石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第二節 陶磁

春日山開窯の雄圖は久しからずして挫折し、金澤製陶界將に凋零せんとせしが、文政の中絶以後、幸に民山窯のあるに因りて、その命脈を保持することを得たり。民山窯の製品は近く木米の遺範に基づき、遠く古九谷燒の風丯資質を追慕したるものにして、木彫の技を以て名を知られたる武田秀平の創始したる所とす。之を民山窯といふは、秀平の別號より採れるなり。陶窯の所在は亦春日山にして、自邸にも錦窯と四間に八間の工場ありしこと、彼の孫武田信秀が加藤松塢に復したる書中に見ゆれば、略その規模を知ることを得べし。而してこの窯を主宰する民山は、藝術に對する一隻眼を有したりといへども、固より陶工にあらざるを以て、本多貞吉の門人たる山上屋松次郎、木米の弟子たる任田屋徳右衞門及びその子徳次を雇用し、更に小松より畫工鍋屋吉兵衞を招き、周到なる經營によりて優美精良なる作品を出すことを得たり。この窯に於ける産出は、天保を以て最も盛なりとし、末期は弘化の頃に及ベるも、今遺品の金澤に存するもの殆ど無く、却りて越前能登越中に之を藏する者あるを見るは、民山窯の營業方針が主として他國に輸出するにありたるが爲なるベく、秀平の孫信秀は、一時その製品多きに過ぎたるを以て遠く坂又は越後に出荷したりしこと、幼年の際自ら荷札を讀みて記憶する所なりといへり。