石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

次いで羽咋郡赤崎一向宗東派長光寺の弟頓成、信機自力説を主張して正義を破斥す。頓成の師開悟院靈暀之を論せども可かず、自ら進んでその主旨を明らかにせんことを請ふ。弘化四年十二月本山乃ち之を召して香雲院澄玄・皆遵院宜成等をして糺問せしめ、頓成は一たび廻心状を呈せしも、嘉永三年更に越後泉性寺・尾張蓮光寺及び能登長光寺と共に、香雲院等の法義勸め方に關して疑義ありとし、三月開悟院を判者として對話を開席し、之が結果として先の廻心状頓成に還附せられ、香雲院は閉門に處せられたり。是に於いて學寮の所化等この擧を不當なりとして、本山と幕府の寺社奉行に訴へ、騷擾止まず。八月所化二十人及び頓成一派皆江戸に送られ、頓成以外悉く所罰せられ、頓成は之を本山の輪番に附し、十二月以降本法院義讓・一蓮院秀存之を訊問し、五年二月頓成は之に服したるを以て幕府は之を江戸の獄に投じ、次いで墨刑を加へて豐後四日市に流す。頓成の配所に在るや端座して一室を出でず。明治維新の大赦令に遇ひて僅かに國に歸ることを得たり。而もその後尚前議を執りて屈せず、本願寺の爲に所罰せらるゝこと二回に及び、明治二十年十一月九十三歳を以て歿せり。