石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第二節 陶磁

民山窯の盛時に際し、小松より招致せられたる鍋屋吉兵衞は、父祖以來陶業に從事したるものなり。初代丈右衞門は寶暦の頃の人にして、初め江沼郡村吏たりしが、後製陶を事とし、大聖寺町に住せり。葢し古九谷系の餘蘗なるべし。その子丈助は寛政の頃より起り、業を父に受けて松下堂黄影と號し、能美郡若杉窯の起りしとき往きて之に着畫し、後小松に移りて多く徒弟に教へ、又江沼郡に往復して就業せり。その作風赤繪は萬暦、青畫は交趾に擬す。丈助の子は即ち吉兵衞なり。又父に從ひて陶畫を學び、松下堂文篁と號す。初め武田秀平に聘せられ、小松金澤の間を往復して民山窯の指導に從ひたるも、天保十一年に至り全く金澤に移り、民山窯の棟梁たる傍ら門生を教授し、又彫刻・描金等の技を秀平に學び、遂に片時も缺くべからざるその輔佐となれり。後嘉永中、金澤小立野なる辰巳屋某が犀川の上流石川郡熊走村に開窯せし時、吉兵衞また行きてその陶畫を助く。吉兵衞の初め小松に在るや、父と同じく萬暦・交趾の風姿を模したりしが、民山窯に從ひし後は、好んで細描の赤繪を着けたりといふ。吉兵街の子内海吉造、明治窯業界の重鎭となる。