石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第一節 繪畫

上記の外畫を能くしたるもの、金澤大圓寺の僧心岩あり、頑夢と號し、最も佛畫に妙を得、傍ら彫刻を兼ぬ。寶永三年寂す、世臘六十。又矢田四如軒あり、通稱六郎兵衞、諱は廣貫。老臣前田土佐守の臣にして、最も人物に長ず。寛政六年五月七十七歳を以て歿す。また是と時を同じくして澁谷松堂深山台州あり。松堂は通稱潜藏、國老横山氏の教授にして、畫は大雅を祖述し、山水を描き、氣品高邁にして夙にその趣を得たり。台州通稱清八、諱は忘言、字は得意、別に雪樵・育王山人と號し、水墨の山水に長ず。台州事によりて能登に謫せられ、赦に遇ひて歸りたる後薙髮して寒鵶坊といへり。燕臺風雅にいふ、松堂は濃墨老硬を事とし、台州は淺墨清潤を好み、倶にこれ神釆横飛すと。又大地蕙齋あり。諱は文寶、別號は拙靜、の定番頭並たり。清人董可亭の風に倣ひ、墨蘭に巧なり。文政十年五十一歳を以て歿す。又寺島應養あり。名は藏人、諱は兢、一號は靜齋。天保七年藩政を議する罪によりて、能登島に流され、翌年その地に歿す、年六十二。應養山水を能くし、墨竹を好む。又金子鶴邨あり、名は有斐、石川郡鶴來の人にして、國老今枝氏の儒臣となり、天保十一年八十二歳を以て歿す。鶴邨最も畫に精しく、南北二宗の外別に一派を爲せり。白山遊覽圖記・能登遊記等を著す。又高井二百あり、名は濟永、二百・巽齋・望湖樓等の號あり。金澤春日神社の祠人にして墨竹を專とす。安政二年歿す、年七十餘。又森西園あり、名は辰之助。金澤の人にして幼より岸駒に學び、長崎に至りて南宗の畫風を極め、麟りて藩侯に仕ふ。安政六年九月歿するとき七十七。又岡田楊齋あり、通稱喜陸、諱は成憲。藩士にして儒學に達し、明倫堂の教職に居り、專ら墨梅を好む。元治元年四月八十歳を以て歿す。又村東旭あり、通稱金作、諱は晴俊、加賀藩の御細工者並にして畫を岸駒に學ぶ。嘉永四年正月歿す。又梅田九榮あり、畫號季信、丹青を以てに仕へ弘化三年九月歿せり。