能美郡若杉村の十村役林八兵衞の經營に係る。八兵衞は元と瓦窯を有したりしを以て、試に製陶を工夫する所ありき。この時肥前島原の人に本多貞吉といふものあり、頗る陶業に熟達せしが、故ありて郷里を出で、文化四年木米に隨ひて春日山の陶窯に來り、八年更に移りて若杉村に赴き、八兵衞の家に寓して近郷花坂村字六兵衞山に磁石を發見せり。因りて八兵衞は窯を若杉村に築き、貞吉をして陶業に從はしめしに、京都の人寅吉・平戸の人平助も亦來りて事を共にし、始めて青華の磁器を燒くを得たり。是に於いて時人その形状描畫の大に精妙なるを感賞し、來り學ぶもの年々増加したるが、金澤の人八兵衞・九兵衞も亦この中に在りき。十四年肥前の人勇次郎も亦若杉窯に從業す。勇次郎最も赤繪の陶畫を善くしたるを以て、人呼びて赤繪の勇次郎といへり。初め林八兵衞の陶窯を興すや、より資銀若干を與へて奬勵せしが、文政二年貞吉病歿し、工場の經營宜しきを失ひて收支相償はざるに至りしかば、五年橋本屋安右衞門を擧げて之が管理者たらしめき。安右衞門は金澤川南町に住し、陶器をぐものなりしが、是に至りて若杉に移り、勇次郎をして赤繪を、八兵衞・九兵衞等をして青華白磁を作らしめしに、固よりの保護を受け資銀を補助せられたるを以て、事業漸く旺盛に赴き、天保四年には功を以てより苗字許可の殊遇を得たり。

                             若杉陶器窯元
                    橋本屋安右衞門事  若杉安右衞門
 右之者苗字相名乘候樣被仰出、其段申渡候樣爲御承知申達候。以上。
    巳三月十七日(天保四年)                     澤  田  義  門
      堀   平  馬 樣
〔加賀陶磁考草〕