石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

一向宗東派に在りては、加賀の觸頭を金澤の專光寺・能美郡小松本蓮寺とし、能登の頭寺を羽咋郡羽咋の本念寺・鹿島郡府中の長福寺・鳳至郡南の本誓寺・珠洲郡鵜飼の妙嚴寺とし、專光寺の觸下凡そ百三十七ヶ寺、本蓮寺の觸下三十ヶ寺、本念寺の觸下八十八ヶ寺、長福寺の觸下七十一ヶ寺、本誓寺の觸下百六ヶ寺、妙嚴寺の觸下二十八ヶ寺あり。その他津幡の弘願寺は、本山直屬として特別の地位に立てり。上記の中、專光寺の草創は明らかならず。初め石川郡大額に在りしが、文明中第五世慶心の時同郡吉藤村に移り、天正中第八世慶榮鶴來に轉じ、慶長元年金澤の御城後町に來りしが、元和中第九世慶信の時に至りて前田利常より田丸町なる今の寺地を寄進せられたりと見ゆ。本蓮寺の祖は本願寺綽如の第二子鸞藝頓圓にして、嘉吉中越前藤島に超勝寺を立てしが、後加賀に入りて江沼郡戸津村に住し、文安元年能美郡津波倉村に本蓮寺を創立し、文祿小松の城主村上頼勝に招かれて寺地を濱田村に受け、萬治中第九世教惠の時改めて前田利常より今の寺地を受くといふ。本念寺はもと眞言宗に屬せしが、一向宗の興りし時正榮阿闍梨之に歸依して寺號を改めたるなりと傳へられ、長福寺は畠山氏の厚遇する所となりて能登一圓の惣録所たりしが、前田氏能登に入るに及び、住持善教府中に寺地を受くと稱せらる。また本誓寺は初め眞言宗なりしが、夙に一向宗に改め、天正十四年鳳至郡新町村より南村に轉ぜしものとし、妙嚴寺は永享中正徹といふ者珠洲郡に專修念佛の法流を布きたるに起り、八世祐恩の時天正中前田利家に附きて軍功ありたるより殊遇を受け、寺領二十五俵の地を賜はりたるものなり。而して弘願寺は、觀應元年本願寺覺如の弟玄頓これを河北郡鳥越に創建したりしが、天正中越中佐々成政に追はれて羽咋郡堀松に遷り、慶長金澤に轉じ、十四年河北郡津幡に移りしなりといはる。