石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

一向宗東派の寺院間に起れる内訌の最も大なるものに、小松寺庵騷動と稱せらるゝものありき。初め貞享・元祿の交、能美郡二曲村に任誓といふものあり。操持堅固學識豐富にして、能く衆民の尊信を得たりしかば、同宗の緇徒之を嫉みて、任誓の説く所を邪法なりと強ふるに至れり。本願寺の法主一如之を疑ひ、乃ち小松本覺寺の前住勸喜院に命じ、任誓を件ひて上洛せしめ、能化列座の所に於いて法問を試みしめしに、任誓の言ふ所決して非法ならざるを確むることを得たり。然るに烏兎を經過するに隨ひ、その甞て是認せられたる所傳を失ひ、爲に任誓派は舊の如く制禁を加へらるゝことゝなりたりき。明和中に至り、小松本蓮寺郡中に勢力を振はんと欲する意あり。本願寺の御堂衆澍法庵と謀を通じ、出訴して曰く、往時本山より我が能美郡二百二十餘村の惣道場に賜はりたる祖師の影像は、現に之を勸歸寺に傳へ、寺院本願寺に直屬して、金澤別院の支配を受くることなし。是を以て宗意動もすれば動搖するの憂なきにあらず。かの任誓派の説の如き、尚行はれて今日に至るもの實に是に因る。依りて思ふ、かの影像を本山に返還し、他郡と共に歩調を一にして別院の指揮を受けなば、宗義自ら一致して、邪論その跡を絶つべしと。是に於いて明和六年、本山は澍法庵を使僧として加賀に下し、影像を別院に移すが爲に、本蓮寺をして郡中三十餘ヶ寺を會して承諾の捺印を徴せしめしに、長圓寺・稱名寺・法海寺は直に之に同意したりしも、本覺寺・勸歸寺・本光寺等は、能美郡が本山の直隸なるこそ寺庵の名譽にして、これをして別院に屬せしめんとするは本蓮寺の奸計に出づるものなりと主張して屈服せず。而して勝光寺は首鼠兩端を持せり。是より門徒間の物情頗る騷然たるものあり。白山山麓なる幕府領諸村の農民も亦雷同して小松に來り、勸歸寺の影像を守護せんが爲、鐵炮を佛壇に列ね、門前に棍棒を携へたる壯者を置き、又之に對抗する本蓮寺は本山の命によることを高唱して影像を奪取せんとしたるを以て、兩黨の形勢日々に切迫せり。かゝる際、翌七年二月六日夜勸歸寺の梵鐘を撞くものありしかば、群民忽ち密集し、異口同音に本蓮寺の與黨を除くべしとなし、直に勝光寺と稱名寺とを襲ひてその一部を破壞し、進みて本蓮寺・長圓寺を侵し、堂宇佛像盡く舊態を留めざらしめき。後加賀藩は、本蓮寺側の寺院騷擾の因をなすの行爲ありたるを非なりとし、盡く閉門を命じて事一たび落着せり。而も爾來三十年に亙り、兩黨尚常に反目して一堂に會することあらざりしが、享和年中金澤なる永臨寺能起の周旋により初めて和解するに至れり。