石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第四章 美術工藝

第一節 繪畫

等伯の子を信春といふ、通稱は久藏。父の畫風を受け、その精細なるものに至りては元信の筆格に遵ひ、花鳥人物皆之を能くすといへども、殊に龍虎に長じたりといふ。信春の畫蹟にして有名なるものに、京都清水寺に掲げられたる錣引の圖ありしが、扁額の大さ竪一間・横一間半。『奉御寶前畫圖之事。願主信州諏方休庵敬白。天正廿壬辰卯月廿七日長谷川久藏十七歳筆。』と記されきと傳ふ。西鶴の織留に、『都の清水に、長谷川長(久)藏が筆にて五郎・朝比奈が力くらべを書り。』といへるもの即ち是にして、當時頗るその有名なりしを察すべし。信春の歿年に至りては明らかならず。扶桑名公畫譜に十八歳にて死すとし、七尾町舊記に文祿二年六月十五日二十六歳歿とし、畫鑑に元和二年四月二日四十七歳を以て逝くとす。葢し七尾町舊記は、侯爵前田家の尊經閣文庫に藏する所にして、後に東京帝國大學文學部史料編纂係の採訪する所となり、大日本史料に登載せられる。然りといへども現に羽咋一宮村正覺院に藏する所の十二天の畫像は、信春の遺墨中最も確實なるものなるが、その日天と月天との落欵に藤原長谷川信春廿六歳筆と記し、羅刹天には長谷川廿六歳筆と記され、同郡上甘田村妙成寺の涅槃像には長谷川・信春・卅歳の三顆の印を押捺するが故に、七尾町舊記に信春の廿六歳にして歿したりとするものゝ誤謬たることを知るべし。されば七尾町舊記が如何の程度に於いて信を措くべきかは未決の問題なりとすべし。且つ世に傳ふる名和長年像及び帝室博物所藏の牧場圖六曲屏風の如き、從來春日繪所信春の筆と言はるゝもの、皆前記十二天像の印影と同じきを見れば、是亦長谷川信春の畫蹟にして、春日信春なる者の存在に疑なきを得ずと言はる。

 法眼長谷川等伯藤原信通、俗稱文四郎、後改久六、號雪渡齋京都三條街了頓圖子佳居。
  能州七尾産。少而好畫、古法眼元信長子師狩野祐雪宗信畫、法名改宗伯。祐雪歿而後、等益成門人、畫道頗入佳境、又改名等伯也。豐臣秀吉公爲御繪師、賜知行二百石。葢大阪御陣六年前、征夷大將軍源家康公御治世後、被江東、途中頓發病。稍雖江府、病重而僅經二宿而終卒。行年七十二歳、江戸圓通院葬。法諱嚴淨院等伯日妙居士、慶長十五年庚戌二月廿四日。宿坊、於京都者、小川頭本法寺塔頭教行院、同於本國者、能登七尾本延寺、本法寺末寺也。
 等陸信春、等伯長子。
  法諱道惇。文祿二癸巳六月十五日卒、行年二十六歳。宿坊如前。
〔七尾町舊記〕

長谷川信春畫 羽咋郡上甘田村妙成寺